獅子風蓮のつぶやきブログ

日記風に、日々感じたこと、思ったことを不定期につぶやいていきます。

『カレン・カーペンター栄光と悲劇の物語』その1

2024-04-18 01:46:18 | 音楽

前回カーペンターズのことを紹介しました。

カーペンターズのことをもっと知りたくなり、こんな本を読んでみました。

レイ・コールマン『カレン・カーペンター栄光と悲劇の物語』(福武書店、1995.02)

リチャードとカレンの兄妹によるカーペンターズは、世界的に大人気となった。しかし1983年2月4日、カレンは拒食症(神経性食欲不振症)で突然死亡。このニュースは痩せ衰えたカレンの写真とともに、全世界に大きなショックを与えた。兄リチャードの証言を核に、カーペンターズの栄光の軌跡とその舞台裏、そしてカレンの発病から死にいたるまでの真実が、初めて克明に語られる。

かいつまんで、引用します。

(もくじ)

□序文(ハーブ・アルパート)
■プロローグ
□第1部 涙と恐れ
□第2部 栄光のアメリカン・ドリーム
□第3部 孤独な心
□第4部 坂道
□第5部 両海岸ブルース


プロローグ

これは栄光と悲劇に満ちた物語である。四半世紀前に登場し、いまなおその音楽がポピュラー・ソングの風景の一部として欠かせないカレン・カーペンターとリチャード・カーペンターの、本書ははじめての評伝である。

カーペンターズの黄金のサウンドは、〈遥かなる影〉〈愛のプレリュード〉〈トップ・オブ・ザ・ワールド〉〈イエスタデイ・ワンス・モア〉〈雨の日と月曜日は〉など立て続けのヒットにより猛烈なスピードで世界を駆けめぐった。一時的なヒットでは終わらないことを計算に入れて構築されたサウンドだった。

だが、このおとぎ話にはほろ苦い一面があった。カレン・カーペンターが、当時はまだあまり知られていなかったいわゆる摂食障害との7年間にわたる闘いの末、1983年2月4日に死亡したのである。その間、身内や友人は、カレンが女性の多くがたどる道を忠実にたどって痩せているだけだと思っていた。しかし実際は、カレンはダイエットに取り憑かれて抑えがきかなくなり、治療のかいもなく、女性が抱える大きな問題としてそのころようやく表面化してきた神経性食欲不振症がもたらす心不全により死亡したのである。

享年32歳、結婚はしていたが幸せではなく、仕事を愛し、大富豪だった。悲しみに痛む胸の内をひしひしと伝えるカレンの声は、音楽ディレクターでありソングライターである兄リチャードとともに、しばしば自伝とも思える挫折した恋やロマンスを扱った一連の曲を歌い上げた。〈青春の輝き〉〈ハーティング・イーチ・アザー〉〈愛にさようならを〉〈ソリテアー〉などである。

カーペンターズの音楽はいつの世にも人気があるばかりか、おそらく永久に不滅であることは間違いないが、成功をおさめるために彼らはいくつもの困難に打ち勝たなければならなかった。デビュー当時の彼らは評論家たちに“めそめそしている”“ご清潔”“性的魅力に欠ける”として無視された。“サッカリン”にたとえられる音楽のみならず退屈な外見が酷評されたのである。
1970年代前半のレッド・ツェッペリン、エルトン・ジョン、デヴィッド・ボウイ、スライ・ストーンといった面々の持ち味や姿勢が支配するロック界の空気、さらにディスコも台頭する時期に、メロディックなポピュラー・ミュージックを歌う、これといった主張もない兄妹は排斥の対象となった。そればかりか、彼らのファンであることを認める者までが“目覚めた社会”のなかにあって黴菌扱いされた。
20年後、彼らをあざけったアーティストの多くが消え失せる一方で、彼らの音楽は本領を発揮するようになる。飛行機のなか、レストラン、本屋やスーパーマーケットで流れ、ラジオからも聞こえてくる。CDの売れ行きも爆発的である。彼らのサウンドを真似、外見も真似たアーティストがアメリカ、イギリス、日本のあらゆる年齢層を対象にカーペンターズのヒットを大入り満員のコンサート・ツアーで演奏しては、彼らの曲を不滅のものとしている。
カレンとリチャード・カーペンターの作品は現在ではオープンに賞賛されている。とりわけ若年層が、声の美しさと曲と編曲の質を認めることを“クール”だとみなしている。
デビューが絶妙なタイミングだったとは言いがたいとしても、1990年代は彼らの魅力が時代を超え 本物だと認識している。
彼らの柔らかで心をなごませる音楽は、ヴェトナムやウォーターゲートといった危機的状況にたいする解毒剤として受け止められた。その時代のドラッグ文化のなかにあって、リチャードとカレンは多くの人々が新たなアメリカン・ドリームと考えるものを縮図として示した感があった。健全で、天賦の才に恵まれ、家族を大切にし、勤労を善とする考えをしっかりともつ彼らはニクソン大統領の賞賛をも受けた。大統領は彼らを“アメリカの輝ける若者”と表現し、ホワイトハウスに呼び寄せて公的な場で演奏をさせたほどである。

彼らには視覚的なインパクトがほとんどなかった。カレンはバンドの前に立ち、観客を楽しませはするものの、視線を釘付けにするほどのこともなく、一方リチャードはピアノの前でまじめくさって演奏する。しかしながら、そのレパートリーはラヴ・ソングであふれ、カレン独特の生来の才能がその魅力を余すところなく伝えた。一度聞いたら忘れられない、どこか寂しげなヴォーカルは完璧な音程と特徴ある音色をそなえており、同時代人の多くが今では彼女を最高の女性シンガーのひとりとみなしているのである。

(つづく)


解説
カーペンターズの音楽はいつの世にも人気があるばかりか、おそらく永久に不滅であることは間違いないが、成功をおさめるために彼らはいくつもの困難に打ち勝たなければならなかった。

アメリカでは、最初からカーペンターズが受け入れられたわけではなかったのですね。


彼らには視覚的なインパクトがほとんどなかった。カレンはバンドの前に立ち、観客を楽しませはするものの、視線を釘付けにするほどのこともなく、一方リチャードはピアノの前でまじめくさって演奏する。

私からみれば、カレンはじゅうぶんきれいなお嬢さんですが、アメリカの芸能界では、それだけでは通用しなかったということでしょうか。
そのことで、拒食症になっていったのでしょうか。

 


獅子風蓮



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