中東の紛争を理解するには、その宗教と歴史から勉強する必要がありそうです。
d-マガジンでこんな記事を読みました。
引用します。
ニューズウィーク日本版 9月17日・24日号
聖書と歴史から読み解くユダヤ人とユダヤ教
ユダヤ人はなぜ世界に離散したのか?
多くの優秀な人材を輩出したのはなぜか?
ユダヤを知れば今の世界が見えてくる
嶋田英晴
(同志社大学一神教学際研究センター共同研究員)
今年10月3日で世界各地のユダヤ人が用いるユダヤ暦は5785年を迎える。その起点は聖書に記された「天地創造」である。
ではユダヤ人とは一体何なのか。中世以来の定義によれば、ユダヤ人の母親から生まれた者、もしくはユダヤ教への改宗者である。これはどの民族にも通じることだが、ユダヤ人は自らのアイデンティティーを保持しながら生き残るために努力する。それはユダヤ人が神と契約を結び、神に選ばれた民として生きることにより、「神の意志」を地上に実現することを自らの使命と捉えた時以来、ユダヤ人が自らに課してきた定めだと言える。ではその神の意志とは何なのか。
神と交わした契約
ユダヤ人の信じる『ヘブライ語聖書』(構成は異なるがキリスト教でいう『旧約聖書』に相当)によれば、神は最初の人間アダムを創造してこれを「祝福」した。祝福とは繁栄や幸福などを引き起こすために発せられる神の言葉だ。しかしアダムは「悪への衝動」に負けて神に背いてしまう。そこで神はアダムの子孫のアブラハム(ユダヤ教、キリスト教、イスラム教で「信仰の父」とされる)という人物に目を留める。
アブラハムは、ユダヤ人を含むイスラエルの民の祖先である。紀元前18世紀頃、神によって召命され(選ばれ)、神の示す地へ移住することを命ぜられた。神は彼と契約を結び、彼を祝福してその子孫を大いに増やすこと、彼とその子孫に永久にカナンの地(現在のイスラエルとパレスチナ)を与えること、そして彼とその子孫を通して全人類を祝福することを約束した。神はアブラハムの息子のイサク、孫のヤコブとの間にも同様の契約を結んだ。ヤコブは、後にイスラエルと名前を変え、その12人の息子たちはイスラエル12部族の祖となった。そして現在のユダヤ人を構成しているのは、そのうちのユダ族、ベンヤミン族、レビ族である。
ヤコブと共にエジプトに移住したイスラエルの民は、その後400年にわたって奴隷となっていたが、紀元前13世紀頃、預言者モーセが神によって召命されイスラエルの民をエジプトの圧政から解放し、シナイの荒野へと導いた。そこで神はモーセに十戒をはじめとする律法を授けた。
古代イスラエルの宗教の系譜を引くユダヤ教は、超越的な神がこの世界の人間たちに対して現れる現象、すなわち啓示を基盤とする宗教である。そしてユダヤ教では、啓示が「法」として理解され、モーセが荒野で授けられたとされる律法がその啓示である。
聖書の記述によれば、荒野で40年間の時を過ごしたイスラエルの民は、その間に律法に則した生活を送った。モーセの没後、後継者ヨシュアの下でカナンへと侵入したイスラエルの 民は、カリスマ的指導者である士師たちに従ってカナンの地の征服を進め、王国を築いた。第2代王のダビデはエブス(エルサレム)を攻略し、そこを首都としてカナンの全てを統治した。彼の下でイスラエルの民に対する神の約束が成就した。次の王ソロモンは、モーセが神から授かった十戒の石板を納めた「契約の箱(アーク)」を安置する壮麗な神殿をエルサレムに建設し、その治世下でイスラエル王国は繁栄を極めた。
しかし、ソロモン王の死後王国は北のイスラエル王国と南のユダ王国に分裂し、イスラエル王国はアッシリアによって、ユダ王国は新バビロニアによって滅ぼされた。この時神殿もエルサレムも破壊され、上層の人々はバビロニアに連行された(バビロン捕囚)。彼らは故国の滅亡の原因を、軍事力の強弱ではなく、唯一の神に対する信仰の多寡の問題と捉えたため、彼らは異邦人の地において、食物規定、安息日、割礼の遵守などの独自の規定を厳守することにより、自らを移住地の社会から切り離し、選民イスラエルとしてのアイデンティティーの維持に努めた。
やがて新バビロニアを滅ぼしたペルシア帝国のキュロス王により故地カナンへの帰還が許され、カナンに帰還した民によりエルサレムの神殿が再建された。もっともバビロンおよびその周辺にとどまった者も少なくなかった。その後、祭司エズラによるトーラー(律法)の朗読がなされ、ユダの民の悔い改めが行われた。後にペルシア帝国はアレクサンダー大王によって滅ぼされ、その支配の下でユダの民はヘレニズム文化と対峙して自らを「ユダヤ人」として強く自覚するようになった。ユダヤの地を支配したギリシャ系の王朝であるセレウコス朝がユダヤ人にヘレニズム文化を強制(偶像崇拝)したため、ユダヤ人は反乱を起こして独立を勝ち取った。
なぜユダヤ人は離散したのか
紀元前64年にはローマがセレウコス朝を滅ぼし、やがてユダヤはローマの属州とされてユダヤの民は圧政下に置かれた。こうした状況において、古くからその出現が期待されていた理想の王であるメシア(油を注がれた者=救世主)の到来が強く待望され、この頃登場したナザレのイエスこそメシアであると見なす人々は後にユダヤ人とはたもとを分かっていく。紀元66年にはユダヤ人迫害を機に第1次ユダヤ戦争(対ローマ戦争)が勃発し、激闘の末、70年にローマ軍によってエルサレムの第二神殿が破壊された。
この頃、ヘブライ語聖書の正典化が進み、ラビ(「教師」と呼ばれる俗人の律法学者)の称号を持つ賢者が台頭し、ユダヤ教は祭政一致から離脱して口伝律法の整備と祈りや学習の場所としてのシナゴーグ(礼拝・集会所)の利用が顕著になった。一方ローマに対する不満から、ついに132年に第2次ユダヤ戦争が勃発し、反乱鎮圧後にエルサレムはユダヤ人の出入りが禁止された。こうしてユダヤ人は本格的に世界中へと離散した(ディアスポラ)。
(つづく)
【解説】
ユダヤ人とユダヤ教の歴史を正しく知らないと、なぜイスラエルが領土にまつわる紛争をたびたび引き起こすのか、理解することはできません。
獅子風蓮