これまで、karagura56さんのブログ「浅きを去って深きにつく」から、友岡さんの言葉を拾ってきました。
同じブログには、友岡さんのセミナーや講演の記録も残っています。
「浅きを去って深きにつく」karagura56さんのブログ
友岡 雅弥講演(1)(August 24,2006)
読みやすいように、まとめられるものは整理して再構成しました。
明らかな誤字脱字は訂正しました。
■友岡 雅弥氏(東洋哲学研究所・研究員)の講演内容(要約)
■日付/1994(平成6)年
■会合名/不明
「大聖人は「血脈」否定論者だった」
(つづきです)
ほんで「血脈」という言葉もそうですね。
もともと「血脈」というのは仏法用語じゃないんですよ。
これは貴族の差別用語です。
「血筋」とか「家柄」とかいう意味です。
『お父さんが貴族やから自分も貴族』、そんな考え方。
この「血脈」という考え方を仏教に入れた人が2人おるんです。
1人は「伝教大師」です。
この人はものすごく素晴らしい形で使ったんです。
伝教大師の「法華血脈伝法○○○○」という書物があるんです。
そのままやと漢文で難しい。
だから河内弁で行くとね、
『何じゃあ!貴族!おまえら血脈ゆうて、一人から一人へと、おやっさんが立派やったら、その子供も生まれながらに貴族ていう意味で、血脈ていう言葉使うてるやろ。
違うんや!
もし、わしら仏法者が血脈ていう言葉を使うとしたらこうやぞっ、釈迦、竜樹、天台、妙楽…、それぞれ離れてて、時代も違うし、距離も違うやろ。何千Km違うやろ、
こういうふうに時代が離れてても、距離が離れてても、立派な人間は、みーんな、仏に直結するんや。
一対一で、真ん中は要るかーい。一人一人、まどろっこしいっ。直結やあ!
間は無くて直結、仏教で血脈て言うとしたら、こう使うんや!』
と言うんですね。
結局、血脈という言葉を使うて血脈を破折したんです。
これに対して「血脈の考え方そのもの」を仏教に入れたおっさんがおった。
「弘法」ですわ。
弘法はご存じの通り、自らも貴族出身で周辺も皆、貴族でした。
で、あそこの宗教ていうのは真言密教、秘密宗教です。
特別な呪文を唱えて祈祷できる人間だけが偉い。
信徒はお金を払って、特別な人間が、暗い所で奇妙キテレツな呪文を唱えて、やってるわけですよ。
特別な人間だけに、特別な能力があるって言うんです。
そして、特別な能力がある、極々少人数の人間だけが、また次の特別な人間を任命できる。
そこで「血脈相承」て言葉が出来るんです。これは真言宗で出来るんです。
あと「法水写瓶」という考え方も真言宗で出来るんです。
真言宗での「血脈相承」、「法水写瓶」の儀式とやらは、こんなんです。
前の法主と次の法主が、火を燃やして三日三晩かなんか徹夜して、真言を唱え続ける。
『まばのさんぎゃば、おんだばぎゃ……』
で、次の法主がふらっとして寝えへんかったら、OK!合格。(笑)
最後に前法主が、筒に入れたお水を持ってて、自分と次の法主にかける。
これが、「法水写瓶」の儀式ですわ。
単に暑いから頭冷やしているだけなんですよ。
こういうふうな儀式があったんですね。
こんなん無いんですよ、もともと日蓮正宗に。(笑)
日顕の父の日開が自分が次の法主になったときのために、
『法主には、不思議な血脈相承があるぞ』
と盛んに言い出したことがありました。
立派な人なら、みんなその人格を尊敬するんですよ。
立派とちゃう人間が、法主を神に仕立てあげたいんですよ。
この時の日亨猊下が公衆の面前(公民館)で、
『世に、血脈相承の儀式とやらが当宗であると言っている輩がありますが(日開の事ですよ)、血脈相承の儀式とやらを皆さんの面前で行いましょう。』
と言って、「諌暁八幡抄」の御直筆等を与えたんですね。
『これはあなただけの物ではなくて日蓮正宗の信徒全員の物ですよ。』と言いながら、
与えたというんですね。
日興上人の「富士一跡門徒存知の事(御書1606頁)」にも書いてありますわ。
『大御本尊、これは一閻浮提に未だ広宣流布していない本尊である。
これをおまえたちは「子」にも「孫」にも与えてはいけないし、そして「弟子」に付属してはいけない。
6人(日興上人にも中心的な6人の弟子がいたんです、もちろん日目上人もその一人です。
日目上人だけに与えたんちゃうんですよ)、お前たち全員でこれを守りなさい。』
とある。
『付属してはならない』と言っているんですよ。
(つづく)
【解説】】
そこで「血脈相承」て言葉が出来るんです。これは真言宗で出来るんです。
あと「法水写瓶」という考え方も真言宗で出来るんです。
真言宗での「血脈相承」、「法水写瓶」の儀式とやらは、こんなんです。
前の法主と次の法主が、火を燃やして三日三晩かなんか徹夜して、真言を唱え続ける。
『まばのさんぎゃば、おんだばぎゃ……』
で、次の法主がふらっとして寝えへんかったら、OK!合格。(笑)
最後に前法主が、筒に入れたお水を持ってて、自分と次の法主にかける。
これが、「法水写瓶」の儀式ですわ。
なるほど、「血脈相承」も「法水写瓶」の儀式も、真言宗の伝統だったのですね。
こんなん無いんですよ、もともと日蓮正宗に。(笑)
日顕の父の日開が自分が次の法主になったときのために、
『法主には、不思議な血脈相承があるぞ』
と盛んに言い出したことがありました。
これは初耳です。
日蓮正宗からの反論を待ちたいと思います。
獅子風蓮