素浪人旅日記

2009年3月31日に35年の教師生活を終え、無職の身となって歩む毎日の中で、心に浮かぶさまざまなことを綴っていきたい。

孫に引かれて木下大サーカス参り

2024年03月16日 | 日記
 15日、仕事から帰った娘が急に用がはいったので明日も1日お願いできないかと頼まれた。さてどう過ごすか?「鶴見緑地にでも行って、凧揚げの再チャレンジでもするか?」と尋ねたがもう一つ乗り気のない反応。「じゃ今一番行きたい所はどこや?」と問うと「木下大サーカス!」という答え。小学校で宣伝チラシをもらったみたいで「行きたい、行きたい」と娘にも言っているとのこと。「大阪でやっているのか!?1とこんどは私が驚く。

 調べてみると、2月24日から5月27日まで大阪城公園駅の東側で開催していた。娘もそうしてもらえたら有難いと言うので妻と2人で連れていくことに急きょ決まった。11時と14時の2回公演だが一般自由席なので11時からが無難だということになった。土曜日とはいえまだ会期初めだから開演の1時間前ぐらいに行けば大丈夫だろうということで話しがまとまった。

 いつもは朝ダラダラとしている孫も今朝はサッサと起き、パッパと朝食を食べた。そのため予定したより30分早い列車に乗ることができ、9時過ぎには最寄りのJR森ノ宮駅に着いた。そこから東へ約250m、左折して北へ約350m歩き9時30分過ぎに特設会場に着いた。
 

 すでに入場を待つ人が行列を作っていた。カウンターで人数を数えている誘導の人に聞けばまだ1回目の公演に入ることができるというので一安心。チケットを買って待つこと1時間余り。要領を心得ている人は携帯椅子やシートに座りスマホで時間を潰していたが、こういうイベントとは長く疎遠だった私たちはそういう知恵もなく、南極のフンボルトペンギンのごとくじっと立つしかなかった。孫はスイッチを持って来ていてゲームで時間つぶしをしていた。早く入場させてくれないかなと思うが、なかなかゲートは開かなかった。
 10時30分を過ぎてやっと入場となった。私は電車の中でも立っていたので2時間余り立ち続けたことになる。長く忘れていた座ることの嬉しさを感じた。

 公演は20分の休憩をはさんで前後半各1時間弱。洗練された演出や技にしばし別世界を楽しめた。創立122年の積み上げは伊達ではない。ライブ芸の緊張感を久しぶりに味わう。
 私がサーカスを生で見たのは、さかのぼる事60年余り、小学生の高学年か中学1年の頃である。すでに記憶は曖昧になっている。鵜方にサーカス団がやってきた。中身は記憶の欠片もないが、1つだけ鮮明に覚えているのは像のが演技中に私の目の前で豪快に放尿したことである。

 公演終了が13時15分頃。帰りは少し遠いが京橋駅方面に歩き、昼食を取ったのが14時前。買い物などを済ませて家に着いたのが16時過ぎ。
予想以上にハードな1日となった。「若い時は子どもを引き連れて何ともなかったが、ジジババじゃ体力、気力の限界やな」は2人の一致した思い。周りの若い親子連れの様子を見ていて同じようなことを考えていたのだと可笑しくなった。「孫の力か?」

コメント
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