探梅やなぜ故郷を捨てたのか 妻と子と何捨てたって探梅行 探梅行妖怪人間ベムの貌 梅園を抜けていつもの街にゐる 探梅の途中ドローンの気配せり 探梅の一群またも見失ふ 時間とは物質の変化の量探梅行 探梅や東京に無人駅溢れ 父母に始まる地獄探梅行 探梅行芭蕉と書いてワタシと読む APAホテル探梅ツアーと違ふのか 空無といふ言葉親しむ探梅行 七七の幻肢を求め探梅行 俳句もしや不滅の詩型探梅行
早咲きの梅早く散ることを知れ 早梅といふ泥だらけの夢を見た 早梅や無人駅などあるものか 早梅や造化と道化は違ふだろ 探梅の小さき人とすれ違ふ 今井美樹のLIUVIA冬梅咲き誇る 寒梅の落下の迅さ計りをり 寒紅梅アヴァンギャルドな空のあり ゆるゆると起き上がりたる冬の梅 寒紅梅はじまりの無き終りあり 寒の梅一輪難民話尽く 春なれば亡き者あまた寒の梅 沖縄に往きて還らぬ寒の梅 どろろとは忍者の異名梅一輪 寒梅のごとく流れて発火せり
引きこもりオタク前史に余寒あり 余寒あり摂津幸彦って誰ですか ラストシーンの小倉一郎余寒あり(市川昆監督「股旅」) 稲畑汀子現代を生きて余寒あり サラリーマン川柳もとめ余寒あり 福祉事務所の順番札に余寒あり みちのくの揺れ飛火せる余寒あり 余寒なほ森の時間の屹立す 青春に死は付きものと余寒くる 仏法の子の死に効かぬ余寒かな オタク文化はや50年余寒あり 動物化の極み余寒の続きをり 大根の半額セール余寒あり 歩きつつ空膨張す余寒かな メビウスの輪の解けてなほ余寒かな 深夜2時のヒソヒソ話余寒あり
春巻を揚げぬ暗黒冬を越え 摂津幸彦 摂津は70年安保世代。それに遅れて来た私たちはここにある《暗黒》とさえ無縁な存在であった。ただ冬から春への予定調和の直中に当初から取り残された世代であった。
私は1950年代生まれであり、かのウイキペディアに【プレおたく世代】という称号を授けられた。これは実に名誉なことである。団塊の世代とも言われた70年安保世代と1980年代の前向きな空虚感を伴って生まれた最初の【新人類】世代の一部が漫画アニメやアイドルなどのサブカルチャーの担い手として最初の【おたく世代】となった人々との埋め難い断崖に宙吊りにされた世代だからだ。その人々から忌避され、自身も何ら自己主張する手段を生み出し得なかったからだ。1970年代前半に大学進学のため上京した時、わずかに1967~69年の新左翼・全共闘運動やカウンターカルチャー運動(対抗文化。ロック・ドラッグ・ヒッピー・アングラなどに象徴される反体制文化)の残り火がまだ燻っていた。自ずと授業は欠席しがちで、学生会館(部室や自治会室・食堂など)に屯する毎日が始まった。2~3年ほどで70年直後の先輩たちが卒業してゆき、私たちに継承されることもなく孤立して行った。プレおたく世代とは言わば断崖絶壁に立たされた世代と言える。70年安保世代との間の断層は、その後も大きく口を開いたまま、私たち一人々々が背負い込むことを強いられた。そうこうしているうちに、今度は後輩としてやって来た連中は、私たちと違って70年安保世代と直に接触することがなかっただけに諦めが早かった。どこか決定的に時代の【空虚感】というものと慣れ親しんでいた。1970年代の後半の到来であった。・・・《続く》
春灯しこれが日本だ私の国だ まほろば *五つの赤い風船『遠い世界に』より
ウイキペディア【おたく】によれば、1950年代生まれの私は【プレおたく世代】だそうだ。なるほどそうだと頷ける。大学入学のため上京したのが1970年代前半だから、まだ60年代末の学生運動やロック・フォークの残り火が燻っていた。当時は、世界も日本もよく見透すことが出来たのだ。正直言うと、私は学生運動に参加するために上京した。そして、その期待は見事に裏切られた。もはや街も人もシラケきっていたのだ。それでも、わずかに残る熱気を随所に嗅ぎ分けてはしがみついて来た。それも70年代半ばまでが限界だった。ちょうどベトナム戦争のサイゴン(現ホーチミン市)陥落が1975年でピタリと符号する。その後、つまり70年代後半からどうしたか?それこそが私の《オタク》の始まりであった。昼と夜が見事に逆転し、夜な夜な古本屋→ジャズ喫茶へと通い詰めた。俳句同人誌「豈」の創刊者の故摂津幸彦さんは70年安保世代だが、60年代の終り頃は全共闘運動(関西学院大)のかたわら、ジャズ喫茶に通ったという。その道を数年遅れで辿ったことになる。流れていたチャーリー・パーカーやジョン・コルトレーン、エリック・ドルフィーなどは時代を超えて普遍的なものだったし、マスターも常連客もチャキチャキの60・70年安保世代であった。コーヒー1杯で何時間も粘っては吉本隆明や現代詩文庫(思潮社)を読み耽っていた。住んでいたのも吉祥寺・阿佐ヶ谷・高円寺などの中央線沿線である。そんな日々も70年代後半に入るとシラケきって、何か得体の知れないものに取って代わっていった。・・・《続く》