数年前の晦日に私や佐藤師匠の上司、支店長の部下だった尾渕さんが約半年間の昏睡の末、お亡くなりになりました。享年63歳でした。
葬儀は霙混じりの取手で行われ、本当に沢山の仲間や友人の方々が弔問に訪れ、尾渕さんのお人柄が偲ばれました。
佐藤師匠は安らかに眠る尾渕さんの頬に手を当てて
「尾渕さん!寝てる場合じゃないよ。起きなきゃダメだよ!」
と何度も呟きながら最後に号泣。私は師匠の横で固く合掌しながら心の中で「本当に本当にありがとうございました。」と静かに泣いていました。
「朴さあ。俺たち本当に世話になったよなあ。早すぎるよなあ。」師匠は取り分け迷惑掛けたし世話にもなってましたし。
尾渕さんの年齢は私の入社当時に多分38歳。
男前で気っ風がよくてオシャレで面倒見がよくて、酒の飲み方も勘定の払い方も、酒場のマナーも尾渕さんが教えて下さいました。
尾渕との忘れ得ぬ思い出があります。
尾渕さんのお客様で某上場製薬会社の財務部長の本田さんがいらっしゃいました。
なんでも池袋の小料理屋で知りあったとか。
おふたりはウマが合うようで、そのうちに会社の短期の資金運用から個人的な株式の運用まで任されるほど信頼されていました。
そんなふたりの飲み会に私はカバン持ちとしてしばしば呼ばれるようになりました。
そんな尾渕さんがある日「朴ちゃん。午後空いてる?ちょっと付き合って欲しいんだけどさ。本田さんのお見舞いなんだけど。」
「大丈夫です。何処かお悪いんですか?」
「う~ん。癌なんだ。急に進行してね。末期なんだわ。本人には告げてないんだけどね。俺は奥さんから聞いたんだけどさ。ひとりで行くとほら、哀しい顔になって悟られるから、一緒に来てくれよ。」
で、ふたりでお見舞いに行きました。元々若ハゲの本田さんは抗ガン剤の副作用でアタマはツルツル。一回り小さくなっていました。
本田さん、努めて冷静に明るくふざけています。早く退院してまた飲もうと言う話をしています。
癌であることを本人に知らせてないとは言え、製薬会社の部長は投与されてる薬の名前で自分が癌であることを明らかに知っていらっしゃる語り口でした。
本田さんは遺す家族のことを尾渕さんに託したかったようでしたので、私はしばし病室の外で待つことにしました。
中座する際に窓から射す逆光にベッドに座る本田さんの影を今でも忘れることができません。
尾渕さんと本田さん。10分ほどでしたが、濃密で静謐な時間を過ごしたに違いありません。
尾渕さんが涙で真っ赤に腫らした眼で病室を出てきました。その表情を見て私も静かに泣きました。
その後、本田さんはお亡くなりになりました。
葬儀は晦日の寒い日でした。
今はふたり天国でまた愉快に飲んで語りあってるんだと思います。
まだまだ先になりますが、またカバン持ちで私も飲み会に呼んで下さいね。