散歩者goo 

タイトルのgooは、同名のHPやブログと区別の為付けてます。HPの「散歩者」はこのブログ筆者の私とは全く無関係です。

昨日記190607 金(堀尾貞治展 喫茶店)

2019年06月20日 20時54分09秒 | 日記(昨日記・今の思い考え・行動・情況)
午後から神戸元町にあるギャラリーミヤケに出かけた。
このギャラリーは初めて行くギャラリーで、堀尾さんの葬式の時にちょうど展覧会を行っていたギャラリーで、展覧会に行こうとして、間に合わなかったギャラリーである。
そうしたこともあって、ぜひ行かねばならないと思っていた。
ギャラリーには堀尾さんが、このギャラリーに遊びに来て描いたフォービズム風の具象画が展示されていた。
堀尾さん独特のタッチだ。
私が現代美術と関係を持つようになったきっかけとして、塔本賢一さんと堀尾貞治さんの影響抜きには考えられない。
二人ともここ数年で亡くなられ、非常に残念だし、寂しい。
ギャラリーには、先日風呂屋の跡地を処分し転居したという、H氏も後から来たのでいろいろ話した。
ギャラリーを後にして、帰り道に中華街があったので一回りした。
元町の中華街は何度か来たことがある。
中華街を東から西まで一回りした後、元に戻り元町を歩いたが、ンさんとなくコーヒーを飲みたくなった。
ファストフードを探して歩いたが、クラシックな喫茶店があったので、思い切って入った。
もう少しましなコーヒーを出すのかと思ったら、熱い沸きたてのコーヒーを出してきた。
どうやら湯煎をしているようで、コーヒー抽出の様子は見られなかった。
湯煎なので、酸素が遮断されていて、えぐみはなかった。

その喫茶店の近くに、西村珈琲店があった。
西村珈琲は何店舗かあるが、私がコーヒーマシンを開発していたころは、ドリップコーヒーの最高峰の喫茶店として業界では有名で、全国から修行に来ていたという。
当時、何度も西村珈琲店本店に通ったし、部下たちにも西村珈琲店や、その他名門の喫茶店に行くように言っていた。
先ほど入った喫茶店を出て、かなり躊躇した後で、西村珈琲店に入った。(出費が気になった。)
先ほどの喫茶店とはガラッと雰囲気が変わり、端正で美しいお店だった。
むろんコーヒーも店員のサービスも申し分ない。
そこで長い時間コーヒーを味わいながら本を読んだり、堀尾さんの展覧会を振り返ったりした。
久しぶりにゆったりとした気分を味わった一日だった。

帰宅後は、いつものように副食作りに追われた。
午後の半日、元町でギャラリーや喫茶店を楽しみ優雅な気分になっただけに、現実の貧困生活は嫌になったが、一生逃げられない。
この日疲れて床に就いたのは、またも1時を過ぎていた。

コメント

昨日記190606 木(家事に追われ蚊に悩まされる 同窓生からの電話)

2019年06月20日 20時05分42秒 | 日記(昨日記・今の思い考え・行動・情況)
前日の夜副食準備は全くできていなかった。
当然前日の夜はそのことが分かっていた。
前夜にはご飯がなくなり、冷凍御飯を15食製造したり、洗濯物を洗い干したりと、様々な家事が集中しているのに、ブログの遅れを気にしてブログを書いたりして、朝用の副食調理時間が取れなくなった。
結局、前日寝たのは1時を過ぎていた。
しかも、夜中に蚊が出没し、手や顔を刺され、寝られなかった。
モスキートトラップも、有効な時とそうでないときがある。(有効な時には蚊が何頭も入っている。)
この日は朝6時に起床し、大急ぎで副食作りをした結果、いつも通りの時間に朝食をとることができた。
朝食後は1時間近く昼寝をするつもりであったが、高校の同窓生からの電話で起こされた。

私は数年前の高校の同窓会で無理やり一人幹事にされた。
放置するつもりだったが、大人げないと思い2年間、秋には一人で幹事役を果たした。(そのことは昨日記に記載済み)
昨年は会場をと確保するのが遅れ断られたため、放置した。
一人幹事なので、他の同窓生は誰も同窓会がどうなるか知らない。
こういうこともあろうかと、無理やり一人幹事を押し付けられるときに、こうした可能性も指摘したが、すべて任せるとなった経緯があるので、独断で放置している。

この日の朝の昼寝で起こされた電話は、近くに住む同窓生からの電話で、みんなが心配しているとか、同窓会を早くしろといった電話だった。
秋には同窓会をすると返事して電話は終えた。

同窓生の親しいグループは、月に何度かゴルフに行っていると言っていたし、先生ともたまに連絡を取っているらしい。(私が通った工業高校は新設校で、多くの先生は、最先端の科学技術を身に着けた20代の先生方だったので、歳の差は5年から10年程度しか違わない先生が多かった。中にはバリバリの研究をされているところを引き抜かれた先生もいた。当時最先端の半導体技術を研究していた下村先生は、電子物性論の本を書き起こし、ゲラ刷りのプリントが我々の教科書で、その本が出版されてからは、多くの短大や工業高校の教科書になり、数十年間使われていた。このクラスの同窓生には大学教員<教授・助教>も数名いるが、工業高校では極めて珍しい。)
それならそのグループが中心になって同窓会をすればいいのにと、多少腹立たしく思っている。
同窓会に毎年参加しているが、毎年訃報が寄せられている。
一昨年は、二年前には元気で、JRの運転教習所の指導教官をやめさせてくれず、忙しいとぼやいていた友人もなくなった。

午後から夜にかけて、昨日記を書いたり蚊退治用の電撃うちわを2km離れたホームセンターまで購入に行った。

コメント