友岡雅弥さんは、執筆者プロフィールにも書いてあるように、音楽は、ロック、hip-hop、民族音楽など、J-Pop以外は何でも聴かれるとのこと。
上方落語や沖縄民謡にも詳しいようです。
SALT OF THE EARTH というカテゴリーでは、それらの興味深い蘊蓄が語られています。
いくつかかいつまんで、紹介させていただきます。
カテゴリー: SALT OF THE EARTH
「地の塩」という意味で、マタイによる福音書の第5章13節にでてきます。
(中略)
このタイトルのもとに書くエセーは、歴史のなかで、また社会のなかで、多くの人々の記憶に刻まれずにいる、「片隅」の出来事、エピソー ド、人物を紹介しようという、小さな試みです。
2018年10月29日 投稿
友岡雅弥
三瓶明雄さんを覚えていらっしゃいますか?テレビ番組『ザ!鉄腕!DASH!!』で、福島県浪江町に作られた「福島DASH!!村」の農業指導をされていたかたです。
浪江町は、原発建設を拒否した町です。農業や漁業、そして「大堀相馬焼」という有名な焼き物などで、国からの原発補助金を受けとらずに、町の行政を維持してきました。
しかし、原発事故のとき、折りから吹いていた、南東の強風にのって、高線量の放射性物質は、原発の北西にあった、浪江町(の山間部)を襲ったのです。
「福島DASH!!村」は、まさに、そこにありました。6月に近づけるぎりぎりのところまでいってきました。今は、立ち入れない「帰還困難区域」となっています。
三瓶明雄さんは、白血病で帰らぬ人となりました。
あの番組を見た人は、驚いたと思います。
明雄さんは、米も作る、果物も作る、野菜も作る、ヤギも飼う、そのうえ、炭も焼く。炭焼き窯も作る。井戸を掘る、ちょっとした建物は自分で建てる。稲藁で、生活用具を作る。味噌も作る。
同じ番組で、「DASH!!島」という、無人島を開拓する企画があるのですが、ごらんになったかたはお分かりのように、TOKIOのメンバーが開拓する、そのほとんどの知識(食べていい植物や果実やキノコ。その調理法、病害虫から作物を守るための「自然農薬」の作り方、地下に水があるかを調べる方法、などなど)は、「福島DASH!!村」で、明雄さんから教わったものです。
番組で「スーパー農家さん」として紹介される三瓶さんは、どうして「スーパー」なのでしょう。
それには理由があります。
明雄さんは、開拓農家さんなのです。
開拓農家というのは、戦前・戦中、貧しい農家の次男さん、三男さんが、満州など外地開拓のために移住し、そして、敗戦とともに、命がけで帰国。でも、日本にはもう耕す場所はない。それで、国内の未耕作地に送られたのです。
自分たちで掘っ立て小屋を建てて、山林を耕し、農地にするのです。医者もいません。役場もありません。なんと、開拓農家さんたちは、営林署の所轄なのです。
後に、病死する人がおおかったので、医師ではなく、保健婦(当時の言葉)さんがその任に当たることになったのですが、その保健婦さんたちも、厚生省(当時、現・厚労省)や自治体の管轄ではなく、営林署の管轄だったんです。
何年も何年も木を切り倒し、切り株をぬき、畑地や田にするために土地を耕す。
その間の現金収入は、炭焼きや藁や木で日用雑貨を作って売るわけです。
その土地にどんな作物が適しているかなど、やってみなければわかりません。だからいろんな作物を植える。
ちょっと耕地が出来たら、そこに何か植えてみる、耕地が広がれば、今までうまく行った作物プラス他の作物も植えてみる。
バスなんかは走ってませんから、味噌なども自給自足です。
つまり、明雄さんの「スーパー」ぶりは、過去の苛烈な経験のたまものなんです。
私たちは、このような誤解をしている場合が多かったりします。
昔の農家は、専業農家が多かった。「米どころ」では、お米ばかりを作っていた。今は、兼業農家が増えた。
これは、ちょっと違います。
新潟にしても、東北や北陸の米どころにしても、農閑期、男たちは、出稼ぎに出たのです。
1964年の東京オリンピックは、「東北の出稼ぎ人夫のおかげで成功した」と言われます。
また、米どころでも米ばかりではなく、あぜに、枝豆を植えたり(これが「ずんだ」の発祥です)、藍や紅花や、養蚕もしていました。
今は、スーパーへの販売とかで、米専門、トマト専門、レタス専門とかの農家も増えてきましたが、基本、いろんな作物や、土木作業なども交えながら、日本の農家は生きてきたのです。
今でも、知り合いの岩手の山ぶどう農家さんは、国内有数の山ぶどう生産者でありつつ、豚も飼っていて、秋にはマツタケも採りにいきます。
(岩手は長野と、日本一、二を争う、マツタケ産地です)
漁村もそうです。
例えば、アワビ漁は、漁協によって微妙に違いますが、解禁(「口開け」と呼ばれます)が、 年に数日だけです。
普通はサラリーマンで、その時だけ、アワビ漁師(漁協の許可が当然必要です)となり、100万円近く稼ぐ人もいます。
実は、この人たちがたくさんいると、アワビは一度、漁協に集められます。漁協が販路を作って売るわけですからね。
組合全体のもうけが増えて、いろんな設備を充実させることができるのです。
これは、ほんの一例ですが、多様性が農村、漁村の永続性を担保してきたことが、お分かりになると思います。
多様性が、漁村、農村を栄えさせてきた。衰亡から救ってきたのです。
今、農作物、水産物の生産から、工場での加工、販売までを含めて、「六次産業化」(一次産業に、二次産業と三次産業を加えて、全体を一貫させる)が声だかに叫ばれていますが、それは、昔からそうだったのです。
三瓶明雄さんは、まさに「生きた六次産業」と言えたかもしれませんね。
東北は特に、昔から寒さが厳しくて、寒さに適応した、いろんな作物、また半農半漁の生業で、人々は、暮らしてきました。
しかし、伊達政宗のころから、また、明治維新以来さらに、東北は米作が強烈に推進されていき、そして、なんと、米作が盛んになってから、気候変動に弱くなり、凶作が増えていきました。
東北の農村の凶作、飢餓、娘身売りは、東北の問題ではなく、多様性を壊していった国側の問題でもあったのです。
だから、私たちも「~県といえば、米」「~県といえばリンゴ」みたいな、画一的な反応は避けた方がいいように思えます。
【解説】
東北の農村の凶作、飢餓、娘身売りは、東北の問題ではなく、多様性を壊していった国側の問題でもあったのです。
だから、私たちも「~県といえば、米」「~県といえばリンゴ」みたいな、画一的な反応は避けた方がいいように思えます。
いつも友岡さんのエッセイではいろいろ勉強になります。
友岡雅弥さんのエッセイが読める「すたぽ」はお勧めです。
獅子風蓮