獅子風蓮のつぶやきブログ

日記風に、日々感じたこと、思ったことを不定期につぶやいていきます。

対話ブログ・ラストステージ:獅子風蓮の登場 その4

2021-06-10 11:38:27 | 対話ブログ

●たらこ唇の天使(2021年1月22日 23:16)
 獅子風蓮さまは、御本人がどう謙遜なさろうが、聡明無比なお方、誰もがため息をつくような学歴の持ち主ゆえ、創価学会も、今現在御所属の日蓮正宗も、これまではちょうど旧ソ連政府がサハロフ博士ら知名度の高い反体制知識人を扱うような感じで、それなりに礼節をもって対して来たのではありませんか?まあ石原さとみさん母娘(お母様は竹藪金庫事件の実情を御存知のはず)ほどの特別扱いではないにしても、獅子風蓮さまほどの人にうかつに手出しはできぬはず。そのことは、今後在籍の日蓮正宗にあっても同様かと愚見されます。
 今後かりに、獅子風蓮さまが歴代法主らについてもう少し批判めいたことを語った時、日蓮正宗当局が牙を向くかどうか?失礼ながら「男ならやってみな」(昭和初期の、男性に浮気を勧める流行歌の一節)という思いを禁じ得ません。
 私に言わせれば、「夜の街の女性」と遊んでいて父親の死に目に逢えなかった、という点では日顕さんも、作家渡辺淳一氏も全く同様です。愛すべき男でさえあります。問題は日蓮正宗にあっては、そのようなごく普通の男性を日蓮大聖人の御代官さまとして崇め奉らねばならない、ということです。獅子風蓮さまはそういう、外部の人からすればおよそあほ臭い教義や、美観ゼロのただの板切れでしかない(失礼…)幸福製造機クンをほんとに心の底から信じていらっしゃるのでしょうか? モノに罪はありませんが、幸福製造機クンの名のもとに、かつて全国各地で謗法祓いの名のもとに進められた文化財破壊の数々を思えば、ちょっとぐらい「彼」を笑ったところで、なんのこともあるまいと思います。
 日本では仏像も位牌も、多くの場合、それへの書き込み(墨書銘)によって、精緻な家系図を兼ねていることが多い。「創価学会よ、正宗よ、とんでもない事をしてくれたな!」という思いをお持ちの歴史家は、決して少数ではありますまい。

●曽根俊矢(2021年1月22日 23:22)
曽根俊矢です。

シニフィエさんのコメントを拝見して、自分の考えがまとまったように感じます。

戸田の有名な女癖の悪さや極度のアル中だったことも、私としては尊敬できない要素の一つであるし、池田に至っては広域暴力団の組長よりもはるかに反社会的で何百万人もの純粋な人々を不幸にしてきたという点では、決して許されることのできない人物だと思いますし、それも途中から変容したのではなく、創価に入会する前からそうした人格であったと思われます。

上記のシニフィエさんのコメントが表現したかった事でした。
とても許せない気持ちを代弁してくれる方なので、シニフィエさんをリスペクトしています。
それは、シニフィエ教と揶揄される事には、当たらないと考えています。
その辺の獅子風蓮さんの率直なお考えをお聞きしたいと思います。
獅子風蓮さんの考えを理解し、心の澱を緩和したいとの欲でしかありませんが、宜しくお願い致します。


解説
2021年1月22日 23:22の曽根さんのコメントを読むと、曽根さんがシニフィエさんの影響を強く受けていることが分かります。

なお、曽根さんのこのコメントは、例の新スレッド立ち上げの際に、新スレッドに移されていません。
シニフィエさんあるいは曽根さんにとって、都合の悪い内容だったのでしょうか?


対話ブログ・ラストステージ:獅子風蓮の登場 その3

2021-06-10 00:09:04 | 対話ブログ

●曽根俊矢(2021年1月22日 17:29)
曽根俊矢です。

獅子風蓮さん。
はじめまして。大変興味を持って拝見しています。
理路整然と読み易く分かりやすい文章で、凄いと思いブログの方も拝見しています。
私も、SGKMKさんの指摘していた事と全く同じ考えを持っていました。

私は、創価に賛同出来る部分は一欠片も持てません。
この社会に、善人のフリをしてのさばるとんでもない事だと許す事は出来ない犯罪組織だと認識しています。
路線変更、ソフト体勢などイメージを変えることでは許さない反倫理、反道徳、反社会的な犯罪行為を含む過去の事実を無かった事にして、その上に何が築けるのか。

学会はソフト路線に舵をきったといわれています。
「四箇格言」はひっこめて、折伏は無理をせず、今後はF取りなどの無理な選挙活動も控える流れのようです。
ある意味で、40年前の私の提言が一部実現しつつあるように思われます。
しかし、肝心な批判拒否体質、過去の誤りをきちんと反省すること、過去に犯した犯罪行為を明らかにして、関係者に謝罪すること、宗門との抗争で謀略に満ちた汚い戦略をとったことへの反省と謝罪などはなされないままです。聖教新聞の多部購読や高額の財務を実質的に推進して、会員を苦しめてきたことの謝罪と改善などもなされていません。

獅子風蓮さんのコメントにあったように、これらの過去の、欲を満たす為に沢山の犠牲者と不幸を見過ごすどころか、仏敵と攻撃を加えてきた事をどう説明するのか、とそんな感情しか創価に持てません。
その創価の事実があるにも、これから良くなるとか、路線を変更していい組織に生まれ変わると言われても、憤りしか持てない気持ちでいます。
創価をやめたのだから、違うことに目を向けて生きていければ、幸せだと思いますがそれが出来ないでいます。
創価の信仰に影響されて、自身の過去にして来た事に蓋をして生きていく事を、自分の心が許さないからです。
原田をはじめ、創価首脳幹部を見ると腹立たしく、気持ち悪く、叩き斬ってやりたいと今でもそんな感情を持て余しています。
早く無くなればいい、社会の癌であると、私はそのように創価を見ています。
ですから、獅子風蓮さんのような、文章からその人格が滲み出ているような方が創価をアンチの視点から擁護するような発言を大変疑問に思っています。
考え方は人それぞれですが、創価の事になると人それぞれと考えられなくなる感情にうまく折り合いを付けれなくなっています。
創価が再生するなんて詭弁だと考えます。

●SGKMK(2021年1月22日 19:08)
この動画も長いのですが、向陽さんが日蓮も愛読したと言われる貞観政要と紹介してくれたので、かなり解り易い説明動画です。
『世界最高峰のリーダー哲学書』


読んでもいいとは思いますが、かなり時間がかかりそうですね。
獅子風蓮さん、私は獅子風蓮さんを否定している訳では有りません。創価学会員は騙されていて可哀想だと思っているだけですよ。
誤解しているとも思ってませんよ。創価学会本部は少しはまともな宗教団体だと考えている方なのかと思っているだけですよ。創価学会も日蓮正宗も信仰の対象を与えてくれたと考えてますが、それに祈ることで願いが叶うと思ってますよね。
文字曼荼羅が祈る対象なのですよね。
私たちは創価学会や日蓮正宗に感謝の気持ちは有りませんよ。
騙されていたとしか思えないのですから。
非活壮年SGKMKでした。

●曽根俊矢(2021年1月22日 22:21)
曽根俊矢です。

SGKMKさんは、会ってみたくなるようなコメントをされますね。
妄想が妄想を呼び、訳分からん状態ですが大変魅力的なSGKMKさんです。
私は学も教養も無く料理の事しか知らない人間だと認識してから、危機感のような学習意欲が湧いています。
先程の貞観政要も唐も何も詳しく知らないアホですから、シニフィエさんのブログで視野を広げられた事も、実はリスペクトの要因だと思います。
皆さん頭が良さそうで最初は、コメントをするのも憚られる思いで5年もロムでした。
会話など好きな方ですが、シニフィエさんのブログをこのように、クオリティーを下げるのではないかと不安でした。
先程のコメントを送信した瞬間に、創価に対する憤りのような感情が少し緩和される気持ちも自己解決出来ない子供のようで恥ずかしく思います。
創価に関わらなければ出来なかった体験も、自身の大切な財産だとは思いますが、だからと言って創価を甘く見るような思考は間違いだと強く訴えていきたいと思っております。
シニフィエさんのブログにコメントしてくださる方々に感謝している曽根でした。
ありがとうございます??

●signifie(2021年1月22日 22:35)
獅子風蓮さん、詳しくお返事をいただき恐縮です。ありがとうございます。
獅子風蓮さんのHPの文章量が膨大なので、少ししか読まずに印象だけで勘違いしたところがあったようで申し訳ありません。
しかし今だに獅子風蓮さんが創価をどのように思っているのか、今ひとつわかりません。
私の考えと一致しているとは言われておられますが、なんとなく「戸田も池田もいいところもあれば悪いところもあって、はじめは純粋に人のために創価学会を指揮していったが、途中でおかしくなった」というふうな印象を受けました。もしそうだとすると私の考えとは全く違います。
曽根俊矢さんやSGKMKさんと私の考えが同じだとは思いますが、獅子風蓮さんとはかなり考え方の違いがあるように思いました。もちろん違う考えが悪いというのではありません。獅子風蓮さんなりの考えをどうこういうつもりもありません。互いの考えをはっきりさせて理解するために質問をさせていただいた次第ですので、お気を悪くされないでくださいね。
戸田の有名な女癖の悪さや極度のアル中だったことも、私としては尊敬できない要素の一つであるし、池田に至っては広域暴力団の組長よりもはるかに反社会的で何百万人もの純粋な人々を不幸にしてきたという点では、決して許されることのできない人物だと思いますし、それも途中から変容したのではなく、創価に入会する前からそうした人格であったと思われます。