「県政オンブズマン静岡(静岡県庁の光と闇)~よりよき未来のために~」管理人のブログ

注)teacupブログから移転の2022年5月以前の投稿には、文字コードの違いから多くの文字化けがあります。

生活者不在の政府復興議論

2011-04-26 23:13:00 | ノンジャンル
総理の私的諮問機関とはいえ、冒頭からいきなり増税議論の東日本大震災復興構想会議。
何がしたいのかは国民もよく分かっているようで、非難されたあげくに議論先送りとか。

まず行うことは仮設含めた応急対応であるが、十分とはいえないものの限られた人的物的資源の中、各方面の努力によって着実に進んでいると思う。
しかし、その後はまったく見えない。
原発の放射線の問題もあるのだろうが、現在非難している人、その一人一人がこれから先どのように暮らしていけるのか、
そのことについて答えられる人も部署も無い。
例えば、自宅を失った年金生活の一人暮らしの自宅生活者は元の生活に戻れるのか、元どおりとはいかないまでもそれに近い生活に戻れるのか、それを誰がどのようにケアするのか。

被災地とはいってもそこに住むのは今を生きている一人一人の人である。
復興院がどうのこうのというのは結果としてはあっても議論の出発点ではないだろう。

まずは、一人一人の生活者を守ること、そのためには身近で共同体的に調整できる基礎的自治体への財源と権限委譲、しかもその権限は現行の法制度を超えた特区的なものとしなければ絵に描いた餅だ。
平時ならともかく、こんな時にムダづかいに走れる自治体などあるはずがない。中央の縦割り支援よりも効率的に、また自治というより住民との納得のシステムの中でお金が使われることが期待できる。
静岡県のようにこの国難の時期に知事と一緒に熊本観光ツアーだとか、観光旅行に出かける人に漫然と税金補填し続けるなどという被災地自治体などはないだろうし、そんなことをしようとしたら住民が黙っていないだろう。

政府が政権維持のため成果を見せたいという気持ちもわかるが、何でもかんでも中央政府が主導とばかりに復興の仕組みを押しつけることは厳禁だ。

地域地域で多様な支援と復興のスタイルがあっていい。
希望の光は、まず、そこに住む人の下に当ててほしい。