素浪人旅日記

2009年3月31日に35年の教師生活を終え、無職の身となって歩む毎日の中で、心に浮かぶさまざまなことを綴っていきたい。

交野の7月は七夕から

2010年07月01日 | 日記
  7月に入った。蒸し暑い一日だった。自治会の掲示板に“天の川七夕まつり”のポスターが貼ってある。枚方市から交野市のかけての一帯(かつては交野ヶ原と呼ばれていた)が「日本の七夕伝説の発祥地である」という説もあるぐらい“天野川”を始め七夕伝説に関連するものが多く点在する。

 時間が空いたので、自転車で2時間ぐらい“七夕伝説”が息づく場所を巡ってみた。星田駅前の商店街では各店先に、かわいい七夕の笹を飾っていた。倉治の商店街も七夕の飾りをぶらさげムードを高めていた。

  

 江戸時代の儒学者貝原益軒が「あたかも天上の川の形の如し」と書いた頃の美しさは想像し難い平凡な川だが、『伊勢物語』にある在原業平の「狩りくらし 棚機乙女(たなばたつめ)に宿からむ 天の河原に われは来にけり」という歌にもあるように、天野川が古代から途切れることなくロマンの物語の中を生き続けてきたことは確かである。

  織姫と牽牛が年に一度の再会を果たせるようにと天野川にかけられている“逢合橋(あいあいばし)”では七夕まつりのための竹の飾りが準備されていた。

 ここをはさんで東西に織姫と牽牛がいるのである。織姫は第1回かるた・歴史ウォークで訪れた“機物(はたもの)神社”に祀られている。 機物神社の由来は諸説あるが、5~6世紀に渡来してこの地に養蚕と機織りの技術を伝えた秦氏(はたうじ)を祀ったのがはじまりで、それが平安期になって七夕伝説と結びつけられて機物(はたもの)神社となり、祭神として天棚機比売大神(あまのたなばたひめのおおかみ)=(織姫)が祀られるようになったという説が有力。

 一方、牽牛(彦星)は香里団地のピーコックの前の信号を左折して住宅地を少し行くとある観音山公園の東端に置かれている大きな石=“牽牛石”として風雨にさらされている。昨年、全国七夕サミットが開催されたので、案内板も石碑も建てられてましになったが、それまではほとんど訪れる人もなく雑木の中にうもれていたという。

   

 公園は緑豊かな高台にある。今はマンションなどで見通しが悪くなっているが、昔であれば交野山の麓に位置する機物神社をしっかり望むことができたであろう。ここに七夕伝説を刻んだ古人のイマジネーションの豊かさを思った。

 以前買い求めた、岡本三千代さんのCDの中にも山上憶良の歌で構成された“七夕の歌”と“天の川慕情”がある。その解説には

「ひこ星とたなばた姫の中国の伝説が、通い婚で逢瀬のままならない当時の人々にとって、心情の重なり合うところが多かったせいか、万葉集中に七夕の歌が約130首ほど詠われている。超現実派歌人といわれる、山上憶良にも12首の歌があり、歌曲ではいくつかを相聞の形式にしている。題詞に「七夕の歌」が「なぬかのよのうた」と記されており、その美しい響きはますますロマンティシズムをかきたてる」

 「天上のロマン、牽牛と織女の恋を語ったこの歌は、当時の“愛する2人”にとって、どれだけ多くの共感を得たことだろうか。障害を乗り越え、手をつくして、やっと出会えた天の川原で、玉のように美しい手をさし交わし、一夜だけでなく、幾夜も愛し合っていたいという率直で大胆な表現が、万葉集は青春の歌集といわれる所以であろう」
 
 とある。

 天野川沿いの遊歩道を走っている時、BGMにして聴いたが、なかなか良かった。岡本さんのCDは家の中より、自然の中で聴くほうがいいとあらためて思った。

 来週の天気が気になるところである。
 

 
コメント
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