叶さんに刺激されて、旗本についてよく知らないのでつい調べてみようかなって気分になったのだけれど…。
横道にそれまくりでした(いつの間にか家茂公がなくなった年の玄猪御祝の餅は慶喜公が下賜したんだろうか?とか、この年にやってないと慶喜公はやったことないよな…、とか。でもどうだったか判らなかったので、結構中途半端でほおってある)。
旗本と御家人の成り立ちから調べてみようと思ったんですよ(習ったかもしれないけど、きっと確実にならってそうだけど、忘れたから仕方がない…)。
一応最初は、関が原のとき徳川家の旗下で
旗本:手勢を率いて活動した譜代の家臣
御家人:手勢なしで馳せ参じた家臣
そうそう、まとめて御家人の括りもあったらしいけど、イレギュラーな言い方っぽいので、ここではまあ考えないことにします。
で、御家人をざっくり分けると、
譜代席:三河以来の譜代のものに限る、家禄は世襲
譜代准席:抱席が世襲となる、以後世襲
抱席:四代将軍家綱以降召抱えられた者、一代限りの奉公という名目だが実際は世襲
幕府から支給された住居
大名:上・中・下屋敷という感じに数箇所もらえた
旗本:一箇所のみが多い(居住につかわれることがほとんどなので居屋敷と言われた)。特定の役職についた者には役屋敷が与えられることもある。
御家人:集団で一括りの屋敷地を拝領(だから武家地はかたまってるんだね)
で、給料制度が単位が違って判りにくかったので、メモ
知行取(石):領地を保有した領主、その領地で収穫される生産量に基づく。
蔵米取(俵):天領での徴収分を幕府から支給される、支給方法は米俵で一年を3回に分けて支給
現米取(石):天領での徴収分を幕府から支給される
扶持取(人口):月報。一人口は一人が暮らす食料分といった感じで、一人一日五合の計算で、毎月米を支給される。
現米取と蔵米取の違いがよく判らない?支給単位が違うので、なにか意味がありそうではあるんだけど…。
例外として両で表示する給金を貰っていた者もいる。(ただ、現米取や蔵米取の人たちも給料の大半はあらかじめ換金してもらっていたらしい。給料日近くになると換金率を書いた張り紙が江戸城内の中ノロというところに張り出されたって…。)
あと間違えそうなのが、
蔵米取一俵=知行取一石なのですが
現米取一石=知行取二.五石になること
扶持取一人口=知行取五石(おまけ)
もっとおまけで、江戸庶民関係で今回知って驚いたことは、江戸の長屋ってほとんど2階建てだったらしい(いや、時代劇のイメージで考えていたから、店舗はともかく一般の町人の長屋は平屋だと思っていたので…)。
横道にそれまくりでした(いつの間にか家茂公がなくなった年の玄猪御祝の餅は慶喜公が下賜したんだろうか?とか、この年にやってないと慶喜公はやったことないよな…、とか。でもどうだったか判らなかったので、結構中途半端でほおってある)。
旗本と御家人の成り立ちから調べてみようと思ったんですよ(習ったかもしれないけど、きっと確実にならってそうだけど、忘れたから仕方がない…)。
一応最初は、関が原のとき徳川家の旗下で
旗本:手勢を率いて活動した譜代の家臣
御家人:手勢なしで馳せ参じた家臣
そうそう、まとめて御家人の括りもあったらしいけど、イレギュラーな言い方っぽいので、ここではまあ考えないことにします。
で、御家人をざっくり分けると、
譜代席:三河以来の譜代のものに限る、家禄は世襲
譜代准席:抱席が世襲となる、以後世襲
抱席:四代将軍家綱以降召抱えられた者、一代限りの奉公という名目だが実際は世襲
幕府から支給された住居
大名:上・中・下屋敷という感じに数箇所もらえた
旗本:一箇所のみが多い(居住につかわれることがほとんどなので居屋敷と言われた)。特定の役職についた者には役屋敷が与えられることもある。
御家人:集団で一括りの屋敷地を拝領(だから武家地はかたまってるんだね)
で、給料制度が単位が違って判りにくかったので、メモ
知行取(石):領地を保有した領主、その領地で収穫される生産量に基づく。
蔵米取(俵):天領での徴収分を幕府から支給される、支給方法は米俵で一年を3回に分けて支給
現米取(石):天領での徴収分を幕府から支給される
扶持取(人口):月報。一人口は一人が暮らす食料分といった感じで、一人一日五合の計算で、毎月米を支給される。
現米取と蔵米取の違いがよく判らない?支給単位が違うので、なにか意味がありそうではあるんだけど…。
例外として両で表示する給金を貰っていた者もいる。(ただ、現米取や蔵米取の人たちも給料の大半はあらかじめ換金してもらっていたらしい。給料日近くになると換金率を書いた張り紙が江戸城内の中ノロというところに張り出されたって…。)
あと間違えそうなのが、
蔵米取一俵=知行取一石なのですが
現米取一石=知行取二.五石になること
扶持取一人口=知行取五石(おまけ)
もっとおまけで、江戸庶民関係で今回知って驚いたことは、江戸の長屋ってほとんど2階建てだったらしい(いや、時代劇のイメージで考えていたから、店舗はともかく一般の町人の長屋は平屋だと思っていたので…)。