獅子風蓮のつぶやきブログ

日記風に、日々感じたこと、思ったことを不定期につぶやいていきます。

対話ブログ・ラストステージ:獅子風蓮の登場 その9

2021-06-26 03:28:00 | 対話ブログ

●signifie(2021年1月24日 03:21)

創価学会では日蓮正宗と同じく日蓮を末法の御本仏だということを前提にしている点で、世界中の宗教とは決定的に孤立した教義であるところが特徴だと思います。そして日蓮正宗は極端に特殊な教義をもつ宗教であり、その特殊性を道具にして会員からお金を巻き上げるためにできたのが創価学会だと私は思っています。私の考えとしては良い悪いは別にして日蓮正宗はかろうじて宗教ではありますが、創価学会は戦後に戸田が一から始めたときから完全に詐欺集団であり、日蓮正宗の教義は単なる詐欺の道具に過ぎなかった。だから創価が日蓮正宗から破門されても解散することなく、教義をガラリと変えてしまってでも会員からお金を巻き上げることをやめずに今に至っているのは、創価学会が宗教ではなく詐欺だという証拠でもあります。しかし破門されてからの創価に疑問を抱く会員が続出して会員は減る一方で、もはや再生不可能な状況にまで追いやられているというのが現実です。だから「もし創価学会が心を入れ替えて、会員のための組織になることができれば」などという仮定はありえません。それは例えるなら暴力団が心を入れ替えて一般の人たちのために尽くすような慈善団体になったらいいじゃないかぐらいの途方もない仮定に過ぎないということです。意味のない仮定です。創価は初めから宗教などではない。最初は日蓮正宗にパラサイトして、それが限界にきたら日蓮正宗を徹底的に悪者にして、教義を変更して会員を騙し続けてきました。

 

●signifie(2021年1月24日 05:40)

どなたかがおっしゃっておられましたが、創価学会が教義を変更し、邪宗を他宗と言い換えて他の宗教を否定しなくなったり、強引な折伏をしなくなったのは、創価が過去に会員にさせてきた人権無視の行いを反省して改めたのではなく、そんなことが通用しなくなっただけの話です。改善策ではなく、それでは会員を騙せなくなったから止むを得ずソフト路線に切り替えて会員がずっと騙されてくれるようにしたまでのことです。
そもそも日蓮の教義の特徴は、人間の不幸の原因は間違った宗教にあるとするところです。同時に自分(日蓮)の考えだけが正しいというとんでもなく独善的な考えが特徴で、中でも日蓮正宗では仏教なのに教祖である釈迦をさしおいて自分(日蓮)こそが世界を救う力のある末法の御本仏だと言ったことになっています。それが本当だとしたら、私に言わせれば日蓮はただの悩乱坊主です。
こう言うと獅子風蓮さんから「相手が信じている対象について、もう少し敬意を払った表現を」と言われそうですが(笑)、私はそれはちょっとおかしいんじゃないかと思います。話をしている相手に敬意を払うのは人として当然だとは思いますが、その人ではなくてその人が信じている対象、つまり創価や日蓮正宗で言えば御本尊だったり日蓮だったり池田大作だったりするわけです。幸福の科学の信者にしてみれば、全知全能の神の化身であるところのエル・カンターレ大川隆法その人になります。オウム真理教の信者にとってはグルである麻原彰晃になります。私は少なくとも大川隆法や麻原彰晃に敬意を払うことなどできません。同様に、日蓮正宗や創価学会が言うところの日蓮に敬意を払うことはできません。話し相手が池田を人生の師匠と信じている学会員だとしてもその人には敬意を払いますが、だからと言って池田大作に敬意を払う気になどなれない私は人としておかしいのでしょうか。日蓮は悩乱坊主だし池田大作は極悪人だと思っていても言わないのが相手に対する思いやりなのでしょうか。わたしはそこまで人間ができていませんから、必要であるなら思ったことを正直にいうのはちっともおかしくないと思います。
いつも言うことですが、学会員さんが創価を信じていることに対してあれこれいうつもりはありません。創価に少しでも疑問を持っていて悩んでいる学会員さんに対しては「自分でよく考えた方がいいんじゃないですか」と言いたいのです。自分で考えたら、創価は信じるべきものではなかったと自分でわかったからです。自分で考えない人にいくら言ってもわかりっこないということがこのブログを通じてもわかったし、かつての自分も自分で考えることを避けていたから50過ぎまで創価が詐欺だと気づかなかったとわかりました。

 

●曽根俊矢(2021年1月24日 09:07)

曽根俊矢です。

シニフィエさん。いつもありがとうございます。

獅子風蓮さん。
ご丁寧に私に対するコメントにお応えしていただき感謝と、獅子風蓮さんの誠実なお人柄に敬意を持っています。
コメントを拝見して率直に感じた事は、創価の中枢に同窓の方がいらっしゃって、その方の身を案じて創価に未来があって欲しいと考えていられるのかなぁと。
大変恐縮ながら、獅子風蓮さんの優柔不断な部分がそんな所に出ていて、スタンスがよくわからない、獅子風蓮さんの考えている事を理解できかねるので誤解が生じてくると考えます。
私のコメントに対し獅子風蓮さんは

少し誤解があるようです。
私は、現在の創価学会の組織は、学会員の貴重な時間とカネの搾取のシステムの上に成り立っており、公明党という政治勢力を支配することで、日本の政治をもゆがめ、社会に害毒を与える存在でしかないと思っています。
ですから、シニフィエさんから創価学会に未来はあるかと問われて、
「結論、今のままでは、創価学会に未来はありません。」
と、答えたのです。

との事ですが、この今のままでは、という一言に獅子風蓮さんの創価に対する考え方が現れていると見ています。
煮え切らない、どのように考えていらっしゃるのか、どっちとも取れるような発言に誤解がついてくると私は感じています。
そして、宗教として創価は生まれ変わっていい組織運営をするべきだとの考えも読み取れてしまうので、創価は癌のような組織だから取り除かないと社会に悪を撒き散らし続け、それにより苦悩する人々が増えるだけではないかと私は言いました。
日蓮信仰で心が救われる人が居るからいいという考えは、非常に危険だと考えています。
日蓮正宗も創価と手を組み発展した経緯から、社会に非を認め謝罪することから、再スタートしなければならない事があるはずだと考えますが、そこはスルーしている姿勢が信仰者としてあるまじき事だと思います。
私の考えを書こうと思いましたが、シニフィエさんのコメントと同じ事の繰り返しになるのでやめておきますね。
シニフィエさんが私の言いたい事を言ってくださっています。

獅子風蓮さんを悪く思うわけでは無いとご理解ください。


解説
最初のシニフィエさんのコメント2つは新スレッドに移されていません。
その後の曽根さんのコメントは、上のコメントと切り離されて新スレッドに移されました。
その結果、どういう背景で曽根さんが日蓮正宗に対して、「社会に非を認め謝罪することから、再スタートしなければならない」とまで激しく非難するのか、分からなくなってしまうのです。