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昨日は雪だってのに、我が家の若者たちは通常通りの動きに出た。
高校生の娘は、隣街でのダンスレッスンの後に上野までバレエを見に行くという通常以上の動き。
案の定、帰りは交通機関の大混乱に巻き込まれた。
我が家まであと3つという駅で電車が止まった。
そこからはバスを乗り継いで、やっとの思いをして帰ってきた。
私も恐る恐る車をだして、行けるところまで迎えに行った。
やっと娘に出会えたのは夜の10時すぎ。車に乗り込んできた時の娘の安堵の表情!!
「二度と帰ってこられないかと思ったよ。
人生最高の満員電車に乗って、前のおじさんが不機嫌で…。」
娘の背負った大きなリュックと濡れた傘がおじさんを嫌な気分にさせていたらしい。
「ああ!今日は1日ミコと一緒だった!」
ん!?
そういえば、最近ダンスレッスンに行く時にウォルドルフ人形をリュックに詰め込んでいく。
次の作品で、人形を使うらしいとは思っていたが、この人形は羊毛がビッシリ詰まっているので、重い。
私がシュタイナー教育にはまり、ウォルドルフ人形を作ったのは14年前。
アレルギー体質で冷えた赤ちゃんだった三番目の次女がとにかく泣いてばかりの赤ちゃんだった。
全身全霊と手をかけて、生まれたばかりの次女をケアすると同時に、これまた凄まじい労力をかけて、ウォルドルフ人形を長男と長女のと2つ作った。
本当に寝ないで、ご飯もロクに食べず、4、5日で完成させた記憶がある。
どうして、あんな事ができたのか今では不思議だ。
あの時絶対にウォルドルフ人形が上の子たちに必要なのだという確信が私を動かしていた。
泣いてばかりの新しい赤ちゃんのためにキリキリと奔走する母、の傍らに長男と長女は身を寄せあっていた。
おっとり暖かく守られた環境がまだ彼らにも必要だったのに、そうはしてあげられなかった。
でも、ミコとハナカと名付けられた人形のズッシリした重みは、彼らにとっても、確かなるもの、だった。
それから、14年。
弱々しかった赤ちゃんはすっかりふてぶてしい食欲旺盛のバスケット少女になった。
それくらい、時間がたったのだ。
でも、すっかり自然に、まだミコとハナカが、そこにいる。
偶然にも、長女が人生最高に心細い思いをした夜にも、ミコがリュックの中に一緒だった。
面白い。
と、私は思った。
親は自然にいったら子供より早く死ぬ。
子供の行く末は見られない。自分が産み出したのに見られないのは、ちょっとつまらない。
でも、ミコが見ててくれるかも。と思った。
ミコが朽ちても、ミコとハナカみたいな何かが、私の生んだ四粒の子供たちを繋いでいってくれるのかもなぁ。と思った。
神様というよりもっと緩い、けど確かで暖かい。
やっぱり、ミコとハナカみたいな存在が。