今回の参議院選挙の結果“衆参真性ねじれ現象”となった。自民党与党時代末期の“ねじれ現象”では参議院で否決されても、衆議院で再可決ができたが、今回はそれも無理。法案を通すためには、各党との綿密な討論が不可欠になった。しかし、これこそ究極の日本流かもしれない。
井沢元彦さんの「井沢式・日本史入門・講座」を継続して読んでいるが、その中で井沢さんは『日本人が知らない日本固有の信仰ーそれが“和”である!』と断じている。井沢の目・歴史の眼・その(36)でこうまとめている。
日本人に宗教がないというのは、間違いだ。空気を吸っているように、普段は意識しないほど当たり前になっている「日本人の宗教」がある。それが聖徳太子の憲法十七条の第一条にある「和」である。「和を以って貴しとなす」の意識は、この時代に既にあった
憲法十七条の制定は、604年だが、「和」の原理はそれ以前から存在し、脈々と現在まで日本人の根底に流れているという。この指摘は納得できる。これからの国会は与党、野党という二者択一的な発想では進めないない。日本に二大政党制もなじまないということがこの10ヶ月の動きを見ていて確信できた。各党どういう形で議論に参加し政治を責任持って動かしていくのか興味あるところである。
本の中で、中村 元さんという文化勲章も受章された日本を代表する仏教学者の方の、聖徳太子の真意にできるだけ沿う形での憲法十七条の現代語訳を紹介している。「和」に関する第一条と第十七条である。
【第一条】おたがいの心が和(やわ)らいで協力する事が貴いのであって、むやみに反抗することのないようにせよ。それが根本的態度でなければならぬ。ところが人にはそれぞれ党派心があり、大局を見通している者は少ない。だから主君や父に従わず、あるいは近隣の人びとと争いを起こすようになる。しかしながら、人びとが上も下も和らぎ睦まじく話し合いができるならば、ことがらはおのずから道理にかない、何事も成し遂げられないことはない。
【第十七条】重大なことがらはひとりで決定してはならない。かならず多くの人びととともに論議すべきである。小さなことがらは大したことはないからかならずしも多くの人々に相談する必要はない。ただ重大なことがらを論議するにあっては、あるいはもしか過失がありはしないかという疑いがある。だから多くの人びととともに論じ是非を弁(わきま)えてゆくならば、そのことがらが道理にかなうようになるのである
(『日本の名著 聖徳太子』中村 元)
行き詰まり感のある今の日本。意識的ではないが、結果として単純に採決して決めることのできないシステムを選択した形になった。粘り強く議論するのか、再編して大連立をつくろうとするのか、なにはともあれ思いつきに見える唐突な提案ではなく、きちっと説明をするということを望みたい。
井沢元彦さんの「井沢式・日本史入門・講座」を継続して読んでいるが、その中で井沢さんは『日本人が知らない日本固有の信仰ーそれが“和”である!』と断じている。井沢の目・歴史の眼・その(36)でこうまとめている。
日本人に宗教がないというのは、間違いだ。空気を吸っているように、普段は意識しないほど当たり前になっている「日本人の宗教」がある。それが聖徳太子の憲法十七条の第一条にある「和」である。「和を以って貴しとなす」の意識は、この時代に既にあった
憲法十七条の制定は、604年だが、「和」の原理はそれ以前から存在し、脈々と現在まで日本人の根底に流れているという。この指摘は納得できる。これからの国会は与党、野党という二者択一的な発想では進めないない。日本に二大政党制もなじまないということがこの10ヶ月の動きを見ていて確信できた。各党どういう形で議論に参加し政治を責任持って動かしていくのか興味あるところである。
本の中で、中村 元さんという文化勲章も受章された日本を代表する仏教学者の方の、聖徳太子の真意にできるだけ沿う形での憲法十七条の現代語訳を紹介している。「和」に関する第一条と第十七条である。
【第一条】おたがいの心が和(やわ)らいで協力する事が貴いのであって、むやみに反抗することのないようにせよ。それが根本的態度でなければならぬ。ところが人にはそれぞれ党派心があり、大局を見通している者は少ない。だから主君や父に従わず、あるいは近隣の人びとと争いを起こすようになる。しかしながら、人びとが上も下も和らぎ睦まじく話し合いができるならば、ことがらはおのずから道理にかない、何事も成し遂げられないことはない。
【第十七条】重大なことがらはひとりで決定してはならない。かならず多くの人びととともに論議すべきである。小さなことがらは大したことはないからかならずしも多くの人々に相談する必要はない。ただ重大なことがらを論議するにあっては、あるいはもしか過失がありはしないかという疑いがある。だから多くの人びととともに論じ是非を弁(わきま)えてゆくならば、そのことがらが道理にかなうようになるのである
(『日本の名著 聖徳太子』中村 元)
行き詰まり感のある今の日本。意識的ではないが、結果として単純に採決して決めることのできないシステムを選択した形になった。粘り強く議論するのか、再編して大連立をつくろうとするのか、なにはともあれ思いつきに見える唐突な提案ではなく、きちっと説明をするということを望みたい。