「にゃら」が亡くなりました。19才でした。
元々にゃらは、のらねこでした。ゴミ捨て場の焼き鳥の串をアウアウ言いながら舐めていたこともあります。娘たちは内緒でゴハンを上げて、仲良くなっていきました。当時は住まいが賃貸だったため、動物を飼うなど考えたこともなかったのですが、上の娘が「飼う」と言い張り、結局家族の一員になりました。その時、にゃらは生後半年。
当時子どもだった娘たちはふたりとも社会人に。にゃらは健康でしたが、それでも着実に年を取っていきました。動作が緩慢になりました。ベランダの手すりや台所のカウンターには、いつの間にか登れなくなりました。毛並みがぼそぼそになりました。ここ1年ほどは私のベッドに乗り降りするにも踏み台が必要でした。腎臓を悪くし薬をあげていましたが、「じいちゃん」になってきたのだと単に思っていました。
つい1週間ほど前、食欲が落ちました。一日中大きな声でワオワオ鳴いています。(おかしいな)とは思いましたが、それまでにも何度か同じようなことがあったので、その時はまだ大したことだとは思っていませんでした。うるさいから静かにしなさい、と怒ってしまったくらいです。
それからの変化は実に急なものでした。好物でさえ殆ど食べない。よたよたとしか歩けない。トイレに行っても支えていないとトイレの中で崩れ落ちてしまう。(もう時間の問題だ)と思い、仕事を休みました。体力がなく横たわっているしかないのに、何度か身体を起こしてトイレに行こうとします。それでもおしっこは出ない。いいよ、もういいよ。おしっこ、タオルの上でしていいんだよ。午後、お日さまの当たる場所に寝かせてやり、しばし静かな時間を過ごすことができました。
夜から呼吸が荒くなりました。時々口を大きく開けて苦しそうにします。それでも終わりが来ない。夜半も過ぎて、私がにゃらに添い寝することにしました。(もしかしたら回復するのでは)という微かな希望はもうどこにもなく、後はとにかく苦しまずに逝けるようにと、それだけでした。呼吸が弱まってきていました。未明、しゃっくりをするようにしゃくりあげ始めました。迷いましたが、すぐに家族を起こしました。何度かしゃくりあげた後、心臓が止まりました。まだ温かいし柔らかいのにぐったりと動かないにゃら。魂はどこへ行ってしまったんだろう、と思いました。泣きながら、皆で何度も何度もかわるがわるにゃらを抱っこしました。
私は誰かが亡くなるところに立ち会ったことがありません。近しい人を亡くしたことはそう何度もありませんし、その時も亡くなったと知らせを聞いて駆けつけています。苦しいのになかなか楽になれない、「その時」が来ないと死ねないというのも大変なことなのだと、今回付き添って思いました。また延命治療はしないと決めていましたが、(もう少し早く異変に気づけば、何とかなったかもしれない)という悔いは残っています。
にゃらへ
今まで一緒にいてくれて本当にありがとう。きみと過ごせた時間はしあわせでした。きみの存在はあまりに当たり前すぎて、きみが亡くなることがこんなに辛いとは思ってもいなかった。今はきみがいないことが辛い。そっちで待っていてね。それとも毛皮を着替えて、またこの家に来てくれるかな。
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