カーペンターズのことをもっと知りたくなり、こんな本を読んでみました。
レイ・コールマン『カレン・カーペンター栄光と悲劇の物語』(福武書店、1995.02)
かいつまんで、引用します。
(もくじ)
□序文(ハーブ・アルパート)
□プロローグ
□第1部 涙と恐れ
□第2部 栄光のアメリカン・ドリーム
■第3部 孤独な心
7)悲劇の予兆
8)相つぐヒットの陰で
9)ショービズ界の恋
□第4部 坂道
□第5部 両海岸ブルース
第3部 孤独な心
7)悲劇の予兆
(つづきです)
1973年、ポップス・ファンは20年さかのぼった時代に豊かな遺産があることににわかに気づかされた。カレンとリチャードは1972年の夏以来、オールディーズ・メドレーをコンサートでやってきており、絶賛を浴びていた。1973年初頭のある日、ハイランド・アヴェニューをA&Mレコードめざして車を走らせていたリチャードは、郷愁をそそる曲を頭のなかで探すうち、あるメロディーと詞を“聞いた”。やがてそれは彼らの曲のうちでもいちばん特記すべき賛歌となる。
「若い頃は、よくラジオを聴いて いたわ――」
A&Mに到着したときにはもう、スタジオBにいたカレンにコーラス部分を歌ってみせるところまでいっていた。その夜、彼は一番の歌詞を書きあげてから、ジョン・ベティスに電話をして〈イエスタデイ・ワンス・モア〉を完成させるように頼む。完璧な仕上がりだった。リチャードはオールディーズをテーマとしたアルバムを締めくくる曲を探していたのだった――アルバム《ナウ・アンド・ゼン》のコンセプトはこうした生まれた。
〈イエスタデイ・ワンス・モア〉をつくったときを思い出しながらジョン・ベティスは語る。
「われわれはニューヴィルの家にいました。彼が小さなコンドミニアムくらいありそうな大きなスピーカーを並べてつくった幻想的な場所です。リッチーはいつも古いレコードの中毒にかかっていましてね、わたしよりひどかったんです。その彼がアルバムの片面をオールディーズで埋めてみようと言ったんです。ついでにそのための賛歌が欲しいとも」
リチャードの頭には最初の何かがすでにあり、ベティスがそれを補って歌詞を完成させたとき、ふたりは宝石を手にしたのだ。
新曲を聴きに部屋に足を踏み入れながら、カレンはほかの曲についてたずねた。リチャードとジョンがディスコグラフィーに目を通してオールディーズのタイトルを探しているのを知って面食らったのだ。
「〈イエスタデイ・ワンス・モア〉の2番に古い歌のタイトルを入れようと思ってるんだ」
ふたりはカレンに言った。
「えっ? いやだわ、そんなの!」
カレンが言った。
そのアイディアは、体裁をととのえるのがあまりに大変だということがわかってボツとなり、結局、歌詞は最終ヴァージョンのように完成するのである。
「最初の相談では何も決まらないんですよ」
彼らの曲 づくりについてベティスは語る。
「つねに模索、発見なんですけれど、それがまったく非科学的で、われわれふたりにしかわからない作業でしたね」
ポップスの黄金時代だった“あの幸せな日々”にノスタルジックな思いを馳せる雰囲気をたたえた〈イエスタデイ・ワンス・モア〉はカレンの哀調をおびた声質を存分に発揮できる曲となった。リチャードがアルバムのアイディア――片面をオールディーズで、もう一面をよりコンテンポラリーな曲でまとめるという――を聞かされた母親が、《ナウ・アンド・ゼン》ってタイトルはどうかしら、と提案した。つぎに彼は、ポップス華やかなりし時代のラジオ局やファンの熱狂を伝えるため、オールディーズ・メドレーを調和よく編成しようとしていた。カレンが懐かしい名曲、スキーター・デイヴィスのバラード〈この世の果てまで〉をよみがえらせ、さらにクリスタルズの〈ハイ・ロン・ロン〉やシフォンズの〈ワイ・ファイン・デイ〉といったきらきらした曲が元気のいいスタートの語りにふくらみをつけていく、そしてそれがすべてひとつのラジオ番組であるかのように構成された。その部分はコンサートでも使われ、絶賛を浴びた。
アルバムの“いま風”な面は〈シング〉ではじまり、レオン・ラッセルの名曲の決定ヴァージョン〈マスカレード〉と〈ヘザー〉がそれにつづく。そのつぎには、その後ずっとラジオから流れるようになる軽快な〈ジャンバラヤ〉が来て、さらにこれまたカレンの心の内を鏡に映したかのような曲、ランディー・エズルマンの〈アイ・キャント・メイク・ミュージック〉が最後を締めくくる。カレンはこの、閃きを失ったソングライターを歌った曲をどちらかというとあまりよく理解していないかのように歌っている。
またあの感覚がよみがえってくる
傷ついて 不安で怖くて
少しは成長したと思ってたのに またこんな風
こんな自分を何とかしたいけど
何一つできないでいる私
この陰鬱な曲は2年後のカレンの葛藤を予言していたのだが、いま聴いてみると、謎めいた不気味さをおびている。陽気な曲ばかりのアルバムのなかにあって、これだけが唯一の内省的な曲でもあった。
(つづく)
【解説】
名曲〈イエスタデイ・ワンス・モア〉はこうして生まれたのですね。
獅子風蓮