獅子風蓮のつぶやきブログ

日記風に、日々感じたこと、思ったことを不定期につぶやいていきます。

対話ブログ・ラストステージ:獅子風蓮の登場 その8

2021-06-14 04:32:34 | 対話ブログ

●たらこ唇の天使(2021年1月24日 02:33)

〉たらこ唇の天使さんに御願いですが、相手が信じている対象について、もう少し敬意を払った
〉表現をしていただけないでしょうか。

獅子風蓮さま:
 お気を悪くさせてしまったようでごめんなさい。「謗法払い」のせいで破壊された文化財たち、具体的には
(1)板割浅太郎の位牌、
(2)65年以上も昔、福島県下で放火された観音堂(『板本損偽作論』)、それから
(3)比叡山のふもとで、代々お寺の事務を執っていた家柄に伝わる仏像たち(『私が入信を決めたこの一言』天台宗篇)……これらの明らかに貴重な文化財が、「大御本尊」のような日蓮大聖人とは実のところ何の関係も無い捏造物のために地上から永遠に失われたことを思うと、どうしてもあの崇拝対象物へは好感をいだけず、それであんな言い方になりました。ごめんなさい。 
 思えば明治以来、あのキリスト教だって、日蓮正宗・創価学会並みの「謗法払い」をやっておりました。焼かれた位牌や仏像の量では、日蓮正宗・創価学会も顔負けでしょう。でも、キリスト教が日本社会へ与えた功罪を計り比べますと、功績のほうが罪悪を上回っております。しかるに日蓮正宗・創価学会が、日本社会へどんな実(じつ)のある恩恵をもたらしただろうか? 強いて言えば共産党に流れ込むべき貧しき民衆を迎え入れ、日本の左傾化、社会主義かを防いだことぐらいではありませんか?

 改めて心より暴言をおわび申し上げますとともに、それでも日蓮正宗・創価学会が「謗法払い」について公式に詫びて頂きとうございます。これをやってこそ初めて、日蓮正宗・創価学会がキリスト教を凌ぐ好感と敬意とを、非信徒からゲットできるのではないでしょうか?

 最後に、あなた様が佐藤優氏の創価へのすり寄りについて分析なさったお言葉、深く深く敬服しております。今後、佐藤氏の動向を見るうえで、大いに参考とさせて頂きます。あなた様の日蓮正宗を代表する知識人としての前途を幾重にも念じ上げつつ。

●signifie(2021年1月24日 02:45)

獅子風蓮さん、たくさんコメントしていただいてありがとうございます。
大変な量だったので驚きました。
うわっ長い!と思ったら「白バラ通信 パンドラの箱」の高倉さんのブログをコピペされていたんですね。高倉さんは9年前に私がこのブログを始めるきっかけを作っていただいた方で、とてもお世話になっています。2年半前にこのブログが突然閉鎖されるというアクシデントにあったときも、しっかりとフォローしていただいた方で、このブログはいつもご覧になっていただいていますし、コメントもしていただいています。「東村山女性市議転落死事件」も「白バラ通信 パンドラの箱」もこのブログの読者は大抵読まれておられるので、よそ様のブログを無断で引用せずとも、それを前提に話されて結構です。
獅子風蓮さんのコメントを読ませていただいて感じるのは、獅子風蓮さんは良し悪しは別にして創価学会を宗教だと考えているのではないかと思いました。確かに獅子風蓮さんは創価学会を言葉では否定しているようですが、戸田や池田をどこか肯定しているというか、そこになると突然トーンが落ちてしまうようですね。だから獅子風蓮さんが創価学会をまだ宗教だと思っているのではないかと思って「獅子風蓮さんは創価学会を宗教だと思っているのですか」とお尋ねしたんです。もしかしたら「創価学会の活動をしてプラスになる人がいれば、それはそれでいいんじゃないか」と考えていらっしゃるのかなと思った次第です。もっと言うなら「創価学会はひどい宗教なので、教義が同じ日蓮正宗に移ったけれども、そこも熱心に信じるほどの魅力がないと感じている」といった感じでしょうか。つまり創価学会も日蓮正宗も良し悪しは別にしても宗教であることには変わりがなく、今後の動き次第では良い宗教に変わることができるのではないかと思っているのかなと思ったのです。もしそうであれば、私やここにいらっしゃる多くの創価経験者で「創価は宗教ではない」と気づいて脱会した方や、事情があって脱会できないで苦しんでいらっしゃる方とは、決定的に創価に対する考え方が違っていると思いました。
ただ獅子風蓮さんの話が多岐にわたり、一貫性がないので判断に苦しみます。
曽根俊矢さんやSGKMKさんに対しても「理解できます」「同感です」と言われていますが、獅子風蓮さんのコメントを読むと、本当にそうなのかな?とクエスチョンマークが出てきてしまうんです。
私の文章は長くてまどろっこしくて読みずらいとは思いますが、獅子風蓮さんの文章は私以上に理解しがたいです。正直申しまして、獅子風蓮さんのブログも、全部読んだわけではありませんが、結局何が言いたいのか、何をどう思っているのかがわかりませんでした。だからこそ「獅子風蓮さんは創価学会を宗教だと思っているのですか」とお尋ねしたんです。そしてたくさんコメントしていただきましたけれども、それでもわかりません。
レヴィ=ストロースや森鴎外やヴィトゲンシュタインの話は、私も知らないわけではありませんが、ここでそれらの話をされると返って話の内容をぼかしてしまうように思います。
おそらくそう感じているのは私だけではないだろうと思いますので、互いが理解をするためにも、単刀直入にお話をしていただけると嬉しいです。
大変失礼な言い方になってしまって恐縮ですが、もう少し言いたいことを整理してコメントしていただけるとありがたいです。
例えば最後にヴィトゲンシュタインの言語ゲームの話になぞらえて、
『私の場合で言えば、日蓮正宗・法華講という集団の中で、「日蓮大聖人も日寛教学も大御本尊も日蓮正宗も正しい」というルールに従って、信仰をする限り、心の安心が得られるということです。もし、そのルールが社会的にまずいと思ったら、ルールの変更を提案します。それが受け入れられなければ、レッドカードをもらうだけです。』
と書かれていますが、獅子風蓮さんはそのことについてどう思っているのかが読んでいてわからないのです。「ルールに従って信仰をする中で、そのルールがまずくなったら変更すればいい」ということに対して獅子風蓮さんは賛同するという意味でヴィトゲンシュタインの理論を引用されたのでしょうか?もしそうであれば「創価学会も日蓮正宗も時代に即したルールの変更をすればいい宗教になる」と考えているのかなと思ってしまいます。そうなると獅子風蓮さんは創価学会を良し悪しは別にしてもいい宗教に変化する可能性のある宗教であると考えていることになるからです。
何度も同じ質問をして申し訳ありませんが、単純に「獅子風蓮さんは創価学会を宗教だと考えているのでしょうか?」この質問に単刀直入に答えていただかないと、話が先に進まないんです。このブログの皆さんとの相互理解のためにもよろしくお願いします。


解説
シニフィエさんは、ここで私に対して「獅子風蓮さんの話が多岐にわたり、一貫性がないので判断に苦しみます」と批判しています。
また、レヴィ=ストロースや森鴎外やヴィトゲンシュタインの話を持ち出したことを暗に批判し、私が話をはぐらかせているかのように言っています。
また「大変失礼な言い方になってしまって恐縮ですが、もう少し言いたいことを整理してコメントしていただけるとありがたいです」と言ってますが、理解できないのはシニフィエさんの理解力の問題なのではないでしょうか。
あるいは、別の意図があったのでしょうか。
今考えると、シニフィエさんの得意な印象操作だったのかなと思います。

私は、たらこ唇の天使さんの質問に答えるため、分かりやすいように、レヴィ=ストロースや森鴎外やヴィトゲンシュタインの話をしただけなのです。
落ち着いて読んでいただければ、理解していただけるはずです。
たらこ唇の天使さんは理解力のある方なので、私の説明を受け入れてもらえたはずです。