石橋湛山の政治思想に、私は賛同します。
湛山は日蓮宗の僧籍を持っていましたが、同じ日蓮仏法の信奉者として、そのリベラルな平和主義の背景に日蓮の教えが通底していたと思うと嬉しく思います。
公明党の議員も、おそらく政治思想的には共通点が多いと思うので、いっそのこと湛山議連に合流し、あらたな政治グループを作ったらいいのにと思ったりします。
湛山の人物に迫ってみたいと思います。
そこで、湛山の心の内面にまでつっこんだと思われるこの本を。
江宮隆之『政治的良心に従います__石橋湛山の生涯』(河出書房新社、1999.07)
□序 章
□第1章 オションボリ
□第2章 「ビー・ジェントルマン」
□第3章 プラグマティズム
□第4章 東洋経済新報
□第5章 小日本主義
□第6章 父と子
■第7章 政界
□第8章 悲劇の宰相
□終 章
□あとがき
第7章 政界
(つづきです)
5月22日、第一次吉田内閣が組閣され、親任式が終わった。この翌日、湛山は東洋経済新報社の代表取締役社長を辞任した。
湛山は、当時の世論であった「財政緊縮によってインフレを抑えるべきだ」という主張に真っ向から対決した。財政演説の筆も官僚の力を借りることなく自分で執った。
湛山が警戒したのはインフレではなく、むしろデフレであった。
「インフレとは、ケインズ経済で言えば完全就業下での通貨膨張であって、日本の今はそれではない。むしろ今は、完全雇用に力を入れるべきであるし、増産に向かうことが最も大事なことだ。そのためには、戦時補償の打ち切り問題に取り組むこと、石炭を増産すること、終戦処理費用の削減である」
と説いた。戦時補償が打ち切られれば、損害が銀行に及んで預金者に不安を与えることになる。湛山は、この回避のために「会社経理応急措置法」を国会で成立させて経済界の補償打切りによる打撃を軽減させた。
石炭は年間産出量2000万トンから3000万トンに供給拡大することを提案した。そのために業者には新円による資金提供も決めた。
これだけでもGHQをカリカリさせたのに、湛山はさらに追い打ちをかけるように、
「進駐軍の諸経費、つまり終戦処理費といわれるものが、日本の国家予算の36パーセントを占めるというのは異常を通り越して、噴飯ものである。日本政府に対してインフレ防止を要求しながら、実はこの戦後処理費がインフレを助長しているのだ」
湛山は、その事実を国会で明らかにするとともに、地方にいる進駐軍が工事などを通じて業者から賄賂を取るなどの乱脈ぶりを含めて、GHQに改正の要望書を提出した。
「住宅地、ゴルフ場、生鮮野菜貯蔵のためのプール建設費、将校への花や金魚などの宅配費などま で、詳細に報告すれば数限りありません。いかに戦勝国とはいえ、毎日の暮らしも食費もままなら ない日本人の窮状からすれば、我慢の限度を超えております」
この要求に対してGHQばかりか、地方の進駐軍からも湛山への反発が湧き上がった。
「石橋という大蔵大臣は何を言っているのだ? 日本は戦争に敗れたのだ。戦後処理費は戦勝国の特権であって、敗戦した側がいろいろ言える筋合いのものではない」
「石橋積極財政」を取る湛山は、GHQにとって危険人物との烙印を押されたに等しかった。
外国人の記者はこんな湛山を「ストロングマン」と呼んだ。正しいと信ずる道を、真っすぐに歩む湛山につけられたニックネームであった。
周辺は「石橋は心臓だ」と囁くようになった。芝三田綱町の旧渋沢敬三邸が蔵相公邸になっていたために、そこに湛山は梅子とともに移り住んでいたが、道端で石蹴りをして遊ぶ子供たちは「イシバシだ、シンゾウだ」と唄いながら遊んだ。
庶民の間でも、湛山は「GHQをものともしないで堂々と意見を言う、ただ一人の日本人」として日増しに人気が上がっていった。
(つづく)
【解説】
「石橋積極財政」を取る湛山は、GHQにとって危険人物との烙印を押されたに等しかった。
それとは裏腹に、湛山は庶民の間で人気が上がっていきました。
獅子風蓮