藤沢市長久保公園を散策しています。
樹々にはたくさんの蝉や蛻(もぬけ:セミの抜け殻)が止まっていてとても賑やかで楽しいものです。
ところで、「蝉」という感じは虫偏(むしへん)に「単」と書きます。
自宅に戻り「蝉」の字源を調べると、「単」は「ぶるぶる震える」という意味があるそうです。
「蝉」はそのような
事情があってその漢字を当てはめられたわけですから、その声がうるさいのはこれはもう仕方のないことなのかもしれません。体全体をブルブル震わせ共鳴させて声を出しているのですから。
私はてっきり「単純」な虫、地上に出てきて直ぐに死んでしまう虫。
あ~、なんて短い命なのだろう的な意味から来たのかと思いましたが、これが違うんですね。
ついでに「虫」じゃなくて「人」、すなわち人偏について考えてみます。
「犬」を添えて「伏す」ってありますね。
これは「犬」が「人」に寄り添う様が目に浮かびますね。ご主人の横に座っているか寝そっべている感じ。
羊飼いの犬とか、軍用犬や警察犬でもいいのですが、昔からの人間と一緒にいるという雰囲気がありますよね。
また、「件」って漢字。
これは「くだん」と読むのですが、これは日本古来の半人半牛の妖怪の名前なのだそうです。
さて、思い返しても人偏(にんべん)に「単」って漢字はありませんよね。あるのかなぁ?
ないとすると、人間というものは元々「ぶるぶる震えている」だけの単純な生き物なので、あえて「単」を使い人間を表す漢字を作る必要がなかったのかもしれませんね。
最近はCOVID-19の影響で我々おっさんボクサーの試合もなくなりましたが、昨年まではリングに上がる前、「よ~し!一発かましたろうかい!」と気負いながらもやはり、膝や心がぶるぶる震えてしまい、
ついつい蝉のようにオシッコをしたくなるわけではありましたけれどね。
そんな恐怖心と昂揚感に包まれていた頃が少し懐かしいな。
ところで、セミのサイズってお寿司一貫くらいだなぁ。まさか口にはしませんが、なんとなくそう思う夏の昼下がり