夏に丹波篠山市の「ユニトピアささやま」に泊まった時あいにくの台風接近で大慌てで帰ったため、篠山城趾跡などは車の中から見ただけであった。今日、所用で丹波方面へ行ったついでに立ち寄った。
篠山城は、関ヶ原の合戦で勝利した徳川家康が、慶長14年(1609)に豊臣氏の居城である大坂城の包囲と豊臣家ゆかりの西日本の諸大名を抑える拠点とするために築かれた。縄張奉行の藤堂高虎、普請総奉行の池田輝政らを中心に西日本の15ヵ国20諸侯の大名に命じた天下普請で行なわれ、突貫工事で1年足らずで完成した。ただし、天守閣は家康の命令で築かれなかった。と説明があった。
明治維新以後、ほとんどの建物が取り壊されたが、石垣と堀、馬出などの遺構がほとんどその原形を残しているので昭和31年(1956)に国の史跡に指定された。
明治維新後、ただ一つだけ残ったのが大書院。篠山城築城とほぼ同時期に建てられ約260年間にわたって藩の公式行事などに使われてきた。明治維新となり廃城令後も小学校や女学校、公会堂などに利用されてきたが昭和19年(1944)1月6日の火災で焼失した。
平成12年(2000)3月に、古絵図、古写真、発掘などの総合的な学術調査に基づいて設計され復元再建された。堂々とした造りである。
8つの部屋を広縁をまわって見学できる。愛好家による手作り甲冑や襖絵などを楽しむことができる
。
城跡を出た後、大手前通りにある大正ロマン館で買い物して黒豆ココアを飲んでひと休憩。二階町通りのレトロな商店街を見ながら歴史美術館(旧篠山地方裁判所)へ。
駐車場への帰路、突然でかいイノシシ出現。今度来た時は是非食べてみよう。
雲一つない行楽日和だった。
篠山城は、関ヶ原の合戦で勝利した徳川家康が、慶長14年(1609)に豊臣氏の居城である大坂城の包囲と豊臣家ゆかりの西日本の諸大名を抑える拠点とするために築かれた。縄張奉行の藤堂高虎、普請総奉行の池田輝政らを中心に西日本の15ヵ国20諸侯の大名に命じた天下普請で行なわれ、突貫工事で1年足らずで完成した。ただし、天守閣は家康の命令で築かれなかった。と説明があった。
明治維新以後、ほとんどの建物が取り壊されたが、石垣と堀、馬出などの遺構がほとんどその原形を残しているので昭和31年(1956)に国の史跡に指定された。
明治維新後、ただ一つだけ残ったのが大書院。篠山城築城とほぼ同時期に建てられ約260年間にわたって藩の公式行事などに使われてきた。明治維新となり廃城令後も小学校や女学校、公会堂などに利用されてきたが昭和19年(1944)1月6日の火災で焼失した。
平成12年(2000)3月に、古絵図、古写真、発掘などの総合的な学術調査に基づいて設計され復元再建された。堂々とした造りである。
8つの部屋を広縁をまわって見学できる。愛好家による手作り甲冑や襖絵などを楽しむことができる
。
城跡を出た後、大手前通りにある大正ロマン館で買い物して黒豆ココアを飲んでひと休憩。二階町通りのレトロな商店街を見ながら歴史美術館(旧篠山地方裁判所)へ。
駐車場への帰路、突然でかいイノシシ出現。今度来た時は是非食べてみよう。
雲一つない行楽日和だった。