獅子風蓮のつぶやきブログ

日記風に、日々感じたこと、思ったことを不定期につぶやいていきます。

『カレン・カーペンター栄光と悲劇の物語』その5

2024-04-22 01:59:20 | 音楽

カーペンターズのことをもっと知りたくなり、こんな本を読んでみました。

レイ・コールマン『カレン・カーペンター栄光と悲劇の物語』(福武書店、1995.02)


かいつまんで、引用します。

(もくじ)

□序文(ハーブ・アルパート)
□プロローグ
□第1部 涙と恐れ
□第2部 栄光のアメリカン・ドリーム
■第3部 孤独な心
 7)悲劇の予兆
 8)相つぐヒットの陰で
 9)ショービズ界の恋
□第4部 坂道
□第5部 両海岸ブルース


第3部 孤独な心
7)悲劇の予兆

(つづきです)

〈愛にさようならを〉はその後ずっと、カレンにとってカーペンターズのレパートリーのなかでの大好きな曲のひとつとなる。そのときはまだ歌詞とカレンの孤独とを重ね合わせて見るのは、カレンの一生においてもキャリアにおいても時期尚早ではあったものの、何年かがたってみると、それはじつに辛辣に現実をついていた。自分を素通りしていく恋を、ひとりで生きていく決心を、孤独と虚しい日々だけが唯一の友だちである世界を、カレンは歌っていたのである。


愛にさよならを告げましょう
私が死のうが生きようが どうせ誰も気にしてくれない
何度も何度も 恋のチャンスは私を素通りして 
私が知る愛なんて 愛なしに生きることだけ
どうしても見つけられそうにないわ 

だから私は生涯一人で生きると心に決めた
もちろんやさしいことじゃないけど
結局 心のどこかではずっと気づいてたみたい
私は愛にさよならを告げるのだと 

私の心に明日はない
きっと時がたって この苦い想い出が消えれば
信じて生きていける人が見つけられるかも 
生き甲斐を見つけられるかも 

長い間の無駄な探究は やっと終わったわ
これからは 
孤独と虚しい日々だけが 私の唯一の友だち
愛が忘れ去られるこの日から
私は精一杯生きるだけ

未来のことは謎でしかないし
運命を予測することもできない
いつかは私が間違っていたことを 
知る時が来るかもしれないけど 
でも今のところ これが私のテーマ曲
それは愛にさよならを告げる歌
愛にさよならを告げましょう 

  詞:ジョン・ベティス/曲:リチャード・カーペンター


私生活を思い起こさせるこの詞をしばしばくりかえすにつれ、カレンは〈愛にさようならを〉の詞の意味を余すところなく引き出した。いま聴いてみると、カレンの声はかろうじて涙をこらえながら、自らの心の機微が織りなすタペストリーを撫でているような気がする。
この宝のような曲のレコーディングには意外な秘密兵器が隠されていた。セッションに加わった貧相な新参ギタリスト、トニー・ペルーソにリチャードが言ったのだ。
「きみのソロ部分だが、頭の5小節はメロディをやってもらいたいんだ。その先は即興でかまわない」
リチャードは内心、何か意外な結果が得られるような気がしていた。そしてそのとおりになった。ペルーソは穏やかなカーペンターズのレコードの一部をなすプレーというよりは、完全にぶっとんだときのジミ・ヘンドリックスばりに、大胆で、創意に満ちた、ファズ・トーンのギター・ソロをやってのけた。
カレンとリチャード、そしてスタジオにいた誰もがペルーソの思いきったブレークに喝采を送った。新たな境地を開拓しようとするリチャードの野心と爽快なギター・ソロがぴたりと合い、この試みはその先何年にもわたって、ミュージシャンやレコードを買った人々によりポピュラー・ミュージックのあらゆる観点から語られ、褒め称えられることとなった。
曲には2か所のギター・ソロがあり、数回のテイクでOKが出たが、トータルで15分となるプレーはのちにリチャードが編集をおこなった。ペルーソはたちまち不安になった。華麗なカーペンターズのサウンドをすさまじいロックンロールで踏みつぶすのは、冒険にもほどがあるのではないかと考えたからだ。こうしたタイプのパワー・バラードは後年にはごく当たり前のこととなるが、ペルーソは当時を振り返る。
「あのころ、彼らのようなきれいで洗練された音楽にファズ・トーンのロックンロール・ギターを入れるなんてとんでもなかったですよ!『おいおい、こんなことしてめちゃくちゃになったりしないのかい? 彼らのキャリアをおれがぶち壊しちゃったらどうするんだ?』って感じでした」
そればかりではなかった。彼はリチャードとカレンを完成したミュージシャンとして偶像視していたため、自分はどこかべつのリーグから侵入してきた成り上がりのロックンローラーであるような気がしてならなかったそうだ。
「でも、彼らはあのわたしのソロを機に壁をはね飛ばしたんです」
それはペルーソの人生とキャリアにとっても重大な瞬間だった。
「あれからいろいろな人たちとレコードを百万枚もつくってきましたが、あの夜みたいな魔法を感じたのはあれ一回きりでした」
曲の情熱的な流れのなかで彼のソロが強力に効いていることには誰もが気づいたが、彼はこう言う。 
「曲を気にいってましたし、なんといってもリチャード、カレンとのはじめてのセッションでした。でも観客がどう反応するのか、見当がつきませんでした」
リチャードがペルーソのすばらしい独創性に惚れ込み、1972年6月、彼はカーペンターズのツアー・バンドに加わった。ステージでは“オールディーズ”メドレーでのDJ役を得意とし、楽しんだ。
まもなく革新的なレコードにたいする観客の反応が返ってきた。“いやがらせの手紙”も寄せられた。〈愛にさようならを〉は一部のカーペンターズファンを混乱させたのだ。彼らの音楽がもつ質の高さを放棄した、ロックンロールに走った、悪魔の音楽をプレーした、などの理由でリチャードは糾弾された。
コーラスを使ったエンディングでは、リチャードは腕によりをかけてこのレコードを主題と音楽の両面からの傑作に仕上げたつもりだったが、カーペンターズ・サウンドを“売った”とか“歪めた”、とか責められて意気消沈した。
イギリスでは、曲と催眠術的なギター・ソロは評論家筋に絶賛され、その創意にたいしてはいつもは斜に構えている連中も褒めそやした。カーペンターズはここにいたってようやく、おぞましい“イージー・リスニング”の範疇以外で評価を受けることができたのである。

ジョン・ベティスはこの歌詞にかんしてはほんの思いつきだったことを認め(「本当のところを書いてみたら、うまくいってしまったんですよ」)、リチャードについてはこう語る。
「バラードが主流の時期にあんなふうにエレクトリック・ギターを使ったのは彼が最初でした。草分けですよ。いま見ても、まだみんなあのころのカーペンターズの即興フレーズをコピーしているんですから」
リチャードはその曲にかんして自尊心と傷心がないまぜになった気持ちを抱いていたが、ベティスはプレーバックを聴いてうれし涙があふれたという。シングル盤は全米チャートを7位まで駆けのぼった。
しかし、ファンからの不評が一時的にであれ、領域を広げていこうとするリチャードの自信を砕き、彼はしばらく安全なプレーに徹した。カーペンターズのつぎのシングルは6か月後の1973年2月に発売された軽妙な〈シング〉で、テレビ・シリーズ《セサミストリート》に使われた、子供のコーラスが入った曲だった。音楽的にはなんら新境地を開拓することはなかったものの、覚えやすいメロディーは、彼らに手堅くミリオンセラーの地位を取りもどし、グラミー賞2部門でノミネートされた。
またしてもリチャードとベティスは勢いづいた。ふたりはいつも、ダウニーの自宅のリチャードが大切にしているボールドウィン・ピアノのそばで曲をつくっていた。ジョンはその家ではすでに“家族”として迎えられていた。ここで仕事をすることの障害はプライヴァシーがないことだったが、アグネスとハロルドが行き来したり、カレンがひそひそ話しかけてきたり、友人や犬がうろついたり、といったカーペンター家の騒がしい生活のなかでも、どういうわけか、リチャードとジョンのコンビはお互いを発火点まで高めさせることができた。

(つづく)


解説
名曲〈愛にさようならを〉のギターのソロ演奏は、このように生まれたのですね。
友岡雅弥さんがすたぽで書いていたエピソードは、ちょうどこのことですね。

友岡雅弥さんの「地の塩」その1)カーペンターズ兄妹の光と影(2024-04-17)

ペルーソは完全にぶっとんだときのジミ・ヘンドリックスばりに、大胆で創意に満ちた、ファズ・トーンのギター・ソロをやってのけました。
アメブロで、曲の紹介をしようと思っています。


獅子風蓮



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