静岡市役所内で行われた組織的署名活動(http://navy.ap.teacup.com/hikaritoyami/586.html)についての続報が今日の読売新聞の記事にあった。
建前の「自主的な署名」とは矛盾する勤務時間内の催促があったことが具体的に描かれているが、職員の「断りづらい状況だった」との言葉がすべてを物語っている。
すなわち、断ろうと思えば断れる任意事案であると知りながら断れない組織の風土があるということだ。
しかも、この署名の職員への協力要請は組織トップの市長の指示だったことも明らかにされ、誰も疑問を抱くこともなく川上からら川下に水が流れるがごとく行われたのも納得だ。
例え幹部職員であってもノーとは言えないだろう。
いやむしろ幹部職員ほどノーとは言えない立場にあると言った方がよい。
問題はこれが単に市役所内、役所内のことだからということでは済まないことにある。
役所は大きな権限をもち多くの関係団体とかかわりをもっている。
その中には補助金始め許認可などで大きな影響力をもつ関係の個人や団体も含まれる。
こいった個人や団体もまた市の職員のように「断りづらい状況」に置かれやすいという現実だ。
もちろん前に書いたとおり各人がノーと言えればいいが、多くはそれさえ容易ではない。
だからこそ権力をもつ者はその行使に慎重さが求められるのだが、その本質はどこにあるか。
「学問なり技術があるということは立派なことにはちがいないが、それを人間のために有効に使って初めて、すぐれた人間だということができるのだと思う。何よりも大切なのは人を愛する心ではないだろうか。」(本田宗一郎)
何よりも大切なものを見失い、他人を自らの地位・利権の維持のための道具のようにしか考えていないような者には解るまい。
建前の「自主的な署名」とは矛盾する勤務時間内の催促があったことが具体的に描かれているが、職員の「断りづらい状況だった」との言葉がすべてを物語っている。
すなわち、断ろうと思えば断れる任意事案であると知りながら断れない組織の風土があるということだ。
しかも、この署名の職員への協力要請は組織トップの市長の指示だったことも明らかにされ、誰も疑問を抱くこともなく川上からら川下に水が流れるがごとく行われたのも納得だ。
例え幹部職員であってもノーとは言えないだろう。
いやむしろ幹部職員ほどノーとは言えない立場にあると言った方がよい。
問題はこれが単に市役所内、役所内のことだからということでは済まないことにある。
役所は大きな権限をもち多くの関係団体とかかわりをもっている。
その中には補助金始め許認可などで大きな影響力をもつ関係の個人や団体も含まれる。
こいった個人や団体もまた市の職員のように「断りづらい状況」に置かれやすいという現実だ。
もちろん前に書いたとおり各人がノーと言えればいいが、多くはそれさえ容易ではない。
だからこそ権力をもつ者はその行使に慎重さが求められるのだが、その本質はどこにあるか。
「学問なり技術があるということは立派なことにはちがいないが、それを人間のために有効に使って初めて、すぐれた人間だということができるのだと思う。何よりも大切なのは人を愛する心ではないだろうか。」(本田宗一郎)
何よりも大切なものを見失い、他人を自らの地位・利権の維持のための道具のようにしか考えていないような者には解るまい。