自分の小さな経験を一般化させることには慎重にならないといけないが、私が「習熟度別指導」にこだわるのは、中学の時に、ウルトラ級の英語の「習熟度別授業」(当時は能力別学級と呼ばれていた)を経験しているからだ。当時は、何の疑問もなくその体制の中で学習したが、大学に入ってから「なぜあのような授業が、公立中学校でできたのか」と疑問をもつようになり、「英語の学力向上のためになっていたのか」と自問した。答えは「No!」であった。佐藤さんが「習熟度別指導」に関する結論を総括しているが、私の生徒として経験したことと教師として「学力をつける」というさまざまな取り組みを自分でも試み、多くの人の取り組みを直接、間接的に見聞きした経験からズバリ核心をついていると思うのである。
①小学校では「上位」「中位」「下位」のどのグループでも有効性はなく、②中学校では「上位」グループにおいて適切な教育が行なわれた場合に限って有効性を主張する調査研究も存在しますが、③いずれの場合も学力格差は拡大し、④学校全体の学力向上にはつながらず、⑤階級や階層や人種間の学力格差の拡大と差別につながる。
そのうえ「習熟度別指導」は、教育内容の段階的組織と学習集団の均質化により学びの経験を狭め、競争と失望を促進して歪んだ優越感と劣等感を助長する。
ただ、現実問題としては、行政レベルにおいて、「少人数指導」の加配教員の財源を確保するために「習熟度別指導」の導入と「少人数指導」を抱き合わせにしていることがこの問題をむずかしいものにしている。私が最後に勤めた学校でも、1年の数学に「少人数指導」を実施していた。1クラスを2つに分けるのだが、教育委員会は学校長を通じて「習熟度別指導」をするように指導してきた。学校、生徒の実態などさまざまなことを出す中で習熟度別のメリットが見出せず、普通のクラス分けと同じように、ほぼ均質な2クラスにして授業をおこなった。しかし、年々そのしめつけは厳しくなってきており、問題を感じながらも「習熟度別指導」を導入せざるをえないようになってきているみたいだ。(そういう意味では、いいタイミングで退職したと思っている。)その場合でも臨機応変に運用し、習熟度別にしても有効と思える単元のごく一部に限定することは可能である。建前で言えば「習熟度別指導」の導入は学校の自主性に委ねられているのだから・・・・
佐藤さんは「習熟度別指導」に対抗し代替しうるのは「協同学習」と提唱している。そのキーワードは“背伸びとジャンプ”である。佐藤さんが協力し助言して授業を改革し、学校改革をしたのが“富士市立岳陽中学校”である。その実践記録をまとめた「公立中学校の挑戦」を読んだのが6~7年前だったと思う。飾り気のない率直ないい内容であった。参考になるヒントもたくさんあった。しかし、私は「何かをするにはもう時間がない」という結論を出してしまった。学校を変えていくのにさまざまな取り組みがあるが、授業改革は、学校長の見識と度量の広さとリーダーと支えるメンバーの存在が不可欠で、それらがそろっても最低3年はかかる一番困難な取り組みである。
①小学校では「上位」「中位」「下位」のどのグループでも有効性はなく、②中学校では「上位」グループにおいて適切な教育が行なわれた場合に限って有効性を主張する調査研究も存在しますが、③いずれの場合も学力格差は拡大し、④学校全体の学力向上にはつながらず、⑤階級や階層や人種間の学力格差の拡大と差別につながる。
そのうえ「習熟度別指導」は、教育内容の段階的組織と学習集団の均質化により学びの経験を狭め、競争と失望を促進して歪んだ優越感と劣等感を助長する。
ただ、現実問題としては、行政レベルにおいて、「少人数指導」の加配教員の財源を確保するために「習熟度別指導」の導入と「少人数指導」を抱き合わせにしていることがこの問題をむずかしいものにしている。私が最後に勤めた学校でも、1年の数学に「少人数指導」を実施していた。1クラスを2つに分けるのだが、教育委員会は学校長を通じて「習熟度別指導」をするように指導してきた。学校、生徒の実態などさまざまなことを出す中で習熟度別のメリットが見出せず、普通のクラス分けと同じように、ほぼ均質な2クラスにして授業をおこなった。しかし、年々そのしめつけは厳しくなってきており、問題を感じながらも「習熟度別指導」を導入せざるをえないようになってきているみたいだ。(そういう意味では、いいタイミングで退職したと思っている。)その場合でも臨機応変に運用し、習熟度別にしても有効と思える単元のごく一部に限定することは可能である。建前で言えば「習熟度別指導」の導入は学校の自主性に委ねられているのだから・・・・
佐藤さんは「習熟度別指導」に対抗し代替しうるのは「協同学習」と提唱している。そのキーワードは“背伸びとジャンプ”である。佐藤さんが協力し助言して授業を改革し、学校改革をしたのが“富士市立岳陽中学校”である。その実践記録をまとめた「公立中学校の挑戦」を読んだのが6~7年前だったと思う。飾り気のない率直ないい内容であった。参考になるヒントもたくさんあった。しかし、私は「何かをするにはもう時間がない」という結論を出してしまった。学校を変えていくのにさまざまな取り組みがあるが、授業改革は、学校長の見識と度量の広さとリーダーと支えるメンバーの存在が不可欠で、それらがそろっても最低3年はかかる一番困難な取り組みである。