クラブボクシング@ゴールドジム湘南神奈川

普通、湘南辻堂といえばサーフィンなのにボクシングでひたすら汗を流すオッさん達のうだうだ話!

彼女がマスクをはずしたら

2020年09月02日 | 哀しき酔客

いきなり気付いたことがある。

 

今年入った新入社員の本当の顔を見たことがない。

上司として面接を何度かしたのになぜか?

 

そう、彼女らは入社時からマスク着用を

義務付けられていたからだ。

 

とりわけ女性にとっては、

人前でマスクを外すという行為は、

これまでよりかなり恥ずかしさを伴う

ハードルの高いものになるだろう。

もはや服の一部。

 

「えっ、こんな顔だったの?」

みたいになるもんね。

それがプラスなのかマイナスなのかは別として。

 

メガネからコンタクトに変えたら

急に可愛くなった娘もいたよね。

私はメガネ女子好きだけど。

 

最終ラウンド前のインターバル。

いつも通りシバノフトレーナーの指示を聞く。

比較的指示は冷静に聞ける方だ。

どの試合かは覚えてないけど、

一度だけ立ち上がると同時に

気合いを入れるために雄叫びを上げて

最終ラウンドに臨んだことがある。

シバノフトレーナーも

「よっしゃ、行ってこい」

と言って送り出してくれた記憶がある。

相当気合が入った一戦だったのかもしれない。

 

何が言いたいかというと、

マスクを外すという行為は、

それくらい気合いが必要な

行為かもしれないということだ。

 

総裁選ってやる意味あるのかな?


一瞬の夏 13 あの夏の日、母の記憶

2020年09月02日 | ちっちゃいおっさん

それは、朴竜、高校2年の夏の日のこと。


土曜日の下校時に北海道は室蘭駅で友人とふたりで帰りの汽車(電車ではない)を待っていました。


喉が渇いたので汽車(電車ではない)の中で飲もうと自動販売機でテトラパックのコーヒー牛乳(カフェオレではない)を買いました。


確か値段は80円くらいだったでしょうか。


100円玉を一つ入れて10円玉2枚のおつりがくるのを待っていたのですが、あれあれ?おつりが止まらなく落ちてきます。


時には100円玉、時には50円玉で次々と落ちてくるのです。


おー⁈

いつになったら止まるだのだ!これじゃパチンコの開放台ではないか、777で大フィーフィーバーやんけ。馬鹿な自動販売機ですこと。


ガチャガチャと果てなくお釣りが落ちてきて結局小銭で約3,000円ほどのおつりが出てきましたのです。


80円投資した株が3000円に値上がりしたようなものです。仕手筋でも入りましたかな。


いつも調子のよい友人は

「朴ちゃん。このまま逃げるべや。壊れた自動販売機を置いたままにしてる駅が悪いっしょ。これで満龍でラーメン食うべや!」

などと言う訳ですが、アンタ、事の成り行きは汽車(電車ではない)を待っているたくさんの人が見てるんです。


これは駅の誰かに言うしか道はないんですってば。


で、調子のよい友人を宥めて、駅員にお釣りの一件を報告してあげたんです。


その日はそれでおしまい。


そして、翌日の日曜日の昼過ぎ。

自宅に菓子折りを持ったキチンとした身なりのおっさんがふたり訪ねてきたのです。


そのふたりは室蘭駅の駅長と助役さんでした。


自動販売機のお釣りの件を痛く感動してくれたらしく、わざわざお礼に来て下さったんです。


調子の良い友人みたいに本当はお金を持ち逃げしたかったんですが、勇気がなかった小心者だっだけのことですから、お礼を言われて褒めちぎられるとくすぐったいのでした。


さてさて、母が亡くなる前年は2017年の夏、

呆けてしまった母が私に言うのでした。


室蘭駅の自動販売機の一件、駅長さんが来てくれて、正直で勇気のある行動に感謝してたよと。


それもつい最近のように。


そしてその年の秋に父が倒れたので帰省した際にも同じように繰り返すのです。


また、その後に北海道出張時にちょい立ち寄った時も、高校2年のあの一件を、私の行動に駅長がえらく感動して、丁寧にお礼を言われて誇らしかったと、何度も何度も繰り返すのでした。


それもつい最近のように。

初めてそれを語るように。


何度も何度も何度も


振り返ると私は母に褒められて褒められて育ったんだなぁって未だに切なくなったりします。




写真は本編と全く関係ない営業用の時事ネタ新曲です。




朴竜のイチルノゾミ 第一話

2020年09月02日 | ちっちゃいおっさん

それは200956日のことです。


冷たい霧雨が降る灰色の空の下、バンドメンバーは横浜線沿線の病院の集中治療室に集まりました。


そこでは、同年1月にNHK 「熱血!オヤジバトル2009」で福岡パレスホールで一緒にステージに立った友人のその命はもう直ぐ尽きようとしていました。


その友人はまだ若いのに2月に脳梗塞で倒れ術後回復に向かっていた筈が、何が原因か分からぬままに病状が悪化したよう。


メンバーの「危篤」の報に信じられないまま全員が慌てて駆け寄ったのでした。


奥様からはあと数時間の命と告げられました。


もう意識が混濁している友人はメンバーの問いかけも聴こえていないはず。


だけど、ひとりひとりが手を握り、足を摩り、髪の毛を梳いてやると、う〜んと細く唸り、身体をビクッと動かすさまに、それは反射でなく僕らバンドの最後の遣り取りであって欲しいと願いました。


奥様は、良かったね〜 皆んな来てくれたよ〜 とずっと語り続けてくれます。


3ヶ月間の濃密な時間を経たその覚悟からか、優しく飾り気のない態度、実は疲れていたのだと思います。


僕らメンバーはずっとそばにいたかったのですがそれは許されず、各々が泣きながら最期のお別れを告げ治療室を後にしました。


日付が変わる前、友人は亡くなりました。享年42歳でした。生きていたら53歳かぁ。


今更、こんなことを書いてどうなるものでもありませんが、感謝を込めて思い出すことが供養になると思いたいな。


家族や友人など大切な人達とは、心からきちんと向き合わないといつまでも後悔が残るよと言う自分への戒めと後悔でもあります。


何話になるか今は分かりませんが、お付き合い下さいませ。









朴竜の最強上司伝説!10 哀しき豆乳

2020年09月02日 | ちっちゃいおっさん

北海道の銀行での続き


北海道の銀行でのプレゼン中、ボールペンを探すために汚くて不恰好な鞄を漁るも老眼鏡しか出て来なかったお話です。


その時、私は鞄の中を見てしまったのです。


そう、二泊三日の出張の初日にもかかわらず、替えの下着やワイシャツなど何も入ってないのでした。






札幌日航ホテルに向かうタクシーの中で山口さんに聞いたのでした。


「替えの下着とかお忘れになったのですか?」


「いやいや、女房に頼んだんだけど用意してくれなかったのよ。いやいや参ったぞ、もう!」






「あ、そうでしたか?失礼いたしました。でも、さっき鞄の中見ちゃったんですけど、下着とか何にもないのに、なんで紙パックの豆乳がたくさん入ってるんですか?」


「いやいや、私、牛乳好きでしょ。1日何本も飲みたくなっちゃうから、そりゃあ身体に良くないからって、奥さんが豆乳入れてくれたわけです。」


「豆乳だったら、飲みたくなったら買えばいいじゃないですか?大体、重いでしょう鞄。」


「確かに重いんで参ったわ。下着入れてくれって言ったのに、北海道は涼しいから汗かかんって言われたんですわ!」


「身体を心配して重い豆乳を北海道まで持って行かせるのと、下着を用意しないのと、どちらが愛情なんすかね~?」


「まあ、夫婦は色々っちゅうことです。でも、参ったぞ~!」


山口さんがススキノに行きたがったわけも分からなくはない私でありました。




バブル期に隆盛を極めた兜町。バンボリーナは忙しい証券マンのために食べやすいように日本で初めてサイコロステーキを提供したとされるレストラン