ガーシーには嫌悪感が先に立つほどだった私ですが、ガーシーのおかげで救われたという人もいたのですね。
また彼は家族思いで、母や妹には今でも慕われているようです。
ガーシーについて、好奇心がわきました。
ガーシーはどのように育ったのでしょうか。
彼なりの正義とはいったいどういうものなのでしょうか。
そこで、ガーシーの自伝的な本があるというので読んでみました。
ガーシー(東谷義和)『死なばもろとも』(幻冬舎、2022.07)
かいつまんで読んでみたいと思います。
(目次)
□序章 ジョーカー誕生
□第1章 逃亡者
■第2章 しゃべりだけで成り上がる
□第3章 芸能界への扉
□第4章 アテンダーという裏稼業
□第5章 酒と女とカネと反社
□第6章 死なばもろとも
□第7章 社会の不満が生んだ怪物
第2章 しゃべりだけで成り上がる
□朝鮮学校の在日コリアンと襲撃合戦・リアル『パッチギ!』ワールド
□走り屋をやっていたリアル『ナニワトモアレ』
□イベントサークルで入学したての女子大生とヤリまくる
□入社3日目に車を3台売ったらブチギレた上司
□中古車のブローカーとイベント業・二足のわらじで独立
□阪神・淡路大震災によって到来した中古車市場バブル
□中古車販売で儲けたカネを裏カジノで2億円熔かす
□十三の「ヌッキーマウス」から
□西淀川警察署での手打ち式
■ヤクザになるかアナウンサーになるか
■ロンブー田村淳との初めての出会い
ヤクザになるかアナウンサーになるか
女の子を口説く才能は、天性のもんやと自分でも思う。そのへんを歩いてる女子大生であろうが風俗嬢であろうが、俺ならしゃべりだけで心をつかめる。今会ったばかりなのに、ホテルに行っていきなりセックスさせてくれる女の子はいくらでもおった。 高校生のころから「お前はしゃべりがうまいなあ」といろんな人から言われたもんや。高校の先生からはよく「お前、アナウンサーになったらどうだ」と言われた。
「お前の声は通るんや。みんながしゃべってても、お前の声だけわかんねん。これっ て才能やで。アナウンサーみたいに声を使った仕事をしたら、きっと成功する」
後年、紳助さんからもよく「お前、なんで芸人にならへんねん。どう考えても芸人向いてるやろ」と言われたもんや。
さっきも思い出話を紹介したとおり、たとえヤクザ者が相手でも俺の口は滑らかや。 誰とやり取りしようが、口ゲンカでは絶対誰にも負けん自信がある。ここはコテコテの関西弁の強みや。関西弁でブワーッとまくしたてたら、大抵の相手は引きよる。 「おい、ひょっとしてお前、どっかの組に入っとるんか? お前カタギやないやろ」 ヤクザ者は、別の組のヤクザと揉めたがらん。こっちがカタギだと思って喰ってかかってきたら、全然ビビることなく言い返す。するとヤクザが不安になるんや。あんまり俺の威勢がいいから、10代のころ「ウチの組に来ないか」と誘われたことがある。
ヤクザになんてなったところで、いいことなんか全然ない。ヤクザ映画は大好きやからよく観てたが、ボコボコにされるとか小指詰めるとか、あんな理不尽な世界には絶対入りたくない。むしろヤクザは嫌いやった。
地元の同級生の中には、ヤクザになった者もチラホラいる。俺はそっちの道にはまったく興味がなかった。それで正解やったんや。
ロンブー田村淳との初めての出会い
ロンドンブーツ1号2号の田村淳と初めて会ったのは、1994年やったと記憶している。あのころ俺は、中古車販売業、板金工場、イベント企画の仕事をこなしていた。さっき話した景気の良かった時代や。
ミナミ(大阪)に、芸能人がよく来るバーがあった。友だちと一緒にその店にいたら、ロンブーの田村淳と田村亮が俺の知り合いの女の子と飲んでいた。俺と一緒にいた友だちが「なんやあいつら。ヒガシの女に手を出しよって。からみに行くわ」と怒り出した。
いきり立ってからみ酒をしに行きかけたら、店のオーナーが血相を変えて「芸能人やからやめてほしい。勘弁したってください」と必死に止める。淳は未だによく「あのときはヒガシさんたちに殺されそうになった」と苦笑いする。ミナミでの一触即発が、淳とのファーストコンタクトや。
淳と再会する機会はじきに訪れた。ガンバ大阪の廣長優志というサッカー選手がいる。のちにU-23日本代表として、アトランタオリンピックで活躍したスターや。廣長が俺に連絡してきて「芸能人の友だちが東京から大阪へ来るから、一緒に飲まない か」と言う。
大阪市福島区にある「HIMAWARI」というイタリアンバルに呼び出されて出かけたら、そこに淳がいた。あの夜以来の再会や。廣長と一緒に会ってみたらめっちゃいいヤツやったから、すぐに仲良くなった。淳とのこの出会いが俺にとっての芸能界への扉やったんや。
あるとき淳がこう言った。
「ねえ、ヒガシさん東京出てこない? こんだけしゃべりがうまくて、女の子に人脈がある人はどこにもいないよ。大阪よりも東京のほうが絶対向いてるよ」
俺の携帯電話に入っていた数千人の電話番号の中には、関西の女子大を卒業して就職が決まり、東京に引っ越した子も大勢いる。十三へ出禁になってしまったりと、大阪ではスネにいくつも傷を作った。なるほど、淳が言うように大坂から江戸へ河岸を変えるのもええかもしれんな。
こうして1995年、俺は淳のススメにしたがって東京に出てくることになったんや。
【解説】】
今は結婚してすっかり品行方正になったロンブー田村淳ですが、かつては遊びまくっていたようですね。
あるとき淳がこう言った。
「ねえ、ヒガシさん東京出てこない? こんだけしゃべりがうまくて、女の子に人脈がある人はどこにもいないよ。大阪よりも東京のほうが絶対向いてるよ」
(中略)
こうして1995年、俺は淳のススメにしたがって東京に出てくることになったんや。
淳は自分たちが遊ぶのに、ガーシーの存在が便利だから利用したということでしょうか。
獅子風蓮