おそらくは、亡くなる1年ほどまえくらいから亡くなる直前までの友岡雅弥さんの言葉が次のサイトに残されていました。
「浅きを去って深きにつく」karagura56さんのブログ 友岡雅弥 (1) (April 3, 2019)
おそらくは友岡さんのSNS上の発言が集められているようです。
時系列で並べ直して再構成しました。
友岡さんの発言の前後に、誰がどのような発言をしていたのか分かりませんので、詳しい文脈は分かりませんが、創価学会執行部から疎外され圧力をかけられ、査問を受け、創価学会本部職員を退職するまでの友岡さんの心のうちが明かされた貴重な文章だと思われます。
一部、かいつまんで引用します。
●思い出すなあ。 先生と奥様がおられて、奥様が僕に「うちの人、宿命とか宿業とかいう言葉が大嫌いで、いつか学会から追い出したいといつも言ってるんだけど、婦人部の顔見たら言えずに戻ってくるの」
また、戦争に反対する人たちを次々と投獄した国防婦人会も、大阪港区の婦人の善意の千人針から
良い悪いは誰が判断しますか? 鬱の学生部の後輩を数年間面倒見てきて、やっと数年ぶりに外に出れた。彼は「ありがとう」と。そしてそのまま交通事故で死んでしまった。 家に閉じこもってたら、しなんで済んだのに。 善悪って、単純なものじゃない。 ハンセン病隔離の無らい県運動も善意から
ちなみに「宿業は計りがたし」は、「おれ凡夫やから宿業なんか分からへんねん」という意味やけど。 言葉に複数のレイヤーがあるの分からない手合いとコミュニケーションとるの難しいね
そこは、大聖人のお考えではありません。最終的に否定しはりますよね。 ちなみにあなたはハンセン病は、法華経普賢品にあるように過去世の宿業と思われるのですか? それから上田秋成の有名な雨月物語の宿業論批判はどう思われますか? 金持ちがだんだん傲慢になる、どこまでが前世の業、という
「宿習」って言葉は、ヨーガ学派から唯識に来て、奈良時代に全僧侶学んだ言葉。もともと仏教やないんやけど、「唯識三年、倶舎八年」で日本仏教の根幹に染み付いたわけ。 本当に、「創価のルネサンス」なんやったんやろか、と思う。 あんたの論理が破綻しまくってるよ、と。
そういえば、僕が入信した時、男子部の幹部から「君は宿業深いからインドみたいな貧乏な国のことを勉強せんとあかんのや。日本は大聖人の国だから金持ちや」と言われましたね。
釜ヶ崎のドヤに暮らす日雇い労働者の2-3割は学会員さんで、 戸田先生、池田先生が最初に大阪にこられた(当時、会館も組織もなかった)ときに、ずっと泊まられてたのが、釜ヶ崎に隣接する花園旅館でした。 だから、本田神父は、学会を本質的によく理解されてます。 本田さんの僕の本は「双子」だと
善悪という倫理的なものと、物理的な業の存在は違うレイヤーにあります。そこが説一切有部の業実在論に対して龍樹が業非実在を説いて徹底的に破折したポイントです
大聖人の御書のほぼすべては論文ではなくて、私信。 揺らぎ、戸惑い、過剰、中断、飛躍。 そのコンスタンティヴな意味を分析するのではなく、パフォーマティヴな意図を感じ取ることが肝要だと思いますね
2018年10月16
【解説】
池田氏はつねづね奥様に「宿命とか宿業とかいう言葉が大嫌いで、いつか学会から追い出したい」ともおっしゃっていたとのこと。
これは初耳ですが、もしこれが本当なら、すごいことですね。
だって、「宿命とか宿業」って、日蓮正宗や創価学会の教学の基本だから、そこを否定したら、日蓮正宗とも創価学会とも違う何かになってしまうからです。
なので、池田氏がいくらこの概念を学会から追い出したいと思ってもできなかったのでしょう。
私は、この件に関しては、完全に友岡さんの意見に賛成です。
不当な差別につながる「宿命とか宿業」なんて糞くらえです。
でも、病気や困難に直面した信仰者が、その原因を他人や環境のせいにすることなく、自己の「宿命」「宿業」(命の傾向性)に向き合い、真摯に祈るというのは、信仰としてはありだと思うのです。
獅子風蓮