散歩者goo 

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昨日記 5月17日(日)から20日(水)までのこと(追)

2020年05月23日 20時01分18秒 | 日記(昨日記・今の思い考え・行動・情況)
5月17日 日
朝からプチ断食開始。
午前中YouTubeを見て過ごす。
今までYouTubeをほとんど使わなかったが、登録もしているので使い方の練習もかねていろいろ試してみた。
気に入ったYouTubeの保存方法も分かった。
クラシック音楽や行進曲のファイルを開くと、無料で視聴できるいいファイルがいくつもあったので保存した。
今後色々な用途で使えると思った。
午後は食材の買い出しに出かけたり、遅れている昨日記を書いたりした。
緊急事態宣言後は、デパートや商店や飲食店が閉鎖になったりしているので、スーパーの人出が多く、買い占められているのか多くの棚が空になっている。
夜になって、断食明けにはいつもファストフードでハンバーグを食べているので、ひょっとすると開いているかと思って行ったが、予想通り閉まっていてがっかりした。

5月18日 (月)
午後から雨が降り出した。
事務が閉鎖になって以降、運動しなくなった。
特に足を使わなくなり、脚力や持久力に衰えを感じている。
少し歩くと疲れるし、歩くのにふらふらしている。
これではいけないと、雨でも歩くことにし、1時間弱役4km歩いた。
やはり帰宅後疲れを感じた。
FBで政党系の、グループ友達になったN氏とFBで一般的な人間関係(論理的やり取りや感情的否定・・・)等についてコメントを交わした。
今のSNS上には各グループには金太郎あめのような、同じニュース記事を素材に下記事が多数出回った記事の変形が投稿されていてうんざりする、
そこで新しいグループの結成について打診した。
N氏は哲学を勉強していて、日ごろから一般的問題点を指摘していた。

話が総花的なところや、FBの関係者ではないかと思わせるところが多少気になる。

5月19日(火)
朝食準備の時に、事件が起きた。
冷凍ご飯の解凍加熱の設定を誤り、焦がしてしまい部屋の中に煙が充満した。
急に電子レンジの扉を開くと、コメが炭化し一部ラップも含め気化した炭化ガスに引火する可能性があり危険なので、しばらく電源を止めそのまま放置して温度を下げた。
扉を開くと、茶碗の上に真っ黒なコメの炭が盛り上がっていた。
レンジの中は煙が変化したヤニがべっとりこびりついていた。
屋内に煙が充満しているので、扇風機を裏庭に向け、充満した煙を排気した。
その処理のため、かなり時間を取られた。
電子レンジがまともに動くか心配したが、問題なく動いた。
午後からは、食材買い出しを行い、夕方から夜まで副食製造を行った。
運動不足を感じたので25分程ランニングした。
体は重く、スピードも出ない。
せめて体力が低下しないようにするだけで精いっぱいだ。

5月20日 (水)
午前中、以前から気になっていたデジタルラジオに登録している録音のタイマーセットをすべて消去した。
ラジオの語学講座等を自動でSDカードに録音しているが、実際その録音を使って勉強しないので録音をやめる事にしたのだ。
それ以前は、朝6時からのFMの古楽の楽しみを録音していた。
しかし、FMの電波状態によりノイズが多いときが多く、録音をやめていた。
SDカードは32Gあり、文化講演会なんかも録音しているので、暇なときに再生して必要な録音のみ、外付けHDに取り込もうと考えている。
この日FBのグループを見ると多くの趣味のサークルや政治系のグループがあった。
そこで、2つのグループに申し込んだところ、申し込み理由を聞かれたので、中止した。
その後国会中継(委員会)でコロナ問題の参考人質問を見た。
この参考人質問は、翌日関西圏の緊急事態宣言を解除するための儀式のようなものでもある。

(この一文追記)国会中継の参考人質問を見て刺激を受け気が変わり、改めてグループに参加しようと思い、同時に参加理由を考えた。
その時、同時に次のようなことを考えた。
末尾にその全文を掲載しておく。

すでに緊急事態宣言解除に関連する報道はたくさん報道されていて、関西圏の主張はそれぞれ出口戦略を言及している。
夜になって、振り込みを兼ねてわざわざ遠回りして銀行まで歩いて出かけ、約4km歩いた。
今後、できるだけ毎日4kmの距離を歩くか走ることにしたいと思っているが、三日坊主に終わる可能性が非常に強く、どこまで持続できるかまったく自信はない。
できれば断続しながらでも、続けていいければと思っている。


追記  ()は内追記・変更部分
現在の安倍政権について様々な問題があるので思いつくままに自分なりに整理し考えてみた。
今まで人の意見を見て「いいね」や拡散するだけで満足していて、せいぜいコメントする程度で、自分で考え自ら発信してこなかった。とあるサイトで、自分の考えを求められ戸惑った。そこで、初めて自分でも考え発信することが必要と気づいた。
以下問題点を列挙する。
1モリ・カケ・サクラにみられる政治の私物化。
2.公文書隠蔽、改ざんにみられるように、行政運用の透明性をなくし、国会のチェック機能をなくし、行政の中立公正を犯し、恣意的に動かそうとしている。
同時に人事権を行使し、政権に都合の良い人物を登用し、行政の中立性を損なっている。
3.黒川検事(長)・(検察官)定年延長問題における(問題は)、検察の司法的独立を破壊し、三権分立を犯し政権を独裁化させる可能性がある。
4周辺事態法にみられるように、なし崩し的に恣意的憲法解釈し、憲法の精神を骨抜きにし、運用しようとしている。
5.今回の新型コロナ問題に対する対応にみられるように、意思決定が遅く、審議会任せで、判断能力がなく、思考停止に近い状態であり、とても緊急事態に即応しているとはいえず、政権担当能力に問題がある。
6.経済問題は、極めて重要で喫緊の課題であるが、困窮者(個人・事業者・学生含む)に対しての対応も野党及び国民の声が高まった結果の政策決断であり、やはり分析不足や前例踏襲や思考停止傾向がみられ、急速な変化に対する政策立案運用能力が欠如していると言わざるを得ない。
特に経済問題は、今後大恐慌以来の未曾有・未経験の異常な経済状況が出現する可能性があり、ケインズやフーバーのように全く新しい経済政策を企画立案し、強力なリーダーシップで実施することが求められる。今回の経済問題は、新型コロナ問題の推移と複雑に絡み、国の存立を左右する基本的問題と思っており、批判するだけでは、この事態は乗り越えることができないのは自明である。だが、現政権には新しい事態に即応した状況に対応する能力はないが、現実問題、(現状の)野党にもあるとは言い難い。改めて総選挙を行い、新しい代表を選び、国民の合意の下で、強いリーダーシップのもと総動員で知恵を結集し、政策立案実行する必要があると考える。
(基本的には、総選挙で政権交代するとともに、現野党は有能な人材を発掘し組み入れ、政権運営するべきと思っている。<政権運営には、危機管理能力や実務管理遂行能力や将来の変化を予測分析しそれに応じた企画運営能力が必要になる。大臣は何も高学歴でなくともよいが、官僚やアドバイザーの提言をしっかり理解判断し、遅滞なく的確に決断し、強力なリーダーシップで実行する能力は、求められる。マネジメント能力は必須。)

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SNSの情報の危険性(追)

2020年05月23日 15時33分05秒 | 日記(昨日記・今の思い考え・行動・情況)
先ほどFBに 下記の一文を投稿した。(以前にも似た内容を投稿した記憶はある。)
改めて、読み返し考えると、SNSの蛸壺化の危険もわかった。
SNSでは、自分の好みに合ったグループに所属し、友達を選んだり、フォロワーになったりする。
そこには自分の好みに合った政治的や価値観の主張だけが集められるようになる。
そこには、対立する意見がないことが多い。
ある意味、これは非常に危険なことでもある。

以下FBに投稿した一文
最近FBを開くと、政治関係の投稿ばかりが表示されることが多くうんざりしている。
確かに、私はFBの政治社会系のリベラル系グループや政党系のグループの5グループに参加し、それ以外にも美術や音楽関係のグループにもいくつか参加していて、政治社会関連グループには、たまに考えたことを投稿することもある。

しかし、それ以前にFBの友達は200人余りいて、95%程度の人が一度は話をしたことがあり、たぶん半分以上は会えば、普通に挨拶し話しができる関係と思っている。
1年前までは、政治系のグループへの参加は2つだけだったので、FBのホームのタイムラインには一般の友達の投稿がほとんどだったが、現在は、政治社会系グループの人たちの投稿で埋め尽くされている場合が多くて息が詰まりそうだ。

ところで、1年以上前?に、よく投稿される友達の記事があまりに多いので、ある時期何人かフォローを外したところ、フォローを外した人たちの記事が、一切私のホームのタイムラインに掲載されなくなった。
不審に思い、その人たちのタイムラインを見ると、それまでと変わりなく毎日たくさん投稿していた。
そうした友達は、嫌いになったりして外したのでなく、私のホームのタイムラインの多くを占有して、ほかの人の記事が読めなくなったので外しただけで、案内に近い情報といったものは掲載してほしかった。
それ以外にも、多くの友達のタイムラインを見るといろいろ投稿されている場合が多く、ほとんどの友達の投稿記事は、私のホームのタイムラインには掲載されていない。
この辺りはツイッターと違うところで、ツイッターはフォローした人(2000人余り)すべての投稿が掲載されているようだ。
あまりにツイッターは大量の記事なので、必要な人の投稿を読みたいと思うようになり、ツイッターに関しては、読みたい人をリストにし、リストで見ることが多い。

それ以外に、数年前まで、会うとよく話をする人を親しい友達にしていたが、ある時期一斉に親しい友達と普通の友達の線引きができないことがわかり、親しい友達をすべて普通の友達にし、逆に顔見知りも友達に変更した。
その直後、何度も、FBからお知らせでお友達を親しい友達への変更を薦めてきたことがあったり、友達への承認(先方からの友達申請は一度もない)のおすすめが来たりした。
(会うとよく話す人でも、一度もFBに投稿していない人は原則友達申請をしていない。また、顔見知りであっても、一度も面と向かって話をしていない人も、友達申請していない。)

これらのFBから推薦された「親しい人」や「友達」候補については、私と親しい人でなければ知りえない人たちばかりだ。
おかしいと思い、そうした観点で私の知人友人を見回すと、その中にFBのお仕事をしているらしいと思える人が、何人も浮かび上がってきた。

実は、4―5年以上前に、いくつかブログを書いていた二つのブログのサイトに、そういう人(担当者)がいたことがはっきりしていて、そういうこと同じ構造を考えると、FBの担当者が浮かび上がってきたのだ。
こうしたことは、ある意味FBを活性化するために企業努力として当然かもしれないと思っている。
私のホームのタイムラインに表示される(友達の)記事の傾向やグループが2―3パターンあるので、複数の担当者が関与している可能性がある。(ネットを開くたびに毎回切り替わる。)

なぜこんな話をしたかというと、冒頭で述べたように私のホームのタイムラインが、政治社会一色では、息が詰まり、FBを見たくなくなるので、普通の友達の投稿もホームのタイムラインに上げてほしいと思っている。(たまに相手のボードを見に行くこともある。)
そもそも、私が属している各グループにも大量の投稿があり、その中から投稿を選択して、その記事を私のホームに貼り付けているのは、たとえAIでやっていても、最終的にある程度人が絡んでいると考えている。
(AIではその記事を読んでいる時間<停止時間>を集計分析して興味の傾向を把握していると聞く。)

私は美術や音楽や考古学も好きであり、科学技術や思想にも興味を持っている。
友達の何気ない普段の生活の感想の投稿にも癒される。
政治社会への関心は、全体の生活の半分以下であり、私のすべてではない。
それに対しFBのホームのタイムラインが、今日は政治社会一色で埋め尽くされ、金太郎あめのような同じ素材を基にした投稿をいくつも見せられうんざりしたて、この一文を書いたのだ。
同時に、友達のフォローを外したからと言って、それは単なる知人ではない場合が多いことも知っておいてほしい。
(多く投稿する人については、そうした人達の投稿が多すぎて、食傷気味になるだけで、そうした人の仕事の近況の投稿も見たい時もある。)

しかし、最大の問題は我々が、日常何気なく使っているSNSには、きわめて属人的要素が加わりコントロールされている可能性があることだ。
SNSから言われるままに便利だからと言って、無批判に自立性を持たず依存していると、知らぬうちに自分の意志と思って活動していたものが、実はSNSの会社の意志や、SNSの担当者の意志に流されている可能性があるのだ。
即ち、SNSを使う場合、流されないようにするには、自律性を持った自分の強い意志が必要と思う。

(標題のSNS情報の危険性については、SNS情報の発信源が信頼できるかどうかが、最も重要である。
単に有名人の言説だからといて信用してはいけない。
新聞やTVの場合、報道するにあたっておくのフィルターを通し真偽を確かめているので、ほぼ信頼できるだろう。)

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