小学4年になった末っ子がピアノを弾く。
朝、夜、ずっと弾くものだから、上達するに決まっている。
久しぶりに会ったわたしの友人なんかには、
たいてい、大層驚かれる。
だいたい、お笑いキャラ100%の末っ子が、ピアノをか奏でるという事が丸々なんか変なのである。
でも、その違和感が、何故か、
天才なの?
という問いを人々に発せさせたりする。
いやいや。全くそんな感じではない。
素敵な音楽を見つけて、譜面を手にいれてきて、それからは、泣き叫びながら練習する。
うまくできなくて、腹をたてたり、地団駄踏んだり、荒れに荒れながら、少しずつ階段を上がるように、弾けるようになっていく。
その様子は、天才のスマートさからはかけ離れている。
だいたい、本当は本人はトランペットがやりたかったのだ。
それを、なんだかわたしのいいようにピアノにした。
ピアノが弾ける男の子はなんかいい、ただのわたしの贔屓目だ。
そうはいっても、クラッシック音楽に馴染みのあるような生活はしてきていない。
わたしの趣味に付き合わせて、よく出向いたのは、
お祭りの太鼓や、小さなステージでのジャズ演奏や、教会前でのカラオケ大会。
姉に付き合ってのダンスの発表会前の練習場など。
スピーカーの前でおとなしく、ただ音楽を聞く、なんて事は全然ない幼児時代だった。
でも、ペルー人のお友達の誕生パーティーで3時間もリズムにのって踊り続ける息子を見て確信した。
彼は音楽の中にいるのである。音楽も彼の中にいるのである。
それでも、彼が将来的に本格的にやっていくのは、ピアノではないかもしれない。
大人になった時には、音楽に少しでも関係のある世界に身を置く事になるのだろうか。
それさえ、わからない。
でも、彼が自分の使命を果たしていく時、音楽と全然関係ない事をやるのでも、
きっと音楽を奏でるみたいなやり方をするのだろうと思う。
地団太踏みながらでも、なんとかやっていく彼の事を見守ってくれているのは、
きっと、やっぱり音楽の女神さまなのだろう。
朝、夜、ずっと弾くものだから、上達するに決まっている。
久しぶりに会ったわたしの友人なんかには、
たいてい、大層驚かれる。
だいたい、お笑いキャラ100%の末っ子が、ピアノをか奏でるという事が丸々なんか変なのである。
でも、その違和感が、何故か、
天才なの?
という問いを人々に発せさせたりする。
いやいや。全くそんな感じではない。
素敵な音楽を見つけて、譜面を手にいれてきて、それからは、泣き叫びながら練習する。
うまくできなくて、腹をたてたり、地団駄踏んだり、荒れに荒れながら、少しずつ階段を上がるように、弾けるようになっていく。
その様子は、天才のスマートさからはかけ離れている。
だいたい、本当は本人はトランペットがやりたかったのだ。
それを、なんだかわたしのいいようにピアノにした。
ピアノが弾ける男の子はなんかいい、ただのわたしの贔屓目だ。
そうはいっても、クラッシック音楽に馴染みのあるような生活はしてきていない。
わたしの趣味に付き合わせて、よく出向いたのは、
お祭りの太鼓や、小さなステージでのジャズ演奏や、教会前でのカラオケ大会。
姉に付き合ってのダンスの発表会前の練習場など。
スピーカーの前でおとなしく、ただ音楽を聞く、なんて事は全然ない幼児時代だった。
でも、ペルー人のお友達の誕生パーティーで3時間もリズムにのって踊り続ける息子を見て確信した。
彼は音楽の中にいるのである。音楽も彼の中にいるのである。
それでも、彼が将来的に本格的にやっていくのは、ピアノではないかもしれない。
大人になった時には、音楽に少しでも関係のある世界に身を置く事になるのだろうか。
それさえ、わからない。
でも、彼が自分の使命を果たしていく時、音楽と全然関係ない事をやるのでも、
きっと音楽を奏でるみたいなやり方をするのだろうと思う。
地団太踏みながらでも、なんとかやっていく彼の事を見守ってくれているのは、
きっと、やっぱり音楽の女神さまなのだろう。