獅子風蓮のつぶやきブログ

日記風に、日々感じたこと、思ったことを不定期につぶやいていきます。

石橋湛山の生涯(その25)

2024-07-01 01:17:34 | 石橋湛山

石橋湛山の政治思想に、私は賛同します。
湛山は日蓮宗の僧籍を持っていましたが、同じ日蓮仏法の信奉者として、そのリベラルな平和主義の背景に日蓮の教えが通底していたと思うと嬉しく思います。
公明党の議員も、おそらく政治思想的には共通点が多いと思うので、いっそのこと湛山議連に合流し、あらたな政治グループを作ったらいいのにと思ったりします。

湛山の人物に迫ってみたいと思います。

そこで、湛山の心の内面にまでつっこんだと思われるこの本を。

江宮隆之『政治的良心に従います__石橋湛山の生涯』(河出書房新社、1999.07)

□序 章
□第1章 オションボリ
□第2章 「ビー・ジェントルマン」
□第3章 プラグマティズム
■第4章 東洋経済新報
□第5章 小日本主義
□第6章 父と子
□第7章 政界
□第8章 悲劇の宰相
□終 章
□あとがき

 


第4章 東洋経済新報

(つづきです)

この年12月、抱月の紹介で湛山は東京毎日新聞社に入社した。
明治3年12月8日「横浜新聞」として創刊され、その後「横浜毎日新聞」、「東京横浜毎日新聞」、「毎日新聞」と改称されて、39年に「東京毎日新聞」となった。しかし、これは現在の「毎日新聞」とは異なる新聞である。
「石橋君、東京毎日は日本における『ロンドン・タイムズ』にしようとの狙いから、事実上の経営者ともいえる大隈重信公が、早稲田の田中穂積先生を副社長兼主筆にして、すべてを任せてある新聞なんだよ」
抱月は、「東京毎日新聞」に関する一応の知識を湛山に教えた。
「ただし、社内には猛者も多くてね、田中先生の思いどおりにいかない空気もある。何しろ、進歩党内部だって大隈公一人が掴みきっているわけではない。犬養毅の派閥とそれに反対する派閥とがあって、いがみ合っている。主筆の田中先生は、そのどちらにも与してはいないが、社長の竹富時敏は、その反犬養派だ。そういったことを踏まえて社内を見ることも、君にとって人間を見るいい勉強の場になるだろう。田中先生にはよく頼んであるから、いい仕事をしたまえ」
田中穂積が早稲田の教授ではあっても、湛山は面識がなかった。挨拶にやってきた湛山に田中は、「抱月君から聞いているよ。頑張ってくれたまえ。ところで君は何が書きたいのかな」
「はあ……」
「新聞はね、足で書くんだよ。つまり丁寧に取材をして、ということは人から話を聞いて、自分の目で見るんだ。それを文章にする。とかく日本の新聞はこれまで、足ではなくて頭で書いていた。だからよい新聞が出来ないんだ。机の前にいて、事実が掴めるわけはない。そう思わないかね」 
「はい」
新聞社は銀座にあり、向かい側に東京日日新聞社があった。東京毎日の建物は三階建ての木造洋館だった。会社が移転した後、この建物はカフェー・ライオンになり、ライオン・ビヤホールになる。編集室は二階にあり、湛山が入社した頃は記事を巻紙と筆で書いていた。これには湛山も驚かされた。
「文明開化の先端を行くはずの新聞社が……。インキとペンではないのですか」
間もなく、筆と硯、墨が、ペンとインキに変わった。
湛山が最初に配属されたのは社会部であった。
面食らったのは、その最初の仕事が花街・吉原での女たちへの取材であった。
「おい、石橋君。吉原ではどうにもならなかったらしいな。案外、度胸がないんだな」
先輩に揶揄されても、湛山にはどうということはなかった。
「今度の仕事は大丈夫だ。君の嫌がる仕事ではない」
命じられたのは、正月紙面のための大隈重信の取材であった。だが、勇んだ湛山は水を浴びせられた。
「しかし、政治の話じゃあないぞ。正月の紙面なんだ。めでたい話題を軽く扱う。つまりだな、正月のお飾りについて話をうかがって来い」
「えっ? お飾り、ですか」
湛山は、一瞬呆気に取られた。天下の大政治家をつかまえて「正月のお飾り」はないだろう。湛山は、取材にかかる前に馬鹿馬鹿しくなった。だが、社命とあれば仕方がない。
「私、石橋と申しまして『東京毎日』の社会部の者ですが、実は……」
大隈は、電話の湛山に気持ちよく承諾してくれた。年末の氷雨の中を袴を汚しながら大隈邸に向かった。案内を乞うと、湛山は応接間に通されてしばらく待った。
「やあ、大隈です」
湛山はちょっと興奮した。興奮しながらも、自分のような駆け出しの若造が、こんなに簡単に時の大政治家に会えるもんだろうか、と不思議に感じた。
(そうか、これが新聞記者の役得というものかもしれない)
名刺一枚で何処にも行けるし誰とも会える。相手もこちらの素性を分かっているからきちんと相手をしてくれる。誰も、同じ書かれるなら、悪い印象は与えたくないものである。
大隈は事細かに、つまらないはずの正月飾りについて、笑顔で説明してくれた。大隈のこの快い態度にも湛山は驚かされた。
「それにしてもあのような大政治家に、正月のお飾りとは……。やはり失礼ですよ」
湛山は、駆け出しのくせに先輩記者にそんな言い方をした。
「どうも社会部は苦手です。できれば別の部署に移していただけませんか」
社会部の内部でも、
「石橋君というのは、社会部には不向きだな。文章はやや硬いものの、上手な部類だ。だからもっと彼の能力を生かせる部署で使ったらどうか」
そんな判断が下されていた。

(つづく)


解説

湛山が東洋経済新報で働くまでには、まだまだ紆余曲折がありそうです。

 

獅子風蓮



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