獅子風蓮のつぶやきブログ

日記風に、日々感じたこと、思ったことを不定期につぶやいていきます。

ダライ・ラマを陥れようとした中国(追記あり)

2023-06-09 01:55:06 | 中国・アジア

d-マガジンで興味深い記事を読みました。

引用します。


ニューズウィーク日本版 6月6日号

ダライ・ラマは 小児性愛者なのか

欧米の無知と偏見に付け込んで 
チベットの慣習を炎上の的へと変えたのは誰?
マグヌス・フィスケジョ(コーネル大学准教授、人類学)

チベット仏教の最高指導者ダライラマ14世に対して4月8日、世界の主要なSNSで新たな中傷キャンペーンが開始された。
と言っても、それだけなら今に始まった話ではない。抗中独立運動が拡大した1959年のチベット動乱以来、祖国を脱出したダライ・ラマは隣国インドで亡命生活を送っている。今もなおチベット人には敬愛されているが、中国政府はダライ・ラマの写真を所持することも禁じている。そして一貫して、ありとあらゆるメディアで誹謗中傷を続けている。
今回もまた「メイド・イン・チャイナ」の偽情報なのはほぼ間違いないが、不愉快な新手法があった。ダライ・ラマを、なんと小児性愛者に仕立てたのだ。しかも欧米諸国をはじめとして、世界中で膨大な数の人々が、この偽情報にあっさり踊らされた。昔ながらの偏見と無知に、SNS時代の短絡的で独善的な思考が重なった結果と言える。
この中傷キャンペーンの目的は、チベット亡命活動家のツェワン・ラドンが指摘したとおり、チベットにおける新たな弾圧政策から世界の目をそらすことにあった可能性が高い。この4月には国連の人権報告者が、中国はチベットの若者や児童を収容施設に送り、その独自文化を消去し、中国語を話す単なる労働者に変えようとしていると非難した。ウイグル人に対する仕打ちと同じだ。
また、先に亡命政府のあるインド北部のダラムサラで、アメリカ生まれのモンゴル人少年が転生霊童(生まれ変わり)としてチベット仏教第3位の地位に就いた。これは国を追われてもチベット仏教が健在であることを誇示し、中国側の意向を無視してダライ・ラマの後継者を指名する布石と目されている。当然、中国側にとっては面白くない。


炎上ネタと化した掘り出し物

それにしても、今回の宣伝工作はどのようにして始まったのか。材料になったのはダラムサラでのごく普通の出来事だ。チベット難民の支援団体で働くインド人女性が、8歳くらいの息子をダライ・ラマに引き会わせた。面会は2月28日に行われ、喜ばしい光景として、その動画がネット上に投稿された。そうして1カ月が過ぎた。
おそらく中国当局は、予想される新たな対中批判に備えて知恵を絞っていたのだろう。近年は国内にとどまらず、欧米のSNSへの進出にも力を入れている。
だから2月28日の動画を見つけたときは、小躍りしたに違いない。そうしてダライ・ラマが8歳の男児にキスしようとしているような部分だけを切り取った。実際、そこではダライ・ラマが舌を突き出し、おぼつかない英語で「私の舌を吸って(なめて)」と言っている。
その切り出し部分は2月に開設したツイッターのアカウントから「ベド(小児性愛者)ダライ・ラマ」という見出しを付けて発信された。この動画はデマ拡散用のアカウントや、世界各地の親中派ネットワークを通じて広まった。数日のうちに数百万回ものヒットを記録し、さらに多くのミームが重なった。突如として、ダライ・ラマのことなどろくに知らない大勢の人々が、ダライ・ラマを非難する展開になった。
私が初めて知ったのは、情報通の学者仲間を通じてのことだ。「やりすぎだ。評判に傷が付くことを自覚しているべきだった」と、彼はダライ・ラマをこき下ろした。
だが、実際には何が起きていたのか。実を言うとチベットには昔から、自分の子に口移しで食べ物を与える習慣がある。ダライ・ラマの故郷のアムド地方(現青海省)はもちろんのこと、今でも各地にその習慣は残っている。故にチベットのお年寄りは、孫に与える食べ物や菓子がなくなると舌を出して見せ、「私の舌を食べたらどうだい、もう何も残っていないのでね」と冗談を飛ばす。
ダライ・ラマが「舌を吸え(なめろ)」と言ったのは、あめ玉を想像したせいかもしれない。元のチベット語では、直訳すると、食べ物の代わりに「私の舌を食べろ」だ。
この動画を通しで見れば分かる。そこに性的な要素はない。ダライ・ラマは自分の頭を少年の肩に押し付け、昔はこんなふうにして、兄とよくけんかしたものだと話している。それから少年と額を合わせている。これは欧米の握手と同様、相手に敬意を表する伝統的なしぐさだ。

(ダラムサラの寺院のイベントで面会した少年と額を合わせるダライ・ラマ (2月28日))


単純に喜ばしい場面だった

少年も母親もその後、喜々としてインタビューに応えている。母親は数メートル離れた場所で面会を見守っていた。不適切なことなど何も起きていなかったのだ。ダライ・ラマが舌を 出す前に、少年は頬と口の両方にキスを受けた。これもチベットでは伝統的な儀礼だ。そして舌を出し、「もう何もない」と示した。それは 面会終了の合図でもあった。
少年は初め、ダライ・ラマに「ハグ」していいかと尋ねている。だがダライ・ラマは、その英語の意味を理解できなかったらしい。通常、チベットの人々はハグをしない。握手もしない。それでもダライ・ラマは(チベット伝統の)額合わせとキス、「舌を食べろ」のジョークに加えて、最後はハグと握手にも応じている。動画全体を見れば分かることだ。
そこに「小児性愛」を見るのは西洋人の「心が汚れて」いるからだと、インドの識者は言う。西洋人の人類学者である私は、そこに異なる文化やジェスチャーを理解することの困難さを見る。
その困難さを、中国の宣伝工作部隊は巧みに利用した。SNSのユーザーが、こういう動画にどう反応するかも知っていた。たいていの人はチベットの文化も慣習も知らない。ましてや「舌を吸う」に性的な意味がないとは思わない。一方で、キリスト教の聖職者に小児性愛者がいることは知っている。この無知と偏見に、中国側は付け込んだ。そして聖職者であるダライ・ラマを小児性愛者に仕立てた。
まんまと作戦は成功した。この偽情報は爆発的に拡散し、世界中でダライ・ラマとチベット人の評価が下がった。チベットで中国政府が進める民族文化抹殺政策に目を向ける米メディアはほとんどなかった。
するとダライ・ラマの事務所は、ダライ・ラマの「言葉が誰かを傷つけたのなら」謝罪するという声明を出した。国際社会への配慮なのだろうが、チベットの人たちは混乱した。謝る必要はないと、みんな思っていた。だからダラムサラやラダックでは、ダライ・ラマを支持する自然発生的なデモが行われた。
この事件全体を考えているうちに、ある古い記憶が脳裏に浮かんだ。人類学のフィールドワークで、中国とミャンマーの国境地帯に住むワ族の人々を訪ねたときのこと、すぐ近くに赤ん坊を抱いた若い母親がいた。すると彼女は、赤ん坊に口移しで食べ物を与え始めた! そんな光景は初めてで、私は思わず目をそらした。見てはいけないプライベートな、ほとんど性的な行為に思えたからだ。
もちろん、そこに性的なものを見たのは私だけだった。ワ族の人なら、少しも性的だとは思わない。口移しで幼児に食べ物を与えるのはワ族が日常的に行っていることだ。プラスチック製のスプーンが普及していない地域では、たぶんどこでも行われていることだろう。
あのときの私の混乱は、ダライ・ラマの行為に対する西洋人の群集心理的な反応に似ている。欧米のSNSにばらまかれた悪意ある画像を目にした多くの人が、そこにハリウッドの大物映画人のゆがんだモラルとセクハラを重ね合わせた。悪意の存在を疑う人はほとんどいなかった。仕掛けた側は、ただ小児性愛におわせるだけで十分だった。後は人々が勝手に解釈してくれた。
ドナルド・トランプ前米大統領のスピーチもこれに似ている。トランプは本当にひどいことを言いたいとき、言葉を最後まで言わない。聴き手が勝手に残りを補い、それで満足し、正義は自分たちにあると信じ込むように仕向ける。同じように、ダライ・ラマをおとしめたい中国側はSNSに絶妙な餌を投げ込んだ。トランプの餌に食い付くのは右翼のナショナリストだが、今度の餌にはもっぱら左翼のリベラル派が食い付き、やはり正義は自分たちにあると信じた。
チベットの人が挨拶に舌を使うことは、よく知られている。それでも、この切り取られた動画を見て「待てよ、これは誰かが、何らかの意図で仕掛けたものではないか」と疑う人はほとんどいなかった。
スロベニアの哲学者スラボイ・ジジェクはチベット語の「私の舌を食べて」の意味を正しく理解していたが、そこに西洋的な基準を当てはめて急な判断を下すことの危険性を指摘するところまではいかなかった。もちろん中国側は、そういう西洋人の独善的な傾向を見抜いていた。そしてもくろみどおりの成功を収めた。私の母国スウェーデンでは最大手の日刊紙アフトンプラデットが、少年に「舌を吸ってくれ」と頼んだダライ・ラマに非難が集中と、何の背景説明もなしで伝えた。この新聞は続報でカーディ・B(アメリカの有名なラッパー)の言葉を引用し、「児童虐待の加害者」への攻撃を開始した。他のメディアも同様に、チベット文化やチベットにある強制収容所の問題には触れもせず、この「スキャンダル」だけを報じた。
アメリカでは、由緒あるAP通信も同じような対応を見せていた。子供の味方を自称する独善的な人々が先を争って暴走した。メディアに登場する人たちも、仕組まれた画像を疑うことなくダライ・ラマを非難し、調査を要求した。
こんなことではチベットの人たちがさらに苦しみ、傷つくだけだ。彼らは長年にわたり中国に占領され、独自の文化を否定され、中国文化への同化を強いられてきた。そして今は中国の仕掛けた中傷キャンペーンで悪者扱いされ、世界中の人々から一方的な非難を浴びている。


民主主義国をむしばむ工作

さすがに、インドにはこうした事情をよく知る識者がいてSNSを通じて偽情報が瞬時に拡散してしまう恐怖の事態から何を学ぶべきかを考察している。彼らが示唆しているとおり、今回の事態には、チベット人ではない私たちが真摯に向き合うべき大きな課題がある。
民主主義諸国はYouTubeやフェイスブックに代表されるSNSに対する監督・監視を強化すべきだ。さもないと国内外の専制主義者に乗っ取られ、悪用されてしまう。
諸悪の元凶は、アルゴリズムで拡散するスキャンダルから生じる利益に群がるSNS運営会社の体質だ。嘘でもいいからショッキングなクリックベイト(ユーザーの衝動的なクリックを誘う餌としての画像や見出し)を掲げ、餌に食い付いたユーザをできるだけ長く自社サイトにとどまらせ、その間に集めた情報で的を絞った広告を送り付ける。こんなビジネスモデルがある限り、「餌」はどんどん過激になり、嘘が増え、結果として民主主義への信頼が損なわれる。
しかも、そこに中国共産党が目を付けた。その宣伝工作機関は巨大で、SNSもAI(人工知能)も巧みに使いこなす。そして経験を重ねて腕を磨き、世界中で暗躍している。今回のように私たちの無知や偏見に付け込み、利用するすべも心得ている。この陰湿な宣伝工作に対抗するのは、たぶんウラジーミル・プーチンのいるロシア軍を撃退するより難しい。学者の信用も低下しているようだ。どこのメディアもクリックベイトに食い付き、それを無邪気に拡散させるだけで、チベット文化に詳しい専門家や人類学者の見解を聞こうとしなかった。
いや、人類学者が自ら身を引いてしまったのかもしれない。差別を悪とする世論が高まるなか、私たち人類学者は民族による文化の違いを説明するという本来の役目を放棄している。こうなると、ますます悪質な宣伝工作がはびこる。
忘れるなかれ、中国は常に新たな「金脈」を探している。例えば、台湾の信用を決定的に失墜させるようなフェイク画像を。


解説
実を言うとチベットには昔から、自分の子に口移しで食べ物を与える習慣がある。ダライ・ラマの故郷のアムド地方(現青海省)はもちろんのこと、今でも各地にその習慣は残っている。故にチベットのお年寄りは、孫に与える食べ物や菓子がなくなると舌を出して見せ、「私の舌を食べたらどうだい、もう何も残っていないのでね」と冗談を飛ばす。
ダライ・ラマが「舌を吸え(なめろ)」と言ったのは、あめ玉を想像したせいかもしれない。元のチベット語では、直訳すると、食べ物の代わりに「私の舌を食べろ」だ。
この動画を通しで見れば分かる。そこに性的な要素はない。ダライ・ラマは自分の頭を少年の肩に押し付け、昔はこんなふうにして、兄とよくけんかしたものだと話している。それから少年と額を合わせている。これは欧米の握手と同様、相手に敬意を表する伝統的なしぐさだ。

文化人類学は重要な学問である。
ある特定の文化でなんでもないことが、別の文化を持つ人々には恥ずべき行為に写る。
文化人類学は、異なる文化をお互いに尊重するべきであると教える。

この記事では、文化人類学者が、チベットではなんら問題のない行為が、西欧人にとっては「小児性愛」の行為と受け取られることを利用し、中国政府がダライ・ラマを陥れようとしたことが書かれています。

私も、今年の4月に朝日新聞に、ダライ・ラマの事務所が、ダライ・ラマが面会した少年に口づけし、さらに自分の舌を吸うよう促したとして、謝罪声明を発表したという記事を読んでびっくりしました。
ネットだと、これですね。

ダライ・ラマが謝罪声明、少年に「私の舌を吸って」 拡散動画に批判

私は、自分のホームページでも書きましたが、ダライ・ラマを尊敬していますので、こういう記事が朝日新聞に載ったこと自体を、心配しました。

でも、今回の記事を読んで、ダライ・ラマの事務所は、なんら謝罪する必要もなかったことが分かりました。

許せないのは、すべてを分かった上で、SNSを利用してダライ・ラマを陥れようとした中国政府です。

情報を受け取る側としては、ネットリテラシーをさらに高め、分からないことについては、文化人類学者などの専門家の意見を参考にするといった、慎重な態度が求められるでしょう。


獅子風蓮


PS)

この記事を書き終わって、池田バッシングでよく言及される「マジックインキ事件」を思い出しました。
これも、当事者の幼児やその家族、それを見守っていた多くの学会員にとってはなんのことはない、むしろほほえましい出来事であったのに、池田氏を陥れようとした何者かによってしくまれ、写真が流出したのではないかと、そんなことを思ったのです。

詳細は別のところ(獅子風蓮の青空ブログ)に書きました。

よろしければ、お読みください。

獅子風蓮(2023.06.13追記)

 



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