理想を語ったところで、それだけではただの逃げにしか聞こえない。
現実の問題として自分を高いレベルに持っていこうという意思があるなら、理想って何?って思う。
理想というからには高いところにある。
とうてい、今の自分の手の届くところにはない。だからこそ理想。
そんな理想しか語らないと、具体的にどうしたいのかわからないし、現状の自分のレベルの低さを痛感して、高い理想を語ることでその低いレベルの自分をなんとかごまかしたいだけなのでは?と思えてくる。
そうとしか感じられない。
もちろん、具体的にどうしたいのかを探っている段階というのもあるだろう。
だから、現状のレベルを無視してどうのこうの言うつもりはない。
でも、なんとかできる範囲でがんばって少しでも自分を高いレベルに持っていこうとするか、今の自分を取り繕うことだけしか考えていないか(調子がいいときは自分に酔いしれ、悪いときは言い訳をする、そんなばらつきの中で生きるだけか)って、わかってしまうもの。
会社の部。
近くの会社の稽古にお邪魔してきた。
その後の会話で気になったこと。
理想って、逃げ??
目標は人それぞれ。
だから、同じ道を同じ速度で同じ方向に歩くことをだれかれかまわず強要するつもりはない。
大事なのは、道も方向も速度も違っても、前進したいという意識は共通であることかと思う。
理想って、今の自分がどういう状態かは関係なく、あこがれちゃうもの?
目標って、今の自分を理解した上で、どういう方向に進むのがベストか考えて見出されたもの?
目先の課題って、目標に向けてどういう取り組みをすればいいか具体的にしたもの?
理想って、到達できるかは無関係なんだよなぁ、と思う。
現実に稽古して対戦して、そんな中で理想を語られても、さっきお互いが本気で対戦したやりとりとは無関係じゃん、って思う。
理想と目標は区別しときたいよね、って思う。
スラムダンクでいえば、流川君にあこがれて理想としてもいいけど、身長も足りないんだったら目標は宮城リョータだ!そのためには目先の課題として何を・・・って話になると思う。
流川と程遠いやつが流川の話をしてもねぇ・・・って思う。
だいたい、30歳をすぎているんだから、理想を語るだけじゃ机上の空論でしかないことくらいわからなきゃねって思う。
具体的にどういう方向を目指していて、目先で何をするんだい?って思う。
理想を持つな、といっているわけではない。
が、30過ぎたら、現実的に理想の姿と自分が重なる可能性はどんどん減っているし、理想を求めるのと同時に自分の目指す目標をはっきりさせろよ、って思う。
まだ目指す目標がはっきりしなくて、それを見出そうとあれこれ探している段階なのかもしれない。だから理想を言うだけなのかもしれない。好意的に受け止めるなら。
理想を語る姿が、現実からの逃避にしか見えなかった。
同じ意識レベルで同じように高みを目指しているつもりでいたのにそういう理想を語るだけの姿をみると、なんだか自分が勝手に勘違いしていたのかな、と悲しくなった。
別に趣味なら趣味でいいし、
確かに、会社の中でも稽古回数は圧倒的に私が多いのが事実。
他の人はそこまで稽古していない。
そういう機会の差が意識の差につながるかもしれない。
でも、私は「与えられた稽古」をしているだけではない。
自分で場所や仲間を見出して、なんとか稽古回数を確保しているところはある。
運もあるけど。
そんな私が与える場だけで、時には稽古場所が遠いと文句まで言ってくる。
はっきり言ってナンセンス。
こっちからすれば、イラッとするだけだ。
自分で稽古場所を見出そうとしないで私におんぶに抱っこのくせして、文句だけいうんかい??
こっちは、住んでいる場所が会社から離れているんだぞ!
私からすれば、会社のそばで稽古するとなっても、それこそ『遠い』と文句をいって行かないということをしてもいいんだぞ、といいたくなる。
稽古したければ、多少の不便は許容できるはずなんだけどなぁ。
それこそ、稽古場所に対して理想を求めるだけで現実的なところを受け入れられていないんじゃないの?と思う。
なんか、いろいろめんどくさくなってきた。
『会社』という枠組みで集まった人、これって、剣道はどうしても二の次なんだよなぁと思う。
だったら、それこそそんな枠を取っ払って、自分で同士を集めたサークルのような集団を形成したほうがよっぽどスムーズかなぁと思ってしまう。
現状のレベルがどうのこうのという話ではない。
逃げの姿勢が今日はなんだか本当にいやだった。
愚痴っぽい、というか完全に愚痴になってしまったが、上達したいんだったら考えろよ、と思った。
与えられる環境が本当に十分なのかどうか、自分でちゃんと考えろよ、と思った。
大人は逃げ道をいくらでも作れてしまう、便利な生き物だ。