カーペンターズのことをもっと知りたくなり、こんな本を読んでみました。
レイ・コールマン『カレン・カーペンター栄光と悲劇の物語』(福武書店、1995.02)
かいつまんで、引用します。
(もくじ)
□序文(ハーブ・アルパート)
■プロローグ
□第1部 涙と恐れ
□第2部 栄光のアメリカン・ドリーム
□第3部 孤独な心
□第4部 坂道
□第5部 両海岸ブルース
プロローグ
(つづきです)
彼らは音楽を武器に闘い、勝利を手にした。だが運命のいたずらにより、カーペンターズの名前は同時に悲しみを伴って記憶されることとなった。カレンが、神経性食欲不振症と闘ったのちに命を落とした最初の有名人となったからである。神経性食欲不振症は拒食症とも呼ばれる摂食障害のひとつで、アメリカでは現在およそ800万人の患者がいると見られている。イギリスでは少なくとも6万人が食欲不振症あるいは食欲異常亢進症にかかっていることは判明しているが、実際の数字はおそらくその2倍であろうと推測される。
精力的に仕事のスケジュールをこなしつづけた何年間かのあいだ、彼女は病んだ身体を酷使していたわけだが、驚くべきことにその声にはふらつきひとつなかった。感情豊かな性格ももとのままで、友人たちは彼女のいつもながらの思いやりとユーモアを最後まで愛してやまなかった。亡くなる前の2年半、彼女は結婚していた。母親になりたいと切望していた彼女だったが、結婚生活はたちまち壁にぶつかり、彼女の精神的不安を大きくした。
しかし、彼女に死の願望はなく、将来もずっと音楽をつくっていきたい、さらに自分の才能をエンターテインメントのほかの分野にも広げていきたいと思っていた。彼女は昔ながらのショービジネス界の人間だったのだ。
だとしたら、何がカレン・カーペンターを殺したのか? たんなるダイエットへの行き過ぎた執着だろうか?
注目を集めたいと願う心か? たしかに骸骨のような体形は、目を向けた者の視線をいやおうなく引きつける。
管理について何か言いたいという欲求か? たとえ食欲不振症患者であれ、食べ物をフォークで口に運ぶ行動にかんしてまでは、誰も管理できない。
多くの研究者が理論づけているように、根深い心理学上の問題なのだろうか? すなわち、患者との関係に問題があったかもしれない親にたいしておぼろげながら発せられるシグナルなのだと。
この場合にかぎれば、母親に“より優れている”として扱われる兄と同等の注目を浴びたいという、厄介で致命的な“平等意識”だろうか? しかるに、兄なくしては自分にキャリアなどなかったはずだとカレンは思っていた。
あるいは、カレンがステージに立てるほどの美しさは自分にはそなわっていないと思いこんでいたことを考慮すると、彼女の飢餓状態は自負心の欠落を矯正することを目的としていたのだろうか?
これらはこの評伝のなかで投げかけられる疑問のほんの一部である。カレンの芸術は多くの部分が彼女の魂の産物であったことは間違いなく、インタヴューに答えた人々の多くは彼女の心理について語り、孤独であることを切々と訴えていた声の質について語った。1ダースあまりのアルバムを通し、カーペンターズは何百万もの人々の心に残る作品を数多く世に送りだした。カレンも兄同様に仕事中毒で、成功と名声を享受はしたが、自分たちが永続性のあるアーティストだったことを生きて見届けることはなかった。 たとえば現在のイギリスを見ても、ラジオから彼らの曲が流れてこない日は一日もない。とくに特別な日ではない1993年4月16日、国営第二放送ではカーペンターズの曲を一曲かけたあとでディスク・ジョッキーのサラ・ケネディーがこう言った。「カーペンターズがいなかったら、第二放送はいったいどうしたらいいんでしょうね!」
(つづく)
【解説】
何がカレン・カーペンターを殺したのか? たんなるダイエットへの行き過ぎた執着だろうか?
本書では、多くのインタビューをもとに、カレンが拒食症になった理由を、さまざまに考察しています。
その量は膨大なので、この連載ではその部分は割愛します。
関心のあるお方は、ぜひ本書をお読みください。
獅子風蓮