ベッドタウンのくせに地名に温泉がついている。
ちょっと日常から浮いているような小さな街の、小さなビルの事務所の一番奥の部屋。
机の上には縄文土器がところ狭しと並べられ、
足元にも、廊下の天箱にも、次の土器たちが待っている。
わたしたちの最近のお仕事は、この土器たちを洗い判別し名前をつけ、記録していく事である。
わたしたちを率いてくださるのは先生だ。
先生は、大学では学生に教えている。
時給で土器を扱う私たちにも、丁寧に根気強く教えてくれる。
歳はよくわからない。わたしよりは10は上だと聞いているが、
考古学の世界に生き、物事を徹底的に追及している迫力が年齢をわからなくさせる。
好きな物の前ではそれが100%になり、他がまるで遠退くような性質が、ちょっとわたしと似ているかもなどと思う。
山と積まれた土器の文様を辿る。
その力強い反復のリズムが、自由を創っている不思議。
先生はそのリズムを読み取って、縄文時代の人々を追う。
わたしたちは先生を追う。
先生の一語一句、逃したらもったいないと感じる。
生まれて初めて、勉強、をしている感覚がする。
先生が土器を説明してくれているのか、
約5000年前の土器たちが、わたしと先生を介しているのかわからなくなる。
土器のザラリとした器面をなでる。
土器の土埃でくしゃみがでる。
耳の中まで黒くなる埃っぽい狭い部屋だ。
それらがわたしに質量を与えている。
反復するわたしの日常。
それがまた、リズムになる。