午後から神戸元町にあるギャラリーミヤケに出かけた。
このギャラリーは初めて行くギャラリーで、堀尾さんの葬式の時にちょうど展覧会を行っていたギャラリーで、展覧会に行こうとして、間に合わなかったギャラリーである。
そうしたこともあって、ぜひ行かねばならないと思っていた。
ギャラリーには堀尾さんが、このギャラリーに遊びに来て描いたフォービズム風の具象画が展示されていた。
堀尾さん独特のタッチだ。
私が現代美術と関係を持つようになったきっかけとして、塔本賢一さんと堀尾貞治さんの影響抜きには考えられない。
二人ともここ数年で亡くなられ、非常に残念だし、寂しい。
ギャラリーには、先日風呂屋の跡地を処分し転居したという、H氏も後から来たのでいろいろ話した。
ギャラリーを後にして、帰り道に中華街があったので一回りした。
元町の中華街は何度か来たことがある。
中華街を東から西まで一回りした後、元に戻り元町を歩いたが、ンさんとなくコーヒーを飲みたくなった。
ファストフードを探して歩いたが、クラシックな喫茶店があったので、思い切って入った。
もう少しましなコーヒーを出すのかと思ったら、熱い沸きたてのコーヒーを出してきた。
どうやら湯煎をしているようで、コーヒー抽出の様子は見られなかった。
湯煎なので、酸素が遮断されていて、えぐみはなかった。
その喫茶店の近くに、西村珈琲店があった。
西村珈琲は何店舗かあるが、私がコーヒーマシンを開発していたころは、ドリップコーヒーの最高峰の喫茶店として業界では有名で、全国から修行に来ていたという。
当時、何度も西村珈琲店本店に通ったし、部下たちにも西村珈琲店や、その他名門の喫茶店に行くように言っていた。
先ほど入った喫茶店を出て、かなり躊躇した後で、西村珈琲店に入った。(出費が気になった。)
先ほどの喫茶店とはガラッと雰囲気が変わり、端正で美しいお店だった。
むろんコーヒーも店員のサービスも申し分ない。
そこで長い時間コーヒーを味わいながら本を読んだり、堀尾さんの展覧会を振り返ったりした。
久しぶりにゆったりとした気分を味わった一日だった。
帰宅後は、いつものように副食作りに追われた。
午後の半日、元町でギャラリーや喫茶店を楽しみ優雅な気分になっただけに、現実の貧困生活は嫌になったが、一生逃げられない。
この日疲れて床に就いたのは、またも1時を過ぎていた。
このギャラリーは初めて行くギャラリーで、堀尾さんの葬式の時にちょうど展覧会を行っていたギャラリーで、展覧会に行こうとして、間に合わなかったギャラリーである。
そうしたこともあって、ぜひ行かねばならないと思っていた。
ギャラリーには堀尾さんが、このギャラリーに遊びに来て描いたフォービズム風の具象画が展示されていた。
堀尾さん独特のタッチだ。
私が現代美術と関係を持つようになったきっかけとして、塔本賢一さんと堀尾貞治さんの影響抜きには考えられない。
二人ともここ数年で亡くなられ、非常に残念だし、寂しい。
ギャラリーには、先日風呂屋の跡地を処分し転居したという、H氏も後から来たのでいろいろ話した。
ギャラリーを後にして、帰り道に中華街があったので一回りした。
元町の中華街は何度か来たことがある。
中華街を東から西まで一回りした後、元に戻り元町を歩いたが、ンさんとなくコーヒーを飲みたくなった。
ファストフードを探して歩いたが、クラシックな喫茶店があったので、思い切って入った。
もう少しましなコーヒーを出すのかと思ったら、熱い沸きたてのコーヒーを出してきた。
どうやら湯煎をしているようで、コーヒー抽出の様子は見られなかった。
湯煎なので、酸素が遮断されていて、えぐみはなかった。
その喫茶店の近くに、西村珈琲店があった。
西村珈琲は何店舗かあるが、私がコーヒーマシンを開発していたころは、ドリップコーヒーの最高峰の喫茶店として業界では有名で、全国から修行に来ていたという。
当時、何度も西村珈琲店本店に通ったし、部下たちにも西村珈琲店や、その他名門の喫茶店に行くように言っていた。
先ほど入った喫茶店を出て、かなり躊躇した後で、西村珈琲店に入った。(出費が気になった。)
先ほどの喫茶店とはガラッと雰囲気が変わり、端正で美しいお店だった。
むろんコーヒーも店員のサービスも申し分ない。
そこで長い時間コーヒーを味わいながら本を読んだり、堀尾さんの展覧会を振り返ったりした。
久しぶりにゆったりとした気分を味わった一日だった。
帰宅後は、いつものように副食作りに追われた。
午後の半日、元町でギャラリーや喫茶店を楽しみ優雅な気分になっただけに、現実の貧困生活は嫌になったが、一生逃げられない。
この日疲れて床に就いたのは、またも1時を過ぎていた。