獅子風蓮のつぶやきブログ

日記風に、日々感じたこと、思ったことを不定期につぶやいていきます。

対話ブログ・ステージⅢ:鯛焼きさんとの対話(8)

2022-10-14 01:59:34 | 対話ブログ

ひきつづきシニフィエさんと創価学会の現役活動家・鯛焼きさんとの対話をシリーズで掲載します。
後の検証のため、通し番号をつけました。


【27】signifie(2018年7月25日 17:35)

すみませんが、私から質問は24日の23:04のコメントの最初のほうにあります。

>もう少し確認させてください。もし創価学会の教えが日蓮仏法の教えではなくなったら、鯛焼きさんはその日蓮仏法をベースとしない創価学会の教えであっても信じるというわけでしょうか?鯛焼きさんに訊きたいのはそこなんです。何をもって信じているのかです。それが創価だから?創価だと教義や御本尊が変わっても信じられるから、多少おかしなことがあっても基本的には信じられるということでしょうか?今まではたまたま創価学会が日蓮仏法の教えをベースにしていたからそれを信じているのであって、もし「創価が今日からは別のご本尊にします」と会長が言えば今までのご本尊は捨てて、新しいご本尊を拝むということですね。

のところです。
その後に鯛焼きさんの23:21のコメントの最後に
>本題につきましては、また明日以降、よろしくお願いします。
とありましたので、お返事を待ってたつもりだったのですが、私の勘違いだったでしょうか。

鯛焼きさんは上の私の質問の前に
>ですので「日蓮大聖人の教えをベースにした日蓮正宗の教え」は信じませんし、同じく「日蓮大聖人の教えをベースにした顕正会、立正佼成会の教え」も信じません。これはありえませんが、もし「親鸞聖人の教えをベースにした創価学会の教え」に変質してしまったら当然信じませんよ(笑)

と回答されているので、その後のわたしが似たような質問をしてしまったので、すでに答えたと思われたのかもしれませんね。すみませんでした。
では、もう少しわかりやすく具体的に質問させていただきますね。

鯛焼きさんは、自分は日蓮仏法をベースとした創価なら信じるけど、もし創価が親鸞の教えがベースに変わればさすがに信じませんということでした。それはわかります。
で、私があらためて聞きたかったのは、鯛焼きさんが何を信じるかの決め手となるのは何ですか?という質問です。どういうことかと言いますと、
創価の教義も4年前までは日蓮正宗がベースというより日蓮正宗と同じ教義でした。創価は1991年に破門されてからは教義はそのままに、勝手にご本尊を自作して会員に買い替えさせました。つまり鯛焼きさんは4年前までは日蓮正宗の教義を信じていたわけです。それから創価はやっと日蓮正宗を全否定して教義も変えました。そのときを境に鯛焼きさんは日蓮正宗の教義を信じなくなりました。それで鯛焼きさんは突然出てきた創価独自の教義に驚きはしたけども自分なりに納得して信じることにしたわけです。
もしこれから先に創価の教義が池田本仏論に変わったとしても信じますか?創価は本尊の解釈を変えるくらいですから、本仏だって変えるかもしれません。例えばご本尊の真ん中の下に書いてある日蓮の文字が池田になって、学会員は全員これに買い替えて、今までのは捨ててくださいと言われたら言われたとおりにしますか?そのあたりも考慮に入れた上で、繰り返しますが、鯛焼きさんは自分が信じる信仰の対象を何をもって決めるのでしょうか?という質問です。もっと簡単に言うと、鯛焼きさんは何を信じているのでしょうか?という根源的な質問をしたつもりです。それとも「そんなのその状況になってみないとわからない」といった感じでしょうか?鯛焼きさんとしては4年前までは日蓮正宗の教義でもよかったわけですけども、創価がこれからはこれですよと言われたらそれに従ったわけです。もし次に創価の本仏が変わったら、そのときも創価の言う通りに従うのかどうかを考えるときに、はたして自分は何を根拠に自分の信じるものを決めてきたのだろうということです。
これは余計なお世話でしょうけど、信仰の対象や宗教の教義ってそんなに変わっても気なならないものなのかなあという私の素朴な疑問でもあります。だからよけいに鯛焼きさんが「疑問に思わないし不満もない」とキッパリ言われたのが不思議なんです。永遠不滅の普遍の法則であるはずの仏法の教義や本尊が教団組織の都合に合わせて変わっていいものなのかなあと単純に思いました。
以上、これが私が鯛焼きさんに聞きたかったことです。
わかりにくくてすみませんでした。


【28】鯛焼き(2018年7月25日 21:16)

管理人様は、頭は良いんでしょうが事実誤認が著しく、勝手な思い込みが激しいように思えます。特に、前にも書きましたが「会則変更の際の本尊論」がこちらの認識とは全然違います。ですので、その点を説明しようと「本尊論から三大秘法論にレベルアップ」云々と私がコメントしたところ、

>鯛焼きさん、私たちにすれば本尊論がレベルアップしようとしまいと、所詮創価学会は詐欺集団でしかないんです。
>教義もへったくれもないってことです。

とご回答いただきましたが、まさに創価シャッター以上です(笑)

時間がない中で対話くださっている管理人様としては、すぐに答えが欲しいところなんでしょうが、こちらとしては、勝手な思い込みのまま質問されても困るわけで、まずは、その質問の前提条件である「思い込み部分」を訂正して頂かなくては答えようがないのです。

分かりやすく言えば、勝手に「これはこー。アレはあー」と解釈したうえで「で、これはどうなの?」って聞かれたようなもの。となると、こちらとしては「いやいや、これはこーじゃないし、アレもあーじゃないんです。」とまず説明しなくちゃ先に進めない。

つまり(私の立場からすれば)管理人様は間違った設問を出しているんです。まあ昨今、大学の入試問題でも間違えた設問が明るみになってますので(笑)

冗談はともかく、では改めて今回の管理者様の質問に、事実誤認等に関しては注釈を加える形で長くなりますが回答いたします。

>創価の教義も4年前までは日蓮正宗がベースというより日蓮正宗と同じ教義でした。
>創価は1991年に破門されてからは教義はそのままに、勝手にご本尊を自作して会員に買い替えさせました。

1993年9月の時点で「弘安2年の御本尊=本門の本尊とするルール」以外の日蓮正宗の教義は用いてません。
また、破門された後ですので「勝手に」の主語が不明ですが、御本尊を創価学会で授与することは当然なわけで、もし宗門が主語であればあてはまりません。つまり「勝手にご本尊を自作」というのは事実誤認です。

>つまり鯛焼きさんは4年前までは日蓮正宗の教義を信じていたわけです。それから創価はやっと日蓮正宗を全否定して教義も変えました。
>そのときを境に鯛焼きさんは日蓮正宗の教義を信じなくなりました。

先程同様、確かに「弘安2年の御本尊のルール」は採用してたので、それは信じてましたが、あとは1993年の時点ですでに用いてませんし信じてません。

>それで鯛焼きさんは突然出てきた創価独自の教義に驚きはしたけども自分なりに納得して信じることにしたわけです。

これまでの本尊論から脱却した三大秘法論ですが、大聖人の教えに合致してるので納得しました。

>もしこれから先に創価の教義が池田本仏論に変わったとしても信じますか?創価は本尊の解釈を変えるくらいですから、本仏だって変えるかもしれません。
>例えばご本尊の真ん中の下に書いてある日蓮の文字が池田になって、学会員は全員これに買い替えて、今までのは捨ててくださいと言われたら言われたとおりにしますか?

池田本仏論なるものは「日蓮大聖人の教え」ではありませんので、もしそうなっても信じません。本尊の解釈を変えるのはアリですが、本仏を変えるのは「日蓮大聖人の教え」ではありませんので変えません。もし変えたら信じません。

日蓮の文字が池田、って部分も「日蓮大聖人の教え」に背く「創価の教え」ですので、買い替えないし言われた通りにはしません。

ただしですよ。ありえない話ですが、ある御書が新たなに発見されたとして「日蓮ではなく、池田と書いても構わない」なんて御書が出てきたら従います(笑)
それが、本当に日蓮大聖人の教えだとしたらです。でも絶対にありえません!

>そのあたりも考慮に入れた上で、繰り返しますが、鯛焼きさんは自分が信じる信仰の対象を何をもって決めるのでしょうか?という質問です。
>もっと簡単に言うと、鯛焼きさんは何を信じているのでしょうか?という根源的な質問をしたつもりです。

「日蓮仏法をベースとした創価学会の教え」を信じてますし、それに合致してるか否かで判断します。つまり日蓮仏法をベースした教団は数多くありますので「日蓮仏法を信じる」だけだと不明確。あくまでも「創価の教え」とセットでなければ信じられない、ということです。

>それとも「そんなのその状況になってみないとわからない」といった感じでしょうか?
>鯛焼きさんとしては4年前までは日蓮正宗の教義でもよかったわけですけども、創価がこれからはこれですよと言われたらそれに従ったわけです。

「弘安2年の御本尊のルール」を変更した、その概念がよく理解できたので従いました。

>もし次に創価の本仏が変わったら、そのときも創価の言う通りに従うのかどうかを考えるときに、
>はたして自分は何を根拠に自分の信じるものを決めてきたのだろうということです。

繰り返しますが「日蓮仏法をベースとした創価学会の教え」を信じてますし、それに合致してるか否かで判断します。

>これは余計なお世話でしょうけど、信仰の対象や宗教の教義ってそんなに変わっても気なならないものなのかなあという私の素朴な疑問でもあります。
>だからよけいに鯛焼きさんが「疑問に思わないし不満もない」とキッパリ言われたのが不思議なんです。
>永遠不滅の普遍の法則であるはずの仏法の教義や本尊が教団組織の都合に合わせて変わっていいものなのかなあと単純に思いました。

前にも書きましたが、日蓮大聖人の教えである御書だとか御本尊の相貌などは不変。変えてはいけない。でも、御本尊をどうするかについては後世にまかせてあるので、決して教団組織の都合ではなく、時代状況に応じて変えたものと理解してます。

こういうスタンスです。

要は「創価だから」という単純な理由で信じているわけではなく、あくまでも、それが「日蓮大聖人の教え」とマッチしてるかどうか、ということです。よろしくお願いします。


【29】signifie(2018年7月26日 02:47)

鯛焼きさん、お忙しいところ丁寧なお返事ありがとうございます。鯛焼きさんのお考えはわかりました。
おかげさまで昨日一日のアクセス数が9,993でした。このブログを通じて創価学会現役活動家の声が多くの人に届いています。引き続きご協力をお願いします。
鯛焼きさんとの対話はなかなか噛み合わないのはある程度承知していましたが、私もかなり文章がながくなったり、余計なことまで話してしまうこともあって、論点がずれ込んだりぼやけたりしてしまいがちだなと思いました。したがってこれからはできるだけ対話が続けられるように、もう少し私も話を絞りこんで、一問一答で進められるようにしたいと思います。よろしくお願いします。
さて、別スレでは日顕撲滅唱題会が今も行われているという話で進行中です。鯛焼きさんも支部長さんなので関わっておられることと思います。この件に関してのお話も聞きたいと思いますが、皆さんからもう少し具体的な報告が集まってからにしたいと思います。
私は創価が破門されたあとの日蓮正宗に対する創価のものすごいバッシングの頃に非活になり、6年前に脱会したので、20年近く創価の現場を知りません。なのでこのブログの皆さんから教えてもらうことが創価の情報ということになります。ただ、20年前の私が知っている創価の現場よりも目に見えて衰退していることはヒシヒシと感じます。
今現在、創価学会員が何人いるのかは、創価自体が公表しないのでわかりませんが、参議院選挙の公明党の得票数減り続けており、すでに700万票を切ったところを見ると、活動家の数はやはり200万から多くても300万人に満たないと思われます。一般のマスコミもおおよそそんな感じで把握しているようですが、中には実質的な活動家はもはや100万人にも満たないのではないかというジャーナリストもいます。そして鯛焼きさんの支部でも3割減とおっしゃるように、これから先に、創価学会員が増えるようなことはまず現実的には考えられないと思われますよね。これは少子高齢化が原因の自然減の比ではなく、明らかに創価に疑問を持ち、このブログのような創価経験者による創価の真実の声を知ることによって、創価は宗教ではなく詐欺であって、自分ははじめから騙されていたことに気づいて脱会する学会員が急激に増えていることの結果であると思います。にもかかわらず、本幹や聖教新聞でも「いよいよ世界公布新時代がやってきた」などと現実とはかけ離れたことを会員に吹きこんでいます。創価学会員が減り続けていることは、このブログに新しくコメントされる方が増えていることや、実際に脱会できましたというたくさんの報告があることでわかりますし、アクセス数の増え具合がはっきり物語っていると思います。客観的に見て、もう創価学会はどうあっても先はない。創価学会崩壊は時間の問題だというのは鯛焼きさんも認めざるを得ない現実ではないかと思うのですがいかがでしょうか?これから先、創価学会員が増えて、公明党の議席も伸び、創価の目指す広宣流布が加速する勢いが、今の鯛焼きさんの支部に感じることができているのだとしたら、それはよほど特殊な地域かと思います。
そこで鯛焼きさんに質問です。正直なところ、鯛焼きさんから見て、今の創価学会に世界公布新時代が来たと思いますか?これから創価学会が世界中に広まると思えますでしょうか?また原田会長は会員に対して本気で世界公布新時代が来たと言っていると思いますか?創価の建前ではなく、鯛焼きさん自身が率直に感じるところをお話しいただけるとありがたいです。

(つづく)


解説
永遠不滅の普遍の法則であるはずの仏法の教義や本尊が教団組織の都合に合わせて変わっていいものなのかなあと単純に思いました。
以上、これが私が鯛焼きさんに聞きたかったことです。
というシニフィエさんの質問に対して、鯛焼きさんが次のように答えています。

「日蓮仏法をベースとした創価学会の教え」を信じてますし、それに合致してるか否かで判断します。

私としては、やはり鯛焼きさんの答えは、創価学会執行部の都合に合わせたご都合主義にすぎないと思います。
「日蓮仏法をベースとした」というなら、何が「日蓮仏法」の本質なのか?
その本質のすばらしさを掘り下げなければ意味がないと思いました。
私がいうところの、<構造>としての「日蓮仏法」の意義です。

この件については、シニフィエさんに軍配を上げたいと思います。

次に創価学会は明らかに衰退しているにもかかわらず「世界公布新時代が来た」などと欺瞞的なことを言っていると、シニフィエさんは鯛焼きさんを問い詰めます。
鯛焼きさんは、どう答えるでしょう。


獅子風蓮