クラブボクシング@ゴールドジム湘南神奈川

普通、湘南辻堂といえばサーフィンなのにボクシングでひたすら汗を流すオッさん達のうだうだ話!

一瞬の夏 10 弟よ 最終話

2020年08月18日 | ちっちゃいおっさん

告別式、故郷の空は穏やかで青く高く澄んでしました。


(何故だか火葬場へ向かうマイクロバスの運転手がいなくて、親戚縁者を載せたバスを私が運転する羽目になってしまいました)






火葬場


お別れの時、小さな棺に蓋をしなければなりません。


弟は大声で「ごめんね・・ ごめんね・・」と泣き崩れます。


4人の子供たちも一緒に遊ぶはずだった小さなちいさな妹を泣きながら見送ります。


いよいよ出棺の時、


弟は「アニキ、○○は熱くないよね?絶対熱くないよね?苦しくないよね?」と痛いほど私の手を握りしめました。


私は「・・・・ 大丈夫、熱くないよ・・・ 大丈夫だ!」と握り返しました。


これしかなかったのかと思うくらい小さな骨を兄弟で泣きながら拾って弟宅へ戻り、遺骨を祭壇に置いて改めて御坊様にお経を上げて頂きました。


(帰りのマイクロバスの運転も私でした・・・)


皆一息ついて、部屋には私と弟の二人になりました。


そこに御坊様がやってきて静かに話し始めました。


「あなたは喪主のお兄さんですか?あ、そうですかぁ、やっぱりそうですよね。喪主の弟さんとはずっと離れていたのですか?兄弟仲違いとかしていたのですか?」


「・・・・・・」


「さっき出棺の時にね、お兄さんと喪主の弟さんの間に2~3歳くらいの可愛い女の子がいて、ふたりの喪服の裾を引っ張りながら、ふたりを見上げてニコニコと笑っていたんですよ・・・」


「・・・・・・」


「お兄さんが、喪主の弟さんの手を握り返した時に、その女の子はホッとしたように微笑んで、ゆっくり消えて行ったんですよ・・・」


「・・・・・・」


「兄弟で今まで何があったのか知りませんが、その女の子はおふたりのことをとても心配していたんだと思いますよ。」


「・・・・・」


「命を授かって、僅か2週間で○○ちゃんは亡くなってしまい、産まれたことに何の意味があるかとその不条理さに泣きくれることもあるでしょう・・・」


「・・・・・」


「でも、こうやってお兄さんがすぐに駆けつけて、喪主の弟さんもお兄さんに頼って、一緒に泣いて・・・・。こう言っては何ですが、私はあなた達兄弟がお互いを許し、認め合って、昔のように

仲の良い兄弟に戻れるきっかけを作ってくれるために産まれてきたのかもしれないと思うのです。」


御坊様のお話の途中から僕らはもうその答えに気付いていました。


気づいていたから涙が止まりませんでした。


気づいていたけれど、僕らの出来の悪い兄弟を仲良くさせるためだけに産まれてきたなんて本当は認めたくなかったのです。


それじゃあまりにも可哀想すぎるじゃありませんか・・・。


あれから20年が経ちました。


僕ら兄弟は藤沢と北海道と遠く離れて暮らしていますが、姪が命をかけて気づかせてくれたおかげで、


この歳になって兄弟らいいことが一緒にできるようになりました。


両親共々の介護や葬儀はしんどかったけれど、弟と一緒に乗り切りました。


両親はもういないけど、弟が私の故郷なんだなぁって彼に感謝しています。






一瞬の夏 9 弟よ 後編

2020年08月18日 | ちっちゃいおっさん

慌てて家を出てから数時間後、弟の自宅に着きました。


産まれて2週間、祭壇に遺影はありません。


代わりに可愛らしい花がたくさん飾られていました。


弟が心配していた親戚だってたくさん駆け付けてくれていました。


多分、お袋が連絡をしたのだと思います。

よかった・・・


「あ、アニキ、わるいな遠いとこ急に来てもらって・・・ アニキ、顔を見てやってくれるかい?」


「抱き上げてもいいのか?」


「抱いてやってくれるのか?」


「当たり前だろう。他の4人は全員抱き上げてるよ。」と愛らしい小さなベビーベッドに眠る姪を抱き上げて頭を撫でました。


冷たいな・・・

そう思うともう涙が止まりません。


「ほら、○○・・・ 良かったね、抱っこして貰って・・・ 東京の伯父さんだよ。パパのお兄さんだよ・・」


「・・・・・」


「な?、アニキ・・・ ただ寝ているみたいだべさ。息しているみたい・・。起きないかなと思って見てるんだけど・・」


「そうだな・・ 寝てるみたいだなぁ・・」


「でも起きないんだよ・・・可哀想に・・・ 2週間だよたったの・・ 抱いてやる時間もなくて・・・ 何のために産まれてきたんだろう? 苦しかっただけなのに、何でだろう・・・」


私は冷たくなった頬を撫で、小さな手のひらを握りながら、産まれて直ぐに逝ってしまった姪の哀れさを思い、弟の深い慟哭を受け止めるように彼を抱きしめて一緒に泣き続けました。


そして通夜が始まりました・・・


最終回に続く






一瞬の夏 8 弟よ 中編

2020年08月18日 | ちっちゃいおっさん

とある秋の祝日の朝、弟から電話がありました。


このタイミングの電話は5番目の子供が産まれたという報せかと電話を取りました。







「あ、兄貴?」


「おぉ、どうした産まれたか?」


「・・・・・・」


「どうした?」


「・・・・・・」


「どうかしたのか?大丈夫か?」


仲が悪いとはいえ押し黙っている弟が心配です。


「・・・・産まれた、2週間前。・・・・産まれたけど、さっき死んだ・・・」


「え?」


「死んだ、たった2週間しか生きられなかった・・・・」






慰める言葉なんてどう絞っても出てこないから、電話口で泣いている弟とただ一緒に泣きました。


そして、弟から


「アニキ、急で申し訳ないし、忙しいの分かるけど葬式に来てくれる?」


「おー もちろん行くよ。これから直ぐ空港に向かうよ・・・」


「アニキには実家のことで心配ばかりかけて、こんな時だけ急に来てくれってごめん・・」


「馬鹿、何言ってんだよ。直ぐ行くよ」


「親戚に金借りてるから親戚呼びづらいし、親爺お袋だけじゃ嫁の手前バランス悪いし・・・」






「いいんだよ、俺その娘の伯父さんじゃん。俺が行かないとダメだろうよ・・。まだ姪に会えてないしな・・・」


「アニキ、本当にごめん。」






子供を亡くすのなら自分が死んだ方がずっと楽。弟の辛さが苦しいくらい伝わります。


「何度も言うな、待ってろよ。夕方には着くからな」


電話口で弟がずっと泣いていました。


そうだ俺たちは兄弟だ、ずっと仲違いしてきてきたけど、仲の良かった兄弟なんだ。





そう、親爺が言うようにふたりきりの兄弟なんだ。


後編へ続く



写真は本編と全く関係のない大好きな石川町です




一瞬の夏 7 弟よ 前編

2020年08月18日 | ちっちゃいおっさん

もう20年以上前のこと。


弟は娘を亡くしました。

生後わずか2週間のとても小さな命でした。


弟は北海道で会社を経営しています。

たくさんの挫折を様々な人に助けられ、乗り越えて立派に成功し、今は地元に恩返ししようと頑張っていて誇らしく思います。






弟と離れて暮らした40年の時間を埋めるように、両親の介護や葬儀などもあり、今、僕ら兄弟は昔のように仲良く毎日話しています。


そんな兄弟仲ですが、弟が娘を亡くした20年前まで私は弟が憎くて堪りませんでした。






弟は若い頃から色々と先が見えづらい事業を人口の少ない北の街で安易に立ち上げては失敗し、少なからない借金を作っては両親に泣きつきの繰り返し。


何をしても上手くいかない空回り、態度も荒んでいるように感じたものです。






両親も助けなければよいものを、定年後の年金や僅かばかりの貯金を崩し、満期目前の生命保険を解約し弟に工面し続けていました。 


当時の状況では返す当てのないお金です。


実家に頼めなくなると今度は私に泣きついてくる始末。挙句の果て、父の兄弟(叔父叔母)に母が借りにいくという過保護さ。


実家にお金が無くなると手先の器用な父は65歳を超えているのに大工仕事を手伝いに行ったり・・・。


定年後のんびり暮らすはずだった両親は、弟によって随分苦労させられました。


私がたまに帰省すると母親は弟の愚痴ばかりこぼします。であればもう助けるな!と何度言ったことか。それでも過保護の両親は助けることを止めません。





私はそんな両親も弟も憎くて堪らなかったのです、もう共倒れしたらよいのです。


でも決まって母が言うのです。


親しか頼るところないのさぁ

しょうがないっしょ、息子だから。


そして、反目している僕ら兄弟に

いつも父が言うのです。

兄弟ふたりきりなんだから

仲良くしなきゃダメだべさ。


と言われても仲良くできるわけありません。

両親の辛い姿を創ってるのは弟なのですから。






当時弟には4人こともがいました。みんな素直でいい子たち。


そんなある年に帰省してみると義理の妹のお腹が大きいことに気づきました。


借金の肩代わりを両親にさせといて5人目?

生活できるのか? 


何を考えているのか何も考えていないのか、いつも愛想のよくない義理の妹のお腹を見て弟夫婦に呆れたことを覚えています。


中編へ続く




写真は本編と全く関係のない鵠沼海岸の夕暮れです。