先ほどのTV番組でチチカカ湖が紹介されていた。
40歳になってから、約一年半シカゴで英語留学をし、その後1987年に日本に帰国する前に民芸雑貨を探しに中南米に行った。
そのときにチチカカ湖のプーノにも一人で行ったことがある。
写真も撮っていた。
確かどこかに写真もあるはずと思って、心当たりの箪笥の引出しを開けたが見あたらなかった。
プーノの浮島の学校の風景が会ったはずで、葦舟から映した写真もあるはずだ。
プーノの写真は見つからなかったが、その代わりにシカゴの英語学校時代の写真がたくさん出てきた。
チチカカ湖へは、ペルーのクスコから列車でプーノまで行ったが、その列車は「地球の歩き方」によれば、ドロボー列車と呼ばれていると書いてあった。
確かに出来事が起きた。(いつの日か、思い出話を掲載します。)
チチカカ湖についてからも、ホテルで異変があった。
私は、たまたまクスコ?で知り合った、日本人男性とマチュピチュやプーノまで行動をともにした。
一人だったら、危険な目にあったかもしれなかった。
当時のペルーは、センデロルミノッソ(共産ゲリラ)が活躍していたが、私はそんなことを知らなかった。
クスコで、店に軽機関銃が何気なく置いてあるので、何でおもちゃの機関銃を置いているのと訊ねると、本物だと言い、襲われたときに反撃するのに使うと聞いて驚いた。
クスコで知りあったその男性も同じ大阪出身であった。
高学歴であるが、経歴を聞くと謎の多い男性であった。
帰国後、連絡を取ったが、確かに実家に繋がったが、彼は不在であったが、経歴はあっていた。
本人は既に彼の職場に復帰し赴任地にいき任務についていた。
(後日、25年前に行ったアメリカや南米の話も思い出せる範囲ブログに書く予定)
40歳になってから、約一年半シカゴで英語留学をし、その後1987年に日本に帰国する前に民芸雑貨を探しに中南米に行った。
そのときにチチカカ湖のプーノにも一人で行ったことがある。
写真も撮っていた。
確かどこかに写真もあるはずと思って、心当たりの箪笥の引出しを開けたが見あたらなかった。
プーノの浮島の学校の風景が会ったはずで、葦舟から映した写真もあるはずだ。
プーノの写真は見つからなかったが、その代わりにシカゴの英語学校時代の写真がたくさん出てきた。
チチカカ湖へは、ペルーのクスコから列車でプーノまで行ったが、その列車は「地球の歩き方」によれば、ドロボー列車と呼ばれていると書いてあった。
確かに出来事が起きた。(いつの日か、思い出話を掲載します。)
チチカカ湖についてからも、ホテルで異変があった。
私は、たまたまクスコ?で知り合った、日本人男性とマチュピチュやプーノまで行動をともにした。
一人だったら、危険な目にあったかもしれなかった。
当時のペルーは、センデロルミノッソ(共産ゲリラ)が活躍していたが、私はそんなことを知らなかった。
クスコで、店に軽機関銃が何気なく置いてあるので、何でおもちゃの機関銃を置いているのと訊ねると、本物だと言い、襲われたときに反撃するのに使うと聞いて驚いた。
クスコで知りあったその男性も同じ大阪出身であった。
高学歴であるが、経歴を聞くと謎の多い男性であった。
帰国後、連絡を取ったが、確かに実家に繋がったが、彼は不在であったが、経歴はあっていた。
本人は既に彼の職場に復帰し赴任地にいき任務についていた。
(後日、25年前に行ったアメリカや南米の話も思い出せる範囲ブログに書く予定)