shuの花日記

山や近所で見かけたお花をエピソードを添えて掲載しています。お花の説明は主にウィキペディア、花図鑑を参考にしています。

妙義神社

2024-09-14 14:09:49 | 山行・旅行
山岳信仰の中心となり、山に抱かれるように建っている神社は、日本中に数多ある。妙義神社もその一つである。
妙義神社は妙義山信仰と一体であり、今もなお修行の場となっている。妙義山への登山道もここから始まっている。

9月11日に群馬県富岡市にある妙義神社を訪ねた。
クルマを道の駅みょうぎに駐めた。ここから妙義山が眺められた。


県道に面した一の鳥居をくぐり、妙義山へ向けて真っ直ぐな坂道を登っていく。


左右に旅館が建ち並んでいた。途中で4名の山伏とすれ違った。


坂を登ると十数段の石段があり、その上に妙義神社と刻された石柱があった。その奥に立派な枝垂れ桜が見えていた。


さらに先へ進むと総門に至った。朱に塗られた総門は安永2年(1773年)の建立で、国の重要文化財の指定を受けている。


総門の先に札所があり、その先にさらに石段が続く。石段を上がった右手側に社務所と御殿が置かれているが、こちらは帰路に寄ることにして先へ進む。


銅鳥居をくぐる。この鳥居は享保4年(1719年)に建立されている。右手奥には旧御本社の波己曾社(はこそしゃ)が鎮座するが、やはり帰路に寄ることにする。


石造の太鼓橋を渡ると、上部神域へと一直線に延びる165段の石段がある。休まずにいっきに登ったら、汗がにじみ出てきた。


登り切った神域の入り口に随神門があり、左大臣・右大臣が向き合っておられた。
 
さて、いよいよ御本社である。宝暦6年(1756年)に建てられた御本社は、国の重要文化財となっている。各所に金の装飾が施されていてとても立派だ。
御本社は拝殿、幣殿、本殿からなり、御本社拝殿北側に神餞所(しんせんじょ)が附属する。神餞所も国の重要文化財となっている。


参拝を済ませ振り返ると、空には入道雲が、そして旧松井田町(現安中市)付近の街並みが見えていた。


帰路は北門から下った。門を出るとすぐに石灯籠が並んでいた。


その側にシュウカイドウ(シュウカイドウ科シュウカイドウ属の多年草)が咲いていた。中国大陸、マレー半島が原産で、日本には江戸時代に園芸用として渡来している。


北へ向かって真っ直ぐに進む。樹齢数百年と思われる大きなスギが立ち並んでいた。


山側から清らかな水が流れてきていた。小さな祠があり水神社の立て札があった。


スギの樹を見上げる。高さは30メートルを優に超えているように見えた。




北に突き当たる所に2本の柱が建っていて、しめ縄が架けられていた。


近寄って見ると、ここが登山道の起点だった。
柱に「神者依人之敬増威」「人者依神之徳添運」と記されている。神は人の敬によって威を増し、人は神の徳によって運を添うということらしい。
側に置かれた看板に「上級者コース」と赤字で書かれていた。いずれにしても、花を眺めながらのんびり歩く私のスタイルには合わなさそうだ。


振り返って御本社を見た。そして登山口を正面にして右に曲がり、今度は緩やかな石段を下りた。


石段を半分ほど下りたところに、清流が流れていた。触ると冷たかった。付近にミズヒキ(タデ科イヌタデ属の多年草)が咲いていた。


途中に句碑が建っていた。雲に嶮し妙義ひぐらし青の陣は、大正11年生まれで今年102歳となる河野多希女の句である。


石段を下りきると、先ほど登った165段の上り口に出てきた。


ここにも立派なスギの樹が立っていた。


ここから左へ折れて、旧御本社の波己曾社へ向かった。「波己曽」の由来は「いわこそ」であり、大岩信仰が起源と言われている。
社殿は本殿、幣殿、拝殿からなり、旧御本社といい伝えられている。明暦2年(1656年)の建造と考えられており、群馬県指定の重要文化財となっている。


詳しいことは分からないが、拝殿内部はとても豪華だった。


波己曾社を後にして次に御殿に向かった。
途中に見えた御神木の樹齢は400年、幹回りが4メートル、高さは50メートルあるそうだ。御神木にはしめ縄が巻かれていた。


境内はどこを歩いても樹木が多かった。


下界は35℃にもなろうとしていたが、お陰様で境内は涼しく感じた。


御殿に向かう。


御殿は寛永6年(1629年)の建立で、富岡市指定の重要文化財となっている。俗に宮様御殿といわれ、寛永13年から江戸東叡山寛永寺の座主輪王寺宮の隠居所となっていた。


戻る途中に波己曾社の背後が見えていた。


30分余りをかけて妙義神社の境内を歩いてきた。境内を出ると灼熱の太陽に照らされ、いっきに汗が出てきた。


撮影:2024/09/11

妙義神社(完)

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4 コメント

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なつみかんさん こんばんは (shu)
2024-09-14 23:02:57
>なつみかん さんへ
>初めて聞きました... への返信

コメントありがとうございます。
群馬県には上毛三山と呼ばれる山々があります。赤城山、榛名山、妙義山の三山です。
いずれの山にも由緒のある神社があります。赤城神社、榛名神社、妙義神社です。
赤城山には何度も登っていて、榛名山も登りました。妙義山には登ろうと思っておらず、そのため妙義神社にはこれまで出かけていませんでした。
思っていた以上に立派な神社でした。

今日はなつみかんさんの記事にコメントを書いていません。申し訳ありません。
明日、前編・後編を合わせてのコメントを書かせていただきます。
今日は暑さもあり、ヘロヘロです。
テニスをやりすぎました。
返信する
attsu1さん こんばんは (shu)
2024-09-14 22:53:57
>attsu1 さんへ
>こんばんは^^... への返信

コメントありがとうございます。
妙義神社の御祭神は、日本武尊、豊受大神、菅原道真公、権大納言長親卿の4柱ですが、それより妙義山自体がご神体のように思っていました。
この日一番の感動は、立派なお社ではなく、最初にすれ違った4人の山伏でした。そのうちの一人は女性でした。
そして皆さん正装で、法螺貝も持っていらっしゃいました。
今でもこんな格好で山を闊歩している人たちがいるのに、本当に感動しました。

神社の記録によると「江戸時代は歴代将軍を始め、加賀の前田侯外諸大名の崇敬篤く、上野東叡山の宮御代々御兼帯御親祭の神社となり其の御宿坊を宮様御殿又は単に御殿とも称した」そうですから、お社はさぞかし名のある宮大工により建築されたものでしょう。
ぜひ機会がありましたら、ご拝観下さいませ。

屋久島の屋久杉は別として、スギの寿命は400~500年ほどだそうです。
そうすると寿命を全うしそうなスギがたくさんありました。
それにも感動しました。
返信する
初めて聞きました (なつみかん)
2024-09-14 22:31:13
shuさん、こんばんは~
妙義神社は初めて聞きました。
なかなか派手やかな御本社ですね!
旧本社の波己曾社もご由緒ある社殿が色々あって、ゆっくり回ると良さそうです。
境内随所に大木がみられるのもいいですね。
それにしても、165段の石段の一気登りはしんどそうです。
shuさんなら、全然大丈夫でしょうけど・・・
それと暑いのがいやですね。
早く涼しくなってほしいです・・・
返信する
こんばんは^^ (attsu1)
2024-09-14 19:23:36
妙義神社
日本各地に、神社はたくさんありますが、
これはまた歴史を感じさせていただける神社ですね

左大臣・右大臣
光る君へを毎週見ているので、左大臣のほうが偉いと
知識を得た私です^^;

御本社は、国の重要文化財
これは、凄い建築と飾り、重要文化財なのが分かります。

御神木の樹齢は400年
樹木ってもっと凄い樹齢のものもありますが、
さすがに、400年だって凄い!!!
樹の寿命って人間に比べたら長いですよね
でも、昔の建物ってそんな樹木をたくさん使ってあって、
日本は昔から樹木に支えられてきたんですよね
返信する

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