獅子風蓮のつぶやきブログ

日記風に、日々感じたこと、思ったことを不定期につぶやいていきます。

『居場所を探して』を読む その19

2024-08-29 01:46:55 | 犯罪、社会、その他のできごと

友岡さんが次の本を紹介していました。

『居場所を探して-累犯障害者たち』(長崎新聞社、2012.11)

出所しても居場所がなく犯罪を繰り返す累犯障害者たち。彼らを福祉の手で更生させようと活動する社会福祉事業施設の協力で、現状と解決の道筋を探った。日本新聞協会賞を受賞した長崎新聞の長期連載をまとめた一冊。

さっそく図書館で借りて読んでみました。

一部、引用します。

■第1章 居場所を探して―累犯障害者たち
 □第1部「福祉との出合い」
 □第2部「司法と福祉のはざまで」
 □第3部「あるろうあ者の裁判」
 □第4部「塀の向こう側」
 □第5部「見放された人」
 □第6部「更生への道」
 ■第7部「課題」
□第2章 変わる
□おわりに 


第7部「課題」

=2012年6月12日~22日掲載=

(つづきです)

8)彼女の場合
  自由求め福祉を拒否

雲仙市の更生保護施設「雲仙・虹」に入所した日からちょうど1年後の2010年11月10日。森容子(41)=仮名=は、長崎地裁の法廷に立っていた。JR長崎駅のロッカーに火を付けたとして器物損壊の罪に問われていた。
「どうして『虹』を飛び出したの?」
弁護士が尋ねると、森はふてくされた顔で答えた。
「嫌になったから。自由が……。1人で好きにできないから」
「お金なくなったら、どうやって生きていくの? 障害者年金はいらないの? 生活保護は?」
弁護士はしつこく確認した。彼女の更生には、福祉的な支援が必要だと考えた。だが、彼女は一度も首を縦に振らなかった。
「できればそういうのはもらわないで、ちゃんと働いて、自分の給料でやっていきたい」
検察側の冒頭陳述によると、「虹」を出た後、森は長崎市内のインターネットカフェで寝泊まりしていたが、所持金が底をつき、いら立ちを募らせて犯行に及んだ―とされる。
NPO法人県地域生活定着支援センターはこのとき、森の裁判を支援しなかった。
福祉的な支援は本人が希望するのが前提だ。そうでなければそれは「押しつけ」でしかない。同センター所長(当時)の酒井龍彦(53)が苦渋をにじませる。
「残念だが、彼女は福祉の支援を受ける意思がない。司法と福祉のはざまには手を差し伸べても、救えない人がたくさんいる」
1週間後。長崎地裁は森に懲役1年の実刑判決(求刑懲役1年6月)を言い渡した。彼女の態度は最後まで変わらなかった。
「接見? 予定はないです。控訴の意味も分からないんじゃないかな」。
判決後、弁護士はさじを投げた。

差し伸べられた手をはねのけ、福祉に背を向ける理由は何なのか―。私は、彼女の口から真意を聞きたかった。しかし、拘置所での面会は拒否され、手紙の返事もなかった。あきらめきれず、刑務所を出るまで1年待った。
障害者が刑務所を出所する時、福祉の支援につなぐ特別調整制度がある。どこかしらの刑務所を出て、放浪生活になれば捜しだすのは難しい。だが、制度に乗った時に接触できるかもしれない―そう考えた。
何本目かの電話で、森の調整に関わった団体に行き当たった。だが、担当者から返ってきたのは、意外な言葉だった。
「森さんは支援を拒否しました。『自分は障害者じゃないから』って」
つながりかけた糸は、ここで途切れた。

(つづく)

 


解説

「残念だが、彼女は福祉の支援を受ける意思がない。司法と福祉のはざまには手を差し伸べても、救えない人がたくさんいる」

確かに、そういう人の場合は支援は難しいかもしれません。

親身になってくれる肉親や知人あるいは、信仰を同じくする仲間の存在があれば、少し違ってくるのかもしれないかな、と思います。

 

獅子風蓮