まほろば俳句日記

毎日見たこと聞いたこと感じたことを俳句にします。JーPOP論にチャレンジ。その他評論・エッセー、学習ノート。競馬も。

ウルトラマンのような人/新雑句雑感(174)~プロローグ5の終わり

2017-02-20 08:38:18 | 新雑句雑感

北開く黒澤明のどですかでん  北開くきのうあの世を見て来たよ  北窓を開く天空に星は無し  北窓を開けて故郷を凝視せり  北窓を開く昔はよかったと  北窓を開く青竹はいらんかね  北窓を開く隣人は猫が好き  北開くウルトラマンのような人  北窓は開けずこのまま押し通す  北窓を開く大帝の世のはるか  北窓を開くもとより無尽なり  生きなさいと白旗の少女北開く  北窓を開くちよだ猫まつり(2月18・19日)  北窓を開き故郷を引き寄せる  空港で人間の叫び北開く(金正男暗殺)  北開くキムジョンナムはもういない  北窓を開く南風渦巻けり  北窓を開く他すべて母まかせ


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

いつかの自由/新雑句雑感(173)~プロローグ5の終わり

2017-02-19 03:14:28 | 新雑句雑感

何も見えず何も聞こえず春きざす  春めくや巣鴨地蔵通り商店街  春きざす後楽園WINS婆ひとり  外れたらすべて八百長春うらら  春動く汀子と廣太郎うごく  完成度まだまだ足りず春うごく  祀られてなほ春の猫浮き浮きと  春めくや忍者ブームの火点け役  春めくや常盤貴子のやうな妻  春めくや池坊会館やり過ごす(東京・御茶ノ水)  スタンドバー銀漢探り春めきぬ(神田神保町)  初代「ウイスキーがお好きでしょ」春うらら  スマホ捨ていつかの自由春めきぬ  朝妻力好きにはなれず春めきぬ


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

空缶蹴る/新雑句雑感(172)~プロローグ5の終わり

2017-02-18 07:21:38 | 新雑句雑感

空缶蹴るは自分を蹴ること春一番  金正男コスモポリタン春一番  明日はまた冷ゆるもあをし春一番  フォーククルセーダースの「百まで生きよう」春一番  愛犬ライト天翔る馬春一番  ストリートミュージシャンいつかはプロに春一番  ヘボ俳句何とかせよと春一番  春一番後楽園WINS吹き抜ける  春一番復興住宅続々と  春一番坪内稔典まういらぬ  春一番ドラッグストア福太郎  自我崩壊の予兆俳句結社に春一番  文字通り無味乾燥の街春一番


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

だから言ったじゃないの/新雑句雑感(171)~プロローグ5の終わり

2017-02-17 07:53:45 | 新雑句雑感

マイクロ波私に効かず冬終る  冬終る皆殺しの歌聴こえ出す(トランプは大の西部劇ファン)  一億三千万総監視社会春隣  金正男はディズニーマニア冬終る(北京で暗殺される)  罪と罰まう過去のこと春隣  冬終るだから言ったじゃないのリピートす  春隣戦闘の二字ビッシリと  春隣我慢出来ずに越境す  ポラメニアン一度は蘇生冬終る(ブロガーの愛犬ライト死す)  春隣時代遅れの暦捨て  春近し競馬必勝法掌中に(最強出目アレンジ必勝法)  上野駅パンダ橋口春隣  東京の海とはここか春隣  別れの曲まだまだ続く春隣  俳句とは口誦と片言春隣  人は誰もただひとり春隣(シューベルツ『風』1969)


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

【俳句の此岸】否定し切れなかった現実世界への回帰/結社の大型新人(5)

2017-02-15 05:48:10 | エッセー・評論

Nさんは60年安保世代であった。かの国会を取り巻いた数十万のデモの隊列に加わっていたという。作秋の結社大会でいきなり私に近付いて来て『いつも(主宰選の)隣にいるからどんな人かと思って・・』『俺は77歳!主宰とは一つ違い』『ブントだから・・吉本隆明だよ』などとはしゃぎまくっていた。(私が)いつも隣にいたというのは、結社誌の主宰選の巻頭と次巻頭を毎号二人で分け合っていたことを意味する。他結社の元同人はこのように特別扱いされる。ただそれだけのことだが、各々の句の内容が他とはまるで違っていた。時代の体験を句(詩)にしていたということだ。だからどうというのではなく、主宰もまた60年安保世代であり、一回り次の世代(70年安保に間に合わなかった)の私ともども、主宰にとって分身のようなものだったのかもしれない。Nさんの【ヘーゲルの苦笑を背に初詣】について少し立ち入ってみたい。ヘーゲルの「精神現象学」は人間の自己意識が展開して、最終的に絶対知の段階へと至る過程を描いた。このように精神的なものに沿って体系的な思想を構築したヘーゲルに対して、マルクスはそこに物質的・現実的な基盤が欠けているとして批判しました。そうして形成されたのがマルクスの唯物論(唯物史観)です。Nさんの所属したブント(共産主義者同盟)は1955年のスターリン批判を契機に、一国主義・二段階革命論の前衛党(日本共産党)にあきたらず、日本国内で全学連(全国学生自治会連合)の奪権闘争に勝利し、主流派となった。10年後の70年安保に比べると党派(セクト)主義はまだ不徹底で、多くの学生が個々人の立場で大らかに加わっていたのだろう。Nさんもまた、大学の卒業・就職によって運動から遠ざかっていった。この句にある『ヘーゲルの苦笑』とはヘーゲル的な精神主義で加わった運動から、マルクスのヘーゲル批判よろしく物質的・現実的世界すなわち就職そしてその後の結婚といった一般庶民の生活過程に避けようもなく入っていったことへの少なからぬ悔恨を表現したものと受け取られる。しかし、Nさんの新人賞受賞作中の白眉と言える【時雨忌やどうやら俺もエグザイル】において表出された、俳句(詩)に何ごとかを託そうとする心情はただそれだけのことでは説明出来ないものがある。・・・《続く》

 

 

 


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする