にゃんこのヨガ的生き方

毎日をゆったり、元気に機嫌よく暮らす

無、意識

2012-03-31 21:44:01 | こころ
少し前、脳や意識について興味があり、本を読み散らかしました。
誰かがフローティングシェルに入った経験を書いていました。

フローティングシェルは、中に特殊な水を満たした機器です。
この中に入り蓋を閉め、水に体を浮かべます。
中は、何の音も光も届かない全くの無の空間だそうです。

この「無の空間」というものを経験してみたかったのですが、
Webで見ると、何だか怪しげ。
おまけにシェルには素っ裸で入るとか。
決心がつかず、結局行きませんでした。
白金高輪にあったのが、今は九州に移転。
シェルに入ることはないだろうなぁ。

無の世界とはどのようなものか。
その時、意識はどうなるのか。

ちょっと経験してみたくて、自分の部屋で電気を消して、
両耳を塞いで布団をかぶっていたら、娘が入ってきて、『何やってるの?』。
ちょっと恥ずかしかった。




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暗闇での対話

2012-03-31 21:00:00 | インポート
ダイアログ・イン・ザ・ダークという催しをご存知ですか。

会場には、自分の掌さえ見えない真の暗闇が用意されています。
入場にあたり、何人かと組みになります。
各組には視覚障害者がひとり、「アテンド」としてつきます。
アテンドの導きのもと、暗闇の中を進んでいきます。
空間にはさまざまな作りこみがなされ、参加者はいくつかの情景を体験します。

去年の秋、これを体験してきました。
ひとりで参加したため、見知らぬ若い女性2人と組みました。

暗闇に入る際に白杖を渡されます。視覚障害者が使う白い杖です。

中は経験したことのない暗闇が広がっています。
暗闇に足を踏み入れた途端、足運びが遅くなります。
足を前に踏み出すのが怖いのです。
白杖を左右に動かし、足元の安全を確認しながら、ゆっくり前に進んでいきます。

目が見えないと、右も左もありません。方向がわかりません。
進むべき方向は、アテンドの人が教えてくれます。声がする方向へ進みます。
他人に頼ることで、やっと前に進むことができます。

白杖を使って歩くことには、すぐに慣れました。
声がする方向に進むのも、やれば案外できるものだなと思いました。
声の響き方で、Mさんが近くにいるのか、少し離れているのかがわかるようになります。

暗闇の中では危険を避けるため、お互い声をかけあったり、
手を繋いだりする必要があります。
誰かがしゃがみこんだり、立ち止まったりしていたら、
気づかずにぶつかってしまいますから。

以下は皆、匂いと音で認識したことです。

入ってすぐ、小川が流れています。その上に懸かる太鼓橋を越えます。
何かの匂いがするのに気づきます。
何の匂いなのかわかりません(後で、笹の匂いだと気づきます)。

夏祭りのあとの会場につきます。
水をはった大きなたらいがあって、ヨーヨーや水鉄砲が浮いています。
横には、お面を売る屋台があります。
手で触って、それが何のお面なのかを確かめます。

笹が繁る小道を通り、干藁が積み重ねられた場所に着きます。
干藁はふかふかです。そこに皆で横になりました。

最後に、喫茶店に入ります。
見えない店内を進み、見えない卓につき、なんとか椅子に腰を下ろします。
紅茶とおやつを注文、用意しておいたお金を渡します。

当たり前ですが、暗闇ではお金を目で確認できません。
貨幣は、大きさや形状からまだ区別がつきます。
じゃあ紙幣は? どうやって区別するのか尋ねると、
『紙幣は金種によって少しづつ長さが違います』。
(でも自分が1種類のお札しか持っていなかったら比較のしようがないけど?)

喫茶店内で働く人たちは皆、視覚障害者です。
この状況では、私たちも彼らも目が見えないのは同じです。
目を開けていても閉じていても、同じ暗闇。
暗闇の中、彼らは私たちの卓にまっすぐに、注文した品を持ってきてくれます。
彼らが迷いなく歩けることが不思議でした。

茶碗を口に持っていくと、アールグレイの香り。
おやつは、ビスコのいちご味、海老満月せんべい。
見えないと、匂いに敏感になります。
普段は好まないアールグレイが美味しい。

でも、どうしても何なのかわからないおやつもある。
見えるからこそわかったような気になることもある。
視覚に頼っている部分がいかに大きいかを実感しました。

暗闇を出た後、Mさんが感想を尋ねました。

若い女性が言いました。
私はあの暗闇で、自分がどう見られているのかを気にしなくていいのがとても楽だった。
ずっとこのまま見えなくてもいいかもと思った。

人によって感想はさまざまです。
見知らぬ人と手を繋いだり、声をかけあったりすることに新鮮な驚きを覚え、泣き出す人もいるとか。

私は。そこでの体験が、自分の中で未消化のままでした。

自分が日頃から、いかに視覚に頼っているかは実感しました。
ただ、人に対する声かけなどは、私が子どもの頃からごく当たり前にしてきたことで、
それが暗闇の中であっても、見知らぬ人であっても、感動を覚えるものではありませんでした。

私には闇が怖かった。
暗闇の中では空間の広がりを感じられず、闇が自分に迫ってくるようで不安でした。
見えないという状況を楽しむことができませんでした。
『このまま見えなくてもいい』と言えるのが不思議でした。

主催者側はこの催しを「エンターテイメント」と呼んでいますが、
私にとっては気軽なものではありませんでした。
もっと単純に楽しめばいいのに、何か考えこんでしまう自分は
頭でっかちではないのかと、ずっとひっかかっていました。
知人に話すと、それはご両親のことがあるからじゃないの、と言われました。
そうなのかな。そうなのかも。

経験した人が皆、それぞれ異なる感想を持つ。
暗闇での経験を一度されるのもよいかと思います。
多くの気づきがあります。

合わせて、『まっくらな中での対話』、茂木健一郎、講談社文庫。
非常に興味深い本です。
ただ、この本に出てくる視覚障害者の人は皆、知識人です。
ものごとを深く捉え、考えている。
彼らが標準であるかのように茂木さんが話を進めていくのが、
私にはちょっと気になりました。

ドイツでは今、全く音がしない、ダイアログ・イン・ザ・サイレンスという催しがあるそうです。
日本に来たら、いつか参加してみたい。
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睡眠

2012-03-31 12:41:39 | 日々の暮らし
睡眠を多めに取らないとだめな方です。最低でも6時間は寝たい。
睡眠不足になると、翌日「眠い」のではなく、「だるく」なります。

高校生活は、受験勉強一色でした。
最低でも夜12時まで勉強。気が乗れば朝3時過ぎまで勉強。
朝は7時起きだったので、4時間睡眠という日がよくありました。

今でもよく覚えていますが、明け方まで勉強していると、
早起きの祖母が起きてきて言ったものでした。
『いい加減にしなよ。体によくないよ』。

私としては頑張っているつもりなので、
何でそんなこと言われなければならないんだ、
と思っていましたが、今では私も同じことを言います。
『いい加減にしなよ。体によくないよ』。

あの頃私はまだ若かったので、睡眠が足りなくても
「だるい」と思ったりはしませんでしたが、
暑い時期は必ず夏ばてをしていました。
(なぜだろうと当時は思っていましたが、考えてみれば当然です)

卒業後、友人Eが言いました。
『12時前に寝ると、体にもお肌にもいいんだって』。
それを聞いて私は、
(シンデレラじゃあるまいし、そんな健康的な生活できるかい)
と思いました。それじゃ本も映画も見れやしない。

でもね、E。
私は今、あなたの理論を実践してるよ。
毎日12時前に寝て、朝5時半に起きている。
健康優良児的生活。

ちなみに、1.5の倍数で睡眠を取ると、
睡眠時間が多少短くてもすっきり目覚めることができます。
起床時間から逆算して、寝るタイミングを考慮します。

5時半起床の私は、
11時にお布団に入り、11時半に入眠 => 6時間睡眠
9時半にお布団に入り、10時に入眠  => 7.5時間睡眠

睡眠は食事と同様、体調管理の基本。
体を休めて、いたわってあげてくださいね。
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