このたび、村木厚子さんの著書『私は負けない-「郵便不正事件」はこうして作られた』を読み、検察のひどいやり方に激しい憤りを感じました。
是非、広く読んでほしい内容だと思い、著書の一部を紹介したいと思います。
(目次)
□はじめに
第一部
□第1章 まさかの逮捕と20日間の取り調べ
□第2章 164日間の勾留
□第3章 裁判で明らかにされた真相
■第4章 無罪判決、そして……
□終 章 信じられる司法制度を作るために
第二部
・第1章 支え合って進もう
◎夫・村木太郎インタビュー
・第2章 ウソの調書はこうして作られた
◎上村勉×村木厚子対談(進行…江川紹子)
・第3章 一人の無辜を罰するなかれ
◎周防正行監督インタビュー
・おわりに
期待はずれの検証報告
事件については、証拠改竄などの刑事事件の捜査とは別に、最高検が検証を行うということでしたので、期待をしていました。問題が起きた時に、組織が自ら事実を解明し、問題の所在を明らかにすることはとても大切ですし、検察も国民の信頼を回復するためにはしっかりした検証を行うだろうと思っていました。
それだけに、12月24日に公表された検証結果報告書を実際に見た時には、落胆しました。私についての逮捕、起訴、公判遂行の各段階における判断の誤りについては率直に認めていただきました。前田元検事による証拠改竄の経緯も、ある程度明らかになりました。しかし、肝心なところに、まったく触れられていません。
この事件に私は関与していませんし、関与をうかがわせる客観的証拠もまったくなかったのに、私が関与したとする事実に反する供述調書が大量に作成されました。裁判所が特信性を否定したり、信用性がないと判断する証拠がたくさん作られたのです。検証報告では、そうした取り調べの実態、すなわち、多数の検事により事実と異なる一定のストーリーに沿った調書が大量に作成された過程そのものは、まったく検証されませんでした。
取り調べの実態を解明するには、容疑者や参考人として取り調べを受けた側の人たちから事情を聴く必要があったと思います。私自身も検証への協力は惜しまないつもりでした。しかし、最高検からの接触は一切なく、事情を説明する機会もいただけませんでした。取り調べを行う検察官からのみ話を聞いて、それを元にどのような取り調べが行われたのかを判断したのであれば、不十分で偏った検証に終わってしまったと言わざるをえません。犯人の言い分だけ聞いて、被害者から一度も事情を聴かないなんて、そんな捜査がどこにあるでしょうか。
たとえば、捜査線上に最初に私の名前が浮かんだきっかけとして、検証報告書は倉沢さんの供述を挙げています。問題の証明書に押されている企画課長印は本物なので、厚労省内の者が関与している可能性が出てきて、それについて倉沢さんを調べたそうです。そうしたら、04年2月25日頃に私に会って証明書発行を頼んだこと、彼の目の前で私が郵政公社東京支社長に電話をしたこと、6月初めに再度発行を私に頼んだこと、そして私から直接証明書をもらったことを供述した、というのです。そして、こう書いてあります。
〈倉沢の供述については、検察官が村木氏に対する具体的な嫌疑を抱く前の段階で、本件犯行への村木氏への関与に関する供述を始めたもの〉
検察官から何の誘導も圧力も取り引きもなく、誤解を招くような情報提供もないのに、倉沢さんが自発的に虚偽供述を始めたかのような書きぶりです。果たして、そのようなことがありえるのでしょうか。
取り調べが録音されず、メモも廃棄されているので、残念ながら客観的事実から確認することはできません。そうであれば、取り調べた検察官の話で事実を認定するのではなく、どのようにしてその供述がなされたのか、せめて倉沢さんやその弁護人に話を聞き直して、併記する必要があるでしょう。
上村さんが私の関与を述べた供述については、次のような評価です。
〈逮捕後早期の段階で、村木氏の指示を認める供述調書が作成されるに至り、連日弁護人の接見がなされている中、その後もおおむね一貫した内容の供述調書が作成されていた〉
調書が作成された後、客観証拠であるフロッピーディスクとの矛盾を置き去りにしたとか、犯行の理由や動機についての検討が足りなかったなどという指摘はありますが、そもそもなぜ、そのような調書ができてしまったのかについての検証がなされていません。國井検事の「多数決」発言についても、裁判の経緯を説明する中で、上村さんと國井検事の公判での証言を両論併記しているだけです。
上村さんについては、こんな記載もあります。
〈上村の弁護人は、ほぼ連日、上村と接見していたが、大阪地検に対し、取調べに関する苦情等の申入れはなされなかった〉
弁護人が、苦情を申し入れられなかったのはなぜなのか、最高検はまったく聞いていません。自分たちにとって都合の悪いことは聞かず、都合の悪い証拠は挙げず、都合のいいものだけで組み立てて、問題をできるだけ小さく見せようとしているように見えてなりません。結果的には間違ったが、仕方なかった事情もたくさんある、という弁解が聞こえてくるようでした。また、大坪元特捜部長や前田恒彦元検事の仕事の進め方に大きな問題があったことはよく分かりましたが、そうした幹部を育ててきた組織の風土・文化、そうした仕事の進め方を許してきた組織の機能の在り方などが十分検証されていないのも残念でした。
普通、問題が起きたときに行う検証というのは、まず事実を明らかにして、原因を突き止めて、それに対する改善の提言を行うはずです。それがなされることで、改革が行える。ところが、最高検の検証では、肝心のところでそれができていませんでした。 元判事、 元検事、弁護士という3人の法律家が検証アドバイザーを務められ、いろいろ意見を言ってくださったようですが、それでもこういう結果でした。
国を相手に裁判をする
どうして私が逮捕されたのか、検察はなぜ間違えたのか、なぜ引き返せなかったのか、それをどうしても知りたい。検証報告書に失望した私は自分で裁判を起こして、事実の解明に努めようと思いました。国家賠償請求訴訟を起こすことを決めたのです。
私自身も国家公務員ですし、裁判は費用もかかることなので、国を相手に裁判を起こすかどうか、ためらいがなかったわけではありません。それでも、なぜ、どのようにして検察は私をターゲットにしたのかが、知りたかったのです。今回の問題に大きくかかわっていながら、責任を問われることのないままになっている人たちもいて、納得がいかない気持ちもありました。12月27日に、国だけでなく、前田、大坪両元検事に加え、國井検事を訴える裁判を提起しました。
冤罪事件に巻き込まれた人が、国賠訴訟を起こしても、まず勝てないというのが実情だ、と弁護団からは聞いていました。再審で無罪となった元死刑囚が起こした裁判ですら、敗訴しています。でも、私の目的は、裁判に勝つことではありませんでした。裁判の過程で、前田元検事や國井検事らに、直接事実関係を確かめるための裁判でした。自分がなぜ、どのようにターゲットにされたのかを調べる手段は他になかったのです。この私の思いを応援してくださる弁護団は、「負けたら費用はいらない」と、事実上手弁当でやってくださることになりました。提訴して10ヵ月ほどたったころ、弘中弁護士から、暗い声で「国が認諾するっていうんだ」と連絡がありました。「認諾」、初めて聞く言葉です。一切の弁明をせず、私の言い分を認めて賠償金を払って裁判を終わりにする、というのです。したがって、検事たちに対する証人調べもありません。支払われるお金の原資は税金です。請求金額を1億円とか10億円とか、財務省が認諾を許してくれないような額にしておけばよかったのかもしれません。でも、弁護団のこれまでのやり方は、常識的にやるというのがスタンスで、そのような現実離れした請求をすることは考えていませんでした。
国の認諾によって、私が真相を追及する手段はなくなりました。本当にがっかりしました。賠償金は、弁護士費用などの実費を除いて、社会福祉法人の南高愛隣会というところに寄付することにしました。私の気持ちを汲んで、障害のある方々の取り調べや裁判、累犯障害者(障害があるがゆえに何度も犯罪を繰り返している障害者)の社会復帰など、日の当たりにくい分野に取り組むための基金が設立されました。私が巻き込まれたのは、障害のある人にかかわる事件でしたし、そこで刑事司法の問題点が明らかになったので、賠償金はこの二つの領域にまたがる場で使ってもらおうと思いました。
取り調べや裁判で、自分の主張を分かってもらうのは、ハンディのない私でもとても難しかった。ハンディのある人の場合は、なおさら困難でしょう。そういう人たちを支援する人が必要だと、自分の経験を通して強く感じました。
障害がある人もない人も地域社会の重要なメンバー。共に生きる社会を目指したいと思い、「共生社会を創る愛の基金」と名付けました。
【解説】
どうして私が逮捕されたのか、検察はなぜ間違えたのか、なぜ引き返せなかったのか、それをどうしても知りたい。検証報告書に失望した私は自分で裁判を起こして、事実の解明に努めようと思いました。国家賠償請求訴訟を起こすことを決めたのです。(中略)
提訴して10ヵ月ほどたったころ、弘中弁護士から、暗い声で「国が認諾するっていうんだ」と連絡がありました。「認諾」、初めて聞く言葉です。一切の弁明をせず、私の言い分を認めて賠償金を払って裁判を終わりにする、というのです。したがって、検事たちに対する証人調べもありません。支払われるお金の原資は税金です。請求金額を1億円とか10億円とか、財務省が認諾を許してくれないような額にしておけばよかったのかもしれません。でも、弁護団のこれまでのやり方は、常識的にやるというのがスタンスで、そのような現実離れした請求をすることは考えていませんでした。
国の認諾によって、私が真相を追及する手段はなくなりました。本当にがっかりしました。
国は、責任を追及されそうな裁判については「認諾」という手段を使うのですね。
支払われるお金の原資は税金です。
国は、なんの痛みを感じることなく、責任追及から逃げることができます。
そういえば、森友学園問題のとき、犠牲となった赤木さんの奥さんが、夫の自死の責任を問う民事訴訟を起こしたときも、国は「認諾」することで、逃げました。
遺族の気持ちにそうために、真摯に問題に向かい合うべきだったと思います。
獅子風蓮