獅子風蓮のつぶやきブログ

日記風に、日々感じたこと、思ったことを不定期につぶやいていきます。

佐藤優『日米開戦の真実』を読む(その27)

2024-11-23 01:47:09 | 佐藤優

創価学会の「内在的論理」を理解するためといって、創価学会側の文献のみを読み込み、創価学会べったりの論文を多数発表する佐藤優氏ですが、彼を批判するためには、それこそ彼の「内在的論理」を理解しなくてはならないと私は考えます。

というわけで、こんな本を読んでみました。

佐藤優/大川周明「日米開戦の真実-大川周明著『米英東亜侵略史』を読み解く」


興味深い内容でしたので、引用したいと思います。

日米開戦の真実
――大川周明著『米英東亜侵略史』を読み解く

□はじめに
□第一部 米国東亜侵略史(大川周明)
□第二部「国民は騙されていた」という虚構(佐藤優)
□第三部 英国東亜侵略史(大川周明)
■第四部 21世紀日本への遺産(佐藤優)
〇第四章 歴史は繰り返す
〇第五章 大東亜共栄圏と東アジア共同体
●第六章 性善説という病
 □外交を「性善説」で考える日本人
 □「善意の人」が裏切られたと感じると……
 □国家主義思想家、蓑田胸喜
 □愛国者が国を危うくするという矛盾
 □大川は合理主義者か
 □大川周明と北一輝
 ■イギリスにみる「性悪説」の力
〇第七章 現代に生きる大川周明
□あとがき


――第四部 21世紀日本への遺産

第六章 性善説という病

イギリスにみる「性悪説」の力

それではここで性悪説が歴史に具体化した事例について話を進めよう。人間や国家の本質を性悪説ととらえても、それを克服するという方向で思惟を進めるのならば大きな問題は生じない。問題は性悪説の上に開き直って、力をもつ国家や民族が行動する場合だ。それはイギリスの帝国主義政策に端的に表れている。第四章で解説したように、イギリスは当面の敵を一つに絞り、それ以外を味方にするか中立化して、まずその敵を打ちのめす。しかし、敵を徹底的に壊滅することをあえて避け、敵の余力を温存しつつ、名誉を保全する形で手打ちをする。そして、この旧来の敵をイギリスの味方にする。そして、将来現れるであろうイギリスに対抗する新たな敵を、今は味方となった旧来の敵を先兵に送り込んで叩きつぶすのである。他国、他民族をイギリスにとって利用できる対象としてしか考えず、人間であれ人間の集合体である部族や国家であれ、最終的には自己保身の原理で動き、力に屈するという徹底的な性悪説からイギリスのこのようにシニカルな帝国主義政策が展開されるのである。
大川周明は『米英東亜侵略史』でこのようなイギリスの狡猾な戦略としてアロー号戦争(第二次アヘン戦争、1857~60年)を取り上げる。この戦争でイギリスはインド人を中国侵攻の先兵にしたのだ。

この戦争においてイギリス陸軍の主力は、実に一万の印度兵でありました。印度人は英人のためにその国を奪われた上、同じ亜細亜の国々を征服する手先に使われて今日に及んでおります。(英国東亜侵略史 第五日 阿片戦争)

かつての敵を徹底的に潰すことはせずに、懐柔し、将来の戦争で自国の先兵として使うというのはイギリスのお家芸だったが、第二次世界大戦後はアメリカにも引き継がれた。日本のイラクへの自衛隊派兵も、突き放して見るならば、この構造だ。東西冷戦で東側に属し、アメリカと激しく対立したブルガリアとウクライナがイラクに派兵したのもこの図式だ。
ここで大川周明は、中国がイギリスの植民地にならなかったのは、日本の存在があったからと考える。大川は日本人と中国人は「われわれ」という一人称複数形を用いるべき兄弟と考える。もっとも兄弟という言葉を用いる場合、どちらが兄でどちらが弟かということはひじょうに重要な問題であるが、大川はこの点についてはあえて踏み込まない。日本人と中国人は、「物語」を共有している。

我らの先祖は日本の歴史を学ぶと同じ程度の親しみをもって支那の歴史を学び、日本の英雄豪傑を崇拝すると同じ程度の熱心をもって支那の英雄豪傑を崇拝したのであります。(英国東亜侵略史 第六日 我らはなぜ大東亜戦を戦うのか)

兄弟である中国人に対してイギリスはアヘンを吸わせて廃人にしようとしている。中国人がアヘンの流入を阻止しようとするのは当然のことだ。しかし、イギリス人は、「お前たちはアヘンを吸い続ければいいんだ。それが嫌ならば戦争を仕掛けてやる。お前たちは戦争で俺たちに勝てると思っているのか」という実に乱暴な態度で中国人に最後通牒を突きつけている。兄弟である日本人が義憤を感じ、武力によってイギリスの野望を阻止したのは当然のことなのだ。大川の怒りは、性悪説を克服しようとする努力を払わず、「力さえあれば何でもできる」という傲慢な考えでアジアに接しているイギリスのシニシズムに対して向けられている。


もし新興日本が支那保全をもってその不動の国是とし、かつこの国是を実行する力を具えていなかったならば、すでに阿弗利加大陸の分割を終え、満輻の帝国主義的野心を抱いて東亜に殺到し来れる欧米列強は、必ず支那分割を遂行し、イギリスは当然獅子の分け前を得たことと存じます。現に支那・印度・西蔵に活躍する名高きイギリス軍人ヤングハズバンドは、支那のように土地は広大、物産は豊富、しかもその全地域が人間の住むに適する温帯圏内に横たわる国土を、一個の民族が独占しているのは、神の御心に背く Against God's Will だと公言しているのであります。
日本の強大なる武力は、幸いにして支那を列強の俎板の上にのせなかったのでありますが、それでもイギリスの政治的・経済的進出を拒むに由なく、支那の最も大切なる動脈楊子江において、とりわけイギリスの勢力は嶄然(ざんぜん)他を凌いで強大となったのであります。(英国東亜侵略史 第五日 阿片戦争)

日本の武力によって、列強による中国の分裂が阻止されたというのは、日本人の眼からすれば確かに真実である。しかし、真実が常に一つであるとは限らない。無数の事実の中からどれとどれをつなぎ合わせるかで、真実が異なることもある。中国人の反植民地活動家の眼には、日本も列強とともに中国を分割する帝国主義国の一つと映ったのである。このボタンの掛け違いにイギリス、アメリカはつけ込んだ。日本こそが中国の植民地化と奴隷的支配を目論む悪の帝国であるとの宣伝工作を行い、それが一部の中国の政治家と知的エリートの心を捉えたのである。アメリカもイギリスも国際関係は性悪説で成り立っている、すなわち各国は自己の生き残りのためには何でもするというのが現状と考えていた。しかし、人類はそのような性悪説を矯正する必要があるという認識をもっていた。それが国際連盟や軍縮会議、不戦条約につながるのである。しかし、性悪説を克服するという建前を一般論として掲げ、他国には主権尊重や人権を強要しながらも、自国の国益を追求する場合には理想を放棄し、剥き出しの性悪説で対応した。日本には米英のこのような二重基準、シニシズムが道義的に許せなかったのである。しかし、このような二重基準、シニシズムは、現実の外交で大きな力をもつのである。
日本でも有能な外交官や政治家は性悪説で外交を展開する。日露戦争のときの小村寿太郎、戦後の吉田茂、岸信介などは、国家の本質が悪であることを冷徹に認識して外交を組み立てた。しかし、こうした政治家や実務家は自己の内在的論理を学術的表現で提示しなかったので、性悪説は思想にまで高められていないのである。紙幅の関係で詳しく論じることができないが、日本の国家主義思想家で例外的に徹底的な性悪説に基づいて言説を組み立てたのが第四章で言及した高畠素之である。
高畠は、ソ連の本質がアメリカ同様の帝国主義であることを見抜いていた。ソ連もアメリカもともに性悪説に立脚した帝国主義国であった。日本の国家主義思想家の系譜で、高畠は大川と並び、論理整合性や哲学的思考を重視する点に特徴がある。高畠は群馬県前橋市の出身で、キリスト教(プロテスタンティズム)に入信し、同志社大学神学校に入学するが、社会主義思想と出会って中退し、堺利彦や大杉栄などの社会主義者、無政府主義者とともに文筆分野で活躍する。高畠は語学に堪能で、マルクスの『資本論』の日本語完訳を初めて実現する。しかし、『資本論』を翻訳する過程で、マルクスは進化論を知らなかったために唯物史観のような作業仮説に頼ったという認識を抱くようになり、人類の生存競争は本質的に悪なので、人間の本性は暴力装置である国家によって規制されなくてはならないと考えるに至った。そして国家社会主義(state-socialism) を提唱する。高畠は民主主義はその性格上、必ず衆愚政治に陥ると考え、議会制民主主義を信用しなかった。政治改革は暴力装置である国家の根本を握る軍人にしかできないと考えた。そして陸軍大将の宇垣一成に接近するが、本格的運動を起こす前に癌で死去(1928年)した。

高畠の実践活動は、彼の在世中、国家社会主義運動としてはそれほど大きな社会的影響をもちえなかったが、彼の思想的影響下に育った多数の国家社会主義者は、日本の政治状勢の反動化、ファシズムの拡大・強化に大きな役割を果たした。彼の死後、1930年代にはいって急速に勢力を伸張した国家社会主義運動の理論的根底は、多く高畠の見解に基づくものであった。(大島清執筆「高畠素之」の項より。『現代マルクス=レーニン主義事典 下』所収、社会思想社、1981年、1243頁)

大島はマルクス主義の立場から記述しているので高畠素之をファシズムの一類型としてとらえるが、筆者はこの見解には与しない。筆者の理解では、高畠と大川の二人はその理論構成において傑出しているにもかかわらず、現在では忘却されてしまった日本の国家主義思想家なのである。
高畠がイスラームに関する知識をもち、大川が高畠のレベルでマルクス主義の内在的論理に通暁していたならば、日本の国家主義思想は、世界に類例を見ない知的説得力をもったことになると思う。二人の遺産を復活することは、「八方塞がり」に陥った現下日本の外交に的確な指針を与える上でも有益と思う。

 


解説
日本の武力によって、列強による中国の分裂が阻止されたというのは、日本人の眼からすれば確かに真実である。しかし、真実が常に一つであるとは限らない。無数の事実の中からどれとどれをつなぎ合わせるかで、真実が異なることもある。中国人の反植民地活動家の眼には、日本も列強とともに中国を分割する帝国主義国の一つと映ったのである。このボタンの掛け違いにイギリス、アメリカはつけ込んだ。

なるほど、そういう歴史理解がありうるのですね。
勉強になりました。


獅子風蓮



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