素振りブログ。

一般でスピーチできる話の素振りのはずなのに、無理な話がほとんどのブログ。

媒体変わった結果?

2015年04月24日 21時09分28秒 | 日記
今週の暗殺教室ですが。

鷹岡編、こんな短かったっけ?

拍子抜けしました。
短すぎて。

原作、2話くらいだったと思うんですが、アニメにしたらこんなもんなの?
媒体が変わるとさ、受け手の感覚も変わりますし。

それ用のプラスアルファって要るんではないでしょうか?

アニメで見ると、なんかいきなり濃いクズキャラがやってきて、そのまんま倒されて、居なくなった感じ。
アニメしか見てない人だと、鷹岡のクズっぷりを堪能できなかったんじゃないですかね?

最初の最初、新任体育教師としてやってきて。
優しそうで、親しみやすそうで。

でも、ジッサイは、3-Eの生徒たちのことなんか、これっぽっちも考えていない、おおよそ教官としては相応しくない人間。

そりゃね、優秀な人材を育て上げるというのは教育者としては大事でしょうよ。
でも、歪んだやり方だと、それを是として育った人間がさ、今度は教える側に回ったとき。

どうなるんだよ;

殺せんせーは激怒していたし、浅野理事長も怒ってたよね。
暴力で屈服させることで恐怖を植えつけるのは下の下だと。

二人の怒りが熱いぜ!

浅野理事長の恐怖ってのは、落ちこぼれるとあんな風な悲惨な目に遭うよ、という恐怖ですからな。
痛い目を見るとかじゃない。

惨めで、屈辱的で、辛い状況。
つまり「見捨てられる恐怖」

良くは無いよ?
浅野理事長の現在の教育方法、弱い人を見捨てる人間を作る教育方法ですしの。
(理由があるんだけどね)

でも、自分より弱い人間には何をしてもいい、って鷹岡のやり方と比較すると雲泥の差ですわな。

よく、あるんだよな。
教育と称して、我が子を暴力で屈服させて躾した気になってる底辺の親。

そういう親に育てられると、「強い人間は何をしてもいい」って子供は学び、結果暴力で自分の欲望を叶えようとするDQNに育つ傾向にあるみたい。
当たり前のことですけどね。


しかし。
鷹岡に殺せんせー、激怒してましたけど。
ひょっとしたら、かつての自分に似たものを感じた、ってのも怒りの原因だったりもしますかね?

原作の連載の今週分で「これが『見る』ってことか」と、自分が弟子を育てたときに足りていなかったものは何か、を悟るシーンありましたけどさ。

鷹岡のように、下品では無いにしろ。
かつての殺せんせーの弟子に対する教育姿勢、「自分の代役が務められるほどの有能な人間が居れば、自分の仕事の幅はもっと広がる」という、自分のことしか見ていない姿勢でしたし。
そこだけ見ると、自分の出世のネタくらいにしか3-Eの生徒たちを見ていなかった鷹岡とさ、本質的には大差ないですよね。

他人の能力を伸ばすことに喜びを感じ、その成長を嬉しく思うとかさ。
そういうのじゃないものな。