獅子風蓮のつぶやきブログ

日記風に、日々感じたこと、思ったことを不定期につぶやいていきます。

佐藤優『国家の罠』その40

2025-03-03 01:48:22 | 佐藤優

佐藤優氏を知るために、初期の著作を読んでみました。

まずは、この本です。

佐藤優『国家の罠 ―外務省のラスプーチンと呼ばれて』

ロシア外交、北方領土をめぐるスキャンダルとして政官界を震撼させた「鈴木宗男事件」。その“断罪”の背後では、国家の大規模な路線転換が絶対矛盾を抱えながら進んでいた―。外務省きっての情報のプロとして対ロ交渉の最前線を支えていた著者が、逮捕後の検察との息詰まる応酬を再現して「国策捜査」の真相を明かす。執筆活動を続けることの新たな決意を記す文庫版あとがきを加え刊行。

国家の罠 ―外務省のラスプーチンと呼ばれて
□序 章 「わが家」にて
□第1章 逮捕前夜
□第2章 田中眞紀子と鈴木宗男の闘い
□第3章 作られた疑惑
 □「背任」と「偽計業務妨害」
 □ゴロデツキー教授との出会い
 □チェルノムィルジン首相更迭情報
 □プリマコフ首相の内在的ロジックとは?
 □ゴロデツキー教授夫妻の訪日
 □チェチェン情勢
 □「エリツィン引退」騒動で明けた2000年
 □小渕総理からの質問
 □クレムリン、総理特使の涙
 □テルアビブ国際会議
 □ディーゼル事業の特殊性とは
 □困窮を極めていた北方四島の生活
 □篠田ロシア課長の奮闘
 □サハリン州高官が漏らした本音
 ■複雑な連立方程式
 □国後島へ
 □第三の男、サスコベッツ第一副首相
 □エリツィン「サウナ政治」の実態
 □情報専門家としての飯野氏の実力
 □川奈会談で動き始めた日露関係
 □「地理重視型」と「政商型」
 □飯野氏への情報提供の実態
 □国後島情勢の不穏な動き
□第4章 「国策捜査」開始
□第5章 「時代のけじめ」としての「国策捜査」
□第6章 獄中から保釈、そして裁判闘争へ
□あとがき
□文庫版あとがき――国内亡命者として
※文中に登場する人物の肩書きは、特に説明のないかぎり当時のものです。

 


複雑な連立方程式

1998年4月18日から19日、静岡県伊東市の川奈ホテルで日露首脳会談が行われた。現地では桜は既に散ってしまっていたが、会談の雰囲気を盛り上げるために会談場には桜の枝が持ち込まれた。
この桜の花の下で、橋本首相が北方領土問題解決に向けた大胆な提案(「川奈提案」)を行ったことについては既に述べた。このとき、橋本氏は、前年11月のクラスノヤルスクでエリツィン大統領から受けた北方領土への電力支援要請について、「ディーゼル発電機を供与する」との提案をした。エリツィン大統領は「ありがとう」と言ってそれを受け入れた。ここからディーゼル事業が本格的に動き出すのである。
エリツィン大統領は、日本政府による北方領土へのディーゼル発電機供与を喜んで受け入れた。しかし、ロシア内部での反応は、一様ではなかった。
ロシア外務省をはじめとするモスクワの中央官庁は、大統領が言ったことだから、それを着実に遂行するという姿勢だった。当時、モスクワではチェルノムィルジン首相が更迭された直後で中央政局が混乱していたので、政治エリートには北方領土問題に真剣に取り組む余裕がなかったことが幸いしていたと思われる。
一方、サハリン州は、相変わらず地熱発電に固執していた。本音では日本製ディーゼル発電機により日本が北方四島の「首根っこを押さえる」ことになるよりは、現状の電力不足が続いた方がましくらいの考えだったに違いない。現地、特に色丹島では、「とにかく電気がほしい。地熱だろうがディーゼルだろうが関係ない。ただし、日本が人道支援を領土奪取という邪悪な意図に結びつけるならば、それは許さない」という雰囲気だった。
根室を中心とする元島民の間では、「なぜロシア人にそこまで手厚くしなくてはならないのか」という不満の声もあった。官邸、外務省は、「川奈提案」は従来の日本政府の立場からすると大幅な妥協案なので、この案を基礎に日露平和条約が締結されても元島民や圧力団体に不満が高まることも危惧していた。
これら全ての要素を勘案して、誰かがこの複雑な連立方程式の解を全て満たす必要があった。橋本首相の側近で現職閣僚、根室を含む道東を選挙区とし、元島民、返還関係団体とのパイプも太く、ロシアにも人脈がある鈴木宗男氏がこの難しい課題を解決するのに最適な人物であるということで関係者の認識は一致していた。
それに加え、鈴木氏は北方四島に初めて渡航した国会議員で、その後、北方四島から訪日するロシア系住民を丁重に扱い、地元エリートと良好な人間関係をつくっていた。鈴木氏ならば、現地住民の反発を買わず、かつ日本政府の公式の立場から逸脱せずに、しかも日本政府の戦略をうまく北方領土に埋め込むことができる。
外務省は鈴木氏が現職閣僚としてはじめて北方四島を訪問する機会に専門家を同行させ、そこでディーゼル発電機供与に関する予備調査を行うことが適当と考えたのである。
川奈会談後、西村六善欧亜局長は、頻繁に鈴木氏を訪ね、この計画に鈴木氏を誘った。
5月のある日、私が北海道開発庁長官室で鈴木氏にロシア内政動向について説明しているときに西村局長が訪れ「御多忙中のところ恐縮ですが、国後島、択捉島に鈴木大臣が現職閣僚としてはじめて訪問される機会に、JICA(国際協力事業団、現国際協力機構)の専門家を連れて、電力調査に行っていただけないでしょうか」と頼みこんだ。
鈴木氏は私に向かって「あんたも現地を見てみないか」と言うので、私は「是非見てみたいと思います。ただこれはうちの局(国際情報局)の話ではないので、私が決めることのできる話ではありません」と述べると、西村局長が私を遮り、「佐藤も同行させます」と答えた。
こうして、私は欧亜局の要請に基づいて北方四島に出張することになった。その後、鈴木氏の北方領土訪問のほとんどに私は同行することになった。情報屋の私にとって、北方四島の空気を直に知ることはとても有益だった。
2002年に国会で私が鈴木氏に同行してロシアや北方四島に19回出張したことが鈴木氏と私の不適切な関係として取り上げられたが、これらはいずれも欧亜局(98年12月、イスラエルに同行した際は中近東アフリカ局)からの依頼に基づき、正式の決裁を経て行ったことである。

98年6月23日から26日、鈴木氏は現職閣僚として初めて国後島、択捉島を訪問することになった。それ以前にも鈴木氏は北方四島を訪れているが、今回は4月の川奈会談を踏まえ、橋本内閣の閣僚としての訪問なので、その意味はこれまでの訪問と質的に異なった。もし、現地で鈴木氏が失言をしたら、それが平和条約交渉を頓挫させる可能性さえあった。その意味では大きなリスクを背負った訪問だった。
東郷和彦氏は当時、国会担当の総括審議官であり、外務省と政治家の窓口という職務を最大限に利用して、鈴木氏と頻繁に接触するようにつとめた。
その場に私も同席することが多かったのだが、鈴木氏と東郷氏が私に期待したのは、巧みなレトリックを作ることであった。
同じことでも言い方によって相手側の受け止めは大きく異なる。例えば、「お前、嘘をつくなよ」と言えば誰もがカチンとくるが、「お互いに正直にやろう」と言えば、別に嫌な感じはしない。伝えたい内容は同じである。私は次のようなレトリックを使ったらよいと進言した。

第一点は北方領土交渉について。
四島は日本人元島民にとって故郷であると同時に現在島に住んでいるあなたたちロシア人にとっても故郷である。日本人とロシア人の共存共生を考える時期にきている。私は日本の愛国者だから日本の名誉と尊厳は大切である。
日本の愛国者である私には、ロシアの愛国者であるみなさんにとってロシアの名誉と尊厳が大切なことはよくわかる。エリツィン大統領はロシアの愛国者で、橋本首相は日本の愛国者である。この二人の愛国者が決めたことならば、ロシア人にとっても日本人にとっても悪いことであろう筈はない。だから二人の首脳の決定を支持しよう。
ここで重要なのはロシア人の思考様式とワーディング(言い回し)だ。ロシア人は、身内ではエリツィンであれ、プーチンであれ、国家元首の悪口を散々言う。しかし、外国人がその話題に加わって大統領批判を加えようものならば、今まで悪口を言っていたそのロシア人が「お前はわが大統領を侮辱するつもりか」と食ってかかってくる。
ロシア人にとって、大統領とはロシア国家が人格的に体現された存在なのである。更にロシア語で言うナショナリズム(ナツィオナリズム)は、常に悪い意味で使われる。「私は日本のナショナリストだ」と言うと、ロシア語のニュアンスでは、「私は日本人至上主義者で、外国人は排除されるべきだ」という意味になる。これに対して、「私は愛国主義者(パトリオート)である」というと、常によい意味である。ロシア語のニュアンスでは日本の愛国者とロシアの愛国者が手を握ることは可能なのである。

第二に、支援のレトリックである。
ディーゼル発電機供与について、援助や支援ということばを極力使わずに協力ということばを使うことだ。
ロシア人はプライドが高い。
特に超大国ソ連から現在の困窮した状況に陥ったことで北方領土のロシア系住民は深く傷ついている。日本人が援助、支援ということばを多発してロシア人から感謝のことばを聞こうとしても逆効果になることが多い。あえて「困ったときはお互い様。日本も第二次世界大戦後は各国から支援を受けた」くらいの話をして、恩に着せない。人間の天の邪鬼性を重視することだ。それによって日本の支援の効果は四島により深く浸透する。
鈴木氏はこの考え方をよく咀嚼し、国後島、択捉島の発言で用いた。これは、確かに効果があったと思う。
98年10月から11月に色丹島、択捉島に非常用発電機が供与され、99年6月から10月に色丹島、同年7月から9月に択捉島に本格的なディーゼル発電機が設置された。日本から重油も部分的に供与され、これら二島の日本への依存度は強まった。
日本側の戦略は、「喉の渇いた人間にコップに半分だけ水を入れて与えるともっと水が欲しくなる」というもので、脳天気に人道支援をしているわけではなかった。
ロシア側もそのことはわかっていたが、当時、モスクワもサハリン州も北方領土の住民対策やインフラ整備に支出する財政的余裕がなかった。色丹島では親日感情が強まり、日本返還を望むと公言するロシア人もでてきた。最も反日感情の強かった択捉島でも、対日感情は改善した。
日本の戦略は思ったより効果を上げ、北方領土のロシア系住民の日本への依存度も高まった。また、頻繁に北方領土を訪問し、住民感情に配慮する鈴木宗男氏に対するロシア系住民の信頼感も高まった。

 


解説
これら全ての要素を勘案して、誰かがこの複雑な連立方程式の解を全て満たす必要があった。橋本首相の側近で現職閣僚、根室を含む道東を選挙区とし、元島民、返還関係団体とのパイプも太く、ロシアにも人脈がある鈴木宗男氏がこの難しい課題を解決するのに最適な人物であるということで関係者の認識は一致していた。
それに加え、鈴木氏は北方四島に初めて渡航した国会議員で、その後、北方四島から訪日するロシア系住民を丁重に扱い、地元エリートと良好な人間関係をつくっていた。鈴木氏ならば、現地住民の反発を買わず、かつ日本政府の公式の立場から逸脱せずに、しかも日本政府の戦略をうまく北方領土に埋め込むことができる。
外務省は鈴木氏が現職閣僚としてはじめて北方四島を訪問する機会に専門家を同行させ、そこでディーゼル発電機供与に関する予備調査を行うことが適当と考えたのである。
川奈会談後、西村六善欧亜局長は、頻繁に鈴木氏を訪ね、この計画に鈴木氏を誘った。

なるほど、こういうふうにして鈴木宗男氏は北方四島へのディーゼル発電機供与事業に巻き込まれていったのですね。

 

獅子風蓮



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