これまで、karagura56さんのブログ「浅きを去って深きにつく」から、友岡さんの言葉を拾ってきました。
同じブログには、友岡さんのセミナーや講演の記録も残っています。
「浅きを去って深きにつく」karagura56さんのブログ
講演 友岡雅弥氏第3弾!(October 21, 2006)
https://plaza.rakuten.co.jp/karagura56/diary/200610190000/
読みやすいように、まとめられるものは整理して再構成しました。
明らかな誤字脱字は訂正しました。
友岡講演 第3弾!ご参考に・・・
■友岡 雅弥氏(東洋哲学研究所・研究員)の講演内容(要約)
■日付/不明
■会合名/不明
(つづきです)
またチベットのダライラマは、生き仏であって、前のダライラマが死んだ日に生まれた男の子の中から、魂が乗り移った次のダライラマが選ばれるんだと日本では理解されていますが、全然違うんですよ。
前のダライラマを知らない子供を選んで、そうやって権力の集中を防いだんです。
だからダライラマに会ったことのない、しかも遠く離れた人の中から選ぶということになったんです。それを日本人は生き仏…と思っちゃうんですよ。
この間、難民問題のボランティアで草分けの方で、かくしゃくとしたあるお婆さんが、日本のある民間ボランティア団体に呼ばれて初めて来日しました。
30数年間自分の家に帰らずに世界各国100何ヵ国の難民キャンプで暮らしてきた人です。
そのお婆さんは、成田空港のロビーに着いた時、何故かとても不安になった。
今まで戦争のど真ん中の空港でも命も捨てる腹が決まっているから怖じけ付くことなんか無かった。
『何故こんなに不安になるんだろう。』
生まれて初めての経験だったそうです。
次の日になって、JRに乗った時、『ああこれだったんだ』とわかった。
車中の客はことごとく微笑んでいない。
むっとしている。それに異様な感じがしたんです。
これはこの人だけの感想じゃないんです。
国際ジャーナリストのカレルヴァンヴォルフレンの本にも、
『日本人は本当に幸せなのか。いいやそうではない。
電車に乗ってみたらよくわかる。幸せだったらこんな顔をしていない。』とある。
また別の国際ジャーナリストも、
『日本人が幸せだったら何故電車で他人に対してあんな冷たい視線なのか。』と。
確かにそうだ。行きの電車はともかく、帰りの電車でももっとむっとしている。
そのお婆さんは何故みんなそんな顔をしているのか不思議だった。
しかし日がたって、だんだん日常会話が聞き取れるようになると、彼らがそんな顔をしていて当然だと思うようになった。
一見恋人どうし、友達どうしに見えるけど、そこでの会話の内容は、昨日のテレビの話、車の話、競馬の話。自分たちに関係ない話ばかりだった。
中には、友達の誰それが病気になって、という話題になる時もあったが、急に『かわいそうに…』しか言えなくなる。
じゃあどうしてあげようとかが考えられていない。
さっきまで昨日のテレビの話で盛り上がっていたのに、自分たちの話になると何も言えなくなるんですね。
人間関係が深まっていない。
そのお婆さんは、そう感じたんですって。これは本当の友達や恋人じゃない。
『かわいそうに、心にぽっかり穴があいているな』と。
『しかも自分たちのおかしさに気が付くような冷静さもない。
たからこの国はオームとかにマインドコントロールされやすいんです。』と。
そのお婆さんに会った時に、偶然、創価学会についても知っていて『あなたたちが今よりもっとがんばらないと。
日本がこれほどマインドコントロールされているのは、日本に宗教がなかったからですよ。』と語っていました。
(つづく)
【解説】
人間関係が深まっていない。
そのお婆さんは、そう感じたんですって。これは本当の友達や恋人じゃない。
『かわいそうに、心にぽっかり穴があいているな』と。
確かに、考えさせられる話です。
(このお婆さんは創価学会について知っていて)
『あなたたちが今よりもっとがんばらないと。
日本がこれほどマインドコントロールされているのは、日本に宗教がなかったからですよ。』と語っていました。
現在の創価学会は、この時の友岡さんが考えていたような素晴らしい宗教団体でしょうか。
このお婆さんの期待を裏切らないような、素晴らしい信仰心を保った団体に生まれ変わってほしいものです。
獅子風蓮