クラブボクシング@ゴールドジム湘南神奈川

普通、湘南辻堂といえばサーフィンなのにボクシングでひたすら汗を流すオッさん達のうだうだ話!

ひよこのマーチ(後編)

2015年04月10日 | あの頃 朴は若かった
ノラ猫に殺られた?
父が家に入れて遊んでる?

ドキドキしながら家へ入るなり両親に「ニワトリどうしたの?いないんだけどさあ。」と母に問うのですが無言。泣きそうになりながら「お父さん、ニワトリは?」でも無言。でもふたりの無言はその理由を分かっていて告げにくい様子。泣きながらもう一度「お父さん、ニワトリは?」と聞くと、父は怒ったように「あ~あれな。シメたわ!」

「は?」
「だからあ、シメたんだわ!」
「え?」
「だからあ、分かんないのかあ、潰したんだわ!」
「え?誰が?」
「誰がって俺よ。潰して肉を中田のジジイにくれてやったんだわ!食うもんないって言ってきたからさ。」
「え?どうして?」
「ケッケコヨーって、うるさいって近所から文句あったからなぁ。だから潰したんだあ」

母は終始無言。

近所から文句は絶対に嘘。
でも息子が大切にしてたニワトリを父が殺すことはないはず。

でも、農家で産まれ育った父ですから、ニワトリをシメるくらいの経験はあるはず。

動機や背景は全く分からず。ただニワトリ小屋に大事に育てたニワトリがいないのは事実。

或いは私を担いでいるだけ?

散々、両親を罵り疲れて寝入ってしまいました。

朝起きたら全部冗談で、ケッケコヨーの雄叫びで目が覚めたらよいと。

あの出来事はなんだったのだろう。今も不思議でたまりません。

40数年前のことです。



(写真はGoogleより)

ひよこのマーチ (中編)

2015年04月10日 | あの頃 朴は若かった
農家の倅でもない鉄の街の小学生がひよこを育てることは難しく、夏祭りの夜店で買った小さな命は何度か哀しい結末を迎えました。

その度に母は「可哀想だからもう買ってきちゃダメ!」と優しく諭してくれるのですが、次の祭りがくると懲りずにひよこを買ってくる息子をあきらめ顔で迎えてくれました。


さて、前投稿の三羽のひよこはそれまでの子達とは違い元気で、すくすくと育ってくれました。夏とはいえ、日によっては朝晩にストーブが必要な北の街。安普請の実家にも関わらず、命を落とすことなく育ってくれたのは、その年が暖かったからなのだと思います。

夜店でひよこ売りのオヤジから「暖かくしてやっな!」と言われるくらいですから、産まれて間もない子達に北の寒さは大敵なんでしょう。

黄色いひよこ。身体が大きくなるにつれて羽毛も黄色から白へと変わります。ピヨピヨと可愛い鳴き声もギーギーと声変わりをします。ひよことニワトリの間の佇まい。人で言えば中学生になった感じでしょうか。

私の父は貨物船の船乗りでしたから、一度船が出ると平気で一カ月くらいは家を空ける男でした。子煩悩な父はたまにしか会えない息子の成長、そして息子が大切にしているひよこが徐々に大きくなる姿を見るのが大好きでした。器用な父は外にニワトリ小屋を作ってくれました。

さて、三羽のひよこが大きくなり、全部にトサカが出始めてきました。そう、全部男の子だったんですね。そりゃあそうです。女の子は卵を産ませるために選ばれて夜店に流れてくることはないのですから。

卵を産まないことを知ってガッカリしたのですが、猛々しく「こけこっこー!」と鳴く子達を誇らしく思っていました。

さて、それから何ヶ月か経ったある日、学校から帰り家に入る前に小屋を覗くと、ニワトリの姿が見えません。

どうしたことか⁈

玄関を開けると船から降りた父が帰ってきていたのです。

後編へ続く
(写真はGoogleより)

ひよこのマーチ(番外編)

2015年04月10日 | あの頃 朴は若かった
昨日、小ブログのアクセス数がいつもより増えていました。

もしかすると私の投稿「ひよこのマーチ」なのかなあと思いググってみると、なんと!小田原の洋菓子屋さんで「ひよこのマーチ」という可愛くて有名なキャラクターケーキがありました。


昨日のアクセスは本家本元の「ひよこのマーチ」を調べようとした幼気なファンが間違って「ひよこ売り」の話に辿り着いたのですね。

本家本元の「ひよこのマーチ」ファンの皆様、申し訳ありませんでした。

でも、これを機におっさんボクサーのブログを覗いて頂ければと存じます。