友岡さんが次の本を紹介していました。
『居場所を探して-累犯障害者たち』(長崎新聞社、2012.11)
出所しても居場所がなく犯罪を繰り返す累犯障害者たち。彼らを福祉の手で更生させようと活動する社会福祉事業施設の協力で、現状と解決の道筋を探った。日本新聞協会賞を受賞した長崎新聞の長期連載をまとめた一冊。
さっそく図書館で借りて読んでみました。
一部、引用します。
■第1章 居場所を探して―累犯障害者たち
□第1部「福祉との出合い」
□第2部「司法と福祉のはざまで」
□第3部「あるろうあ者の裁判」
□第4部「塀の向こう側」
□第5部「見放された人」
□第6部「更生への道」
■第7部「課題」
□第2章 変わる
□おわりに
第7部「課題」
=2012年6月12日~22日掲載=
1)変わる検察(1)
開いた鉄のカーテン
上層階の窓からは皇居や日比谷公園が見渡せる。
昨年5月。東京・霞が関にある検察合同庁舎19階、次長検事室。
雲仙市の社会福祉法人南高愛隣会理事長の田島良昭(66)は、次長検事の小津博司 (62)、検察改革推進室長の林眞琴(54)と向き合っていた。
当時、小津は最高検のナンバー2。林は検察改革の責任者。検察と福祉の分野の実質的な「トップ会談」だった。
小津から「会いたい」と連絡を受け、田島は身構えた。数年前、福祉と無縁のまま罪を繰り返す累犯障害者を支援する制度をつくりたいと関係省庁に直談判して回ったが、検察にだけは門前払いされた。「まるで『鉄のカーテン』だな」と嫌な印象が残った。
検察への不信感を決定付けたのは、大阪地検特捜部が無実の罪で厚労省元局長の村木厚子(56)を逮捕した事件。村木は、知的障害者の雇用施策を通じて知り合った十数年来の友人。村木が逮捕された日、居ても立ってもおられず、大阪地検に抗議に乗り込んだが、体よくあしらわれた。田島は最初から「彼女は罪を犯すような人間ではない」と思っていたという。
一方の検察。事件後、社会の非難を浴び、崖っぷちに立たされた。昨年3月には法相の諮問機関である在り方検討会議から、「特捜の縮小」「知的障害者の取り調べの可視化」「参与会の設置」などの改革を迫られていた。
そうした中、最高検が参与会の委員として白羽の矢を立てたのが、累犯障害者支援の分野では名の知れた田島だった。
最高検まで出向いてはみたものの、田島は半信半疑だった。「あの検察が本当に変われるのか?」。小津は、田島がかつて手掛けた、刑務所の中にいる知的障害者の実態調査の内容に触れ、頭を下げた。
「多くの障害者が刑務所にいたことに、われわれも驚きました。今度、検察改革の一環で外部の専門家による参与会をつくる。田島さんにその委員になってもらいたい。力を貸してもらえませんか」
田島は腹を決めた。「累犯障害者に対する捜査の在り方を変えるなら、今しかない。これは千載一遇のチャンスではないか」。検察と福祉―。交わることのなかった両者が、この日を境に急速に接近していく。
累犯障害者を取り巻く風景が変わりつつある。長崎から始まった累犯障害者支援の動きは今、大きなうねりとなって、福祉や刑事司法の分野に広がっている。どうすれば、障害者が罪を犯さずに済む社会をつくれるのか。
長期連載「居場所を探して」第7部では、刑事司法、福祉の最前線にいる人たちの姿を追いながら、改革の行方を考える。
(つづく)
【解説】
検察への不信感を決定付けたのは、大阪地検特捜部が無実の罪で厚労省元局長の村木厚子(56)を逮捕した事件。(中略)一方の検察。事件後、社会の非難を浴び、崖っぷちに立たされた。昨年3月には法相の諮問機関である在り方検討会議から、「特捜の縮小」「知的障害者の取り調べの可視化」「参与会の設置」などの改革を迫られていた。
私は以前、村木厚子の冤罪のことを記事にしました。
村木厚子『私は負けない』 はじめに (2023-04-06)~
村木さんは、苦しい闘いに勝って、冤罪を晴らすことができました。
かつての連載記事が、今回の連載記事につながりました。
不思議な縁を感じます。
獅子風蓮