素浪人旅日記

2009年3月31日に35年の教師生活を終え、無職の身となって歩む毎日の中で、心に浮かぶさまざまなことを綴っていきたい。

レンギョウがやっと咲く

2024年03月26日 | 日記
 レンギョウ、ユキヤナギ、ソメイヨシノがトリオとなって本格的な春の到来を告げる。3月上旬のバカ陽気でユキヤナギは一気に咲いたが、その後の長雨と気温の低下でソメイヨシノの開花に急ブレーキがかかった。全国的にも高知だけが開花宣言をしただけである。我が家の周辺もまだまだ開花する様子はない。

 去年よりも早いのでは?という予想のもとに例年より1週間早くして30日(土)に開催予定の「傍示川のお花見会」の関係者は心中穏やかではない。法面のレンギョウの花がやっと咲いたのであと4日の気温の上昇でどこまでトリオのトリであるソメイヨシノが花を咲かせてくれるやら。
 
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

めまい

2024年03月25日 | 日記
 天気予報の通り週末はずっと雨模様。3月というよりは6月の梅雨を思わせる。今日はまだ霧雨模様で自転車での移動ができる。4日ぶりにジムに出かけた。ロッカールームでHさんと一緒になった。Hさんとは30日(土)の休館日に宇治方面にサイクリングをする約束をしていた。顔をみるなり「ちょっと体調崩したので土曜日行けそうにない」と口を開いた。

 聞けば1週間前に、強いめまいに襲われ難儀したとのこと。「やっと回復してきたので今日からボチボチやって行こうと思う」とトイレに行けない、食事もできないという悲惨な状態だったことを話してくれた。

 私も、20年ほど前に朝起きた途端めまいに襲われた経験があるのでよく理解できた。とにかく体を動かすとその方向に回転を始めるのでじっと横たわっているしかない。症状が収まるのを待つしか手立てがない。

 私の場合、しばらく休んだら収まるだろうと妻や子供たちを送り出したが、いっこうに回復せず「これはダメだ」と勤務先に学区に行ける状態ではない。ということと自習課題をグルグル開店する中必死の思いでFAXで送り、そのまま床に寝転んでいた。

 私の経験も交え「めまい談議」が弾んだ。私より2歳上のHさんはここ2年の間に帯状疱疹が出たり、白内障の手術を受けたりと体の調子が下降気味になっていたが、3月に入ってから調子が良くなり、私にサイクリングに行かないか。と声をかけたという。控えていたランニングマシーンでの走りも始め10日ほど前には10kmを58分余りで走るまでになった。「それが駄目だった」と悔やむ。自分でもちょっと無理をしていると思ったそうだが、ギリギリまで頑張ってしまう。「性分だから仕方がない」と繰り返した。ストイックなのは私も認めている。疲労に加えて、不順な天候が重なり「めまい」というSOS信号を出してきた。

 「70代に入ったら違うよ!」はHさんによく言われてきたことだが、身をもって示してくれているみたいに思える。ジムに通い始めて15年近くになってくる。通い始めた時70代だった人たちが80代半ばになっている。トレーニングに励むその姿から学ぶことも多い。

 「めまい」は精神的にもダメージが残る。不安感が消えるまでには時間を要する。サイクリングの約束は気にせず、「我が身大事」ゆっくりと回復を図っていってくださいと告げて別れた。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

大相撲は岐路に!?

2024年03月24日 | 日記
 宮城野部屋の北青鵬の暴力事件でゴタゴタした状態で始まった大阪春場所だが、尊富士の110年ぶりの新入幕優勝で盛り上がり終わることができた。前回は大正3年(1914年)夏場所の両国(元関脇)というが、当時は今と大相撲の制度が違い東西対決というチーム戦に重きが置かれ優勝は個人タイトルという意味合いのものであったということを知った。両国関の成績は9勝1休だったそうな。1休は相手が休場だったため不戦勝というのがなく共に休場扱いとなったためである。

 大銀杏の結えない力士の優勝は初めて、初土俵から所要10場所での優勝は最速、大鵬(元横綱)に並ぶ初日からの11連勝と記録づくめで注目を一手に集めたが、東前頭17枚目の幕尻の新入幕力士の活躍は手放しでは喜べないだろう。1横綱4大関という番付が泣いている。

 中学の頃、3年上の先輩がスカウトされて入門し、毎場所番付表を母校に送ってくれて掲示されたが、下位力士の字の小ささに驚いたものだった。先輩のところに赤線が入れられていたが虫眼鏡がいるぐらいだった。大相撲は番付がすべてで字がどんどん大きくなっていくのが励みだと先生に聞かされ納得した記憶がある。

 その番付の重みが揺らいでいるのが昨今の大相撲ではないか。優勝争いを演じた大ノ里も髷さえ結えていないザンバラ髪である。白鵬が引退してからの相撲協会幹部と白鵬の確執めいたゴタゴタなど大相撲が岐路に立たされているという感を強く思った春場所だった。

 
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

小学校の終業式

2024年03月22日 | 日記
 小学校に入学した孫が終業式を迎えた。過ぎれば早いもので大過なく終えてホッとしている。いつもより下校が早いので迎えを頼まれた。机椅子を運んで2年生の教室の準備をしたと報告してくれた。

 学校で使っているタブレットを持ち帰って見せてくれた。想像以上にメニューが豊富で驚いた。紙文化から脱却していくのだということを実感した。どういう風になっていくのか見守るしかない。

 私が小学校高学年の頃、テレビが各家庭に普及し始め、洗濯機、炊飯器とさまざまな家電が登場し生活が大きく変化した。あの時の私の祖父や祖母の戸惑う姿が思い浮かぶ。今になってその心境が何となくわかる。

 小学校に入学するといろいろな壁が待ち受けている。その1つが「小1の壁」と言われているもの。私も経験したが、長女が小学校に入学した時、登下校の時間の違いに戸惑った。当時、保育園の場合は早朝、薄暮がありそれらを利用すれば朝7時から夜7時まで保育園で預かってもらえた。私たちの場合、朝に関しては問題なかったが、放課後をどうするかが課題であった。交野市ではまだ学童保育が公的になく設置運動の最中であった。保育園の保護者会の役員だった人たちが中心になって学校近くの空き家を借りて学童保育を自主運営していた。夕方6時までだったので間に合わせるのに苦労した。年度初めのお互いに多忙な時は、私の母に2週間ほど来てもらい助けてもらった。私はまだ恵まれていたと思う。

 勤務時間との調整がつかず、転職をする人もかなりいるという話も聞く。孫の場合、学校内に留守家庭児童会があり、1部有料とはなるが時間も保育園と同じ19時まで延長されているのでずい分働きやすくなっていると感じた。それでも月に2~4回は私の出番がある。

 うまく適応してくれるかなと心配していたが、1年間の様子を見る限り大丈夫である。学力面、人間関係などで待ち受ける小3の壁、小4の壁もある。しばらくは、要請があれば駆けつけられるように救急隊員のごとく待機していくつもり。

 少子高齢化の時代はもっと進む、公的な子育て支援システムの充実が今以上に必要になっていくだろう。現場、当事者の声に行政は耳を傾け智恵を出していかないといけない。とあらためて思った。

 
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

カーボラスト

2024年03月21日 | 日記
北里研究所病院糖尿病センター長の山田悟さんが【ゆるやかな糖質制限のススメ ~健康の常識・非常識~】というコラム(3/21・毎日朝刊)でカーボラストについて書いていた。

 『「私が提唱するゆるやかな糖質制限「ロカボ」の食事の順番はシンプルです。主食やデザートなど糖質を多く含むものを食事の最後に回す「カーボ(糖質)ラスト」を意識するだけです。先にたんぱく質と脂質、食物繊維を摂取することで、血糖値の上昇にブレーキをかけるホルモンを分泌してくれるからです。とりわけ、たんぱく質や脂質を食べると、消化管ホルモンの分泌量がそれぞれ増えます。ともにインスリン分泌を早める効果を持っており、血糖値が上がりにくくなります。

 野菜であれ、肉であれ、魚であれ、まずはおかずをしっかり食べて主食を最後に回す。といういたってシンプルなことだが、これが私にはなかなかできないのである。原因ははっきりしている。幼少期から小学生にかけて家や学校で、ごはんとおかずをバランスよく食べる、いわゆる「三角食べ」を躾けられ体と意識の中に沁み込んでいるのである。

 「カーボラスト」の大切さは理屈では分かっているのだが、いまだにおかずばかりを食べている人を見ると違和感を感じてしまうのである。このことに限らず幼少期に刷り込まれたものは結構厄介なものである。

 山田さんんのまとめの言葉「肉や魚、野菜に卵、そして乳製品や油。おかずを増やして満腹になるまで食べることが肝要です。満腹になることに罪悪感など持つ必要は全くありません。心置きなく食べてください。食べるという行為は、生きるための栄養補給であると同時に、人生の楽しみとの側面も併せ持ちます。」には救われた。

 沁み込んだ習慣を少しづつ修正していこう。

 
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする