緩和ケアで行こう

へなちょこ緩和ケアナース?!のネガティブ傾向な日記です。

行って来ました

2009-02-10 23:48:14 | offの日
 
 沖縄でのがん看護学会に参加してきました。

 今回の学会のテーマは、「ゆい(結い)を深めるがん看護」でした。沖縄に降り立つのは今回で2回目です。自分にとって、沖縄は観光でしか縁がない印象がありました。
 学会が沖縄で開催されるとあって、沖縄独自の看護に纏わる、「何か」を知りたいと思っていました。ですから、今回はシンポジウムはとても楽しみにしてました。

 シンポジウムの中でとても印象的だったのは、栗山登至氏(アドベンチストメディカルセンターの緩和ケア医さん)が語られていたことでした。およそ、こんなことでした。
 

 『よく、高齢のがん患者さんは「自分は(病気になってしまって)、人の何の役にも立たないから、生きていても仕方ない、迷惑をかけるなら死にたい。」とおっしゃることが多いものです。けれど、沖縄の高齢のがん患者さんからは、「生きている価値がない」とまで言う方に出会ったことがありません。』

 とても驚きました。もちろん、栗山氏がおっしゃることが、沖縄の高齢のがん患者さんのすべてを語っていることにはならないことはわかっています。けれども、高齢のがん患者さんからは上記の訴えを、私自身がよく耳にします。

 へ~~~。

 …と思ったと同時に、「何で?」と思いました。

 栗山氏曰く、それは沖縄に年配者を敬う心があるから、とのことでした。
 抄録にある、栗山氏の言葉を借ります。

 『ご先祖様が偉いならそこに一番近いお年よりも偉い!?』

 人は、生きてきたように死んでいくという言葉を耳にします。個人の心がけ、信念、価値感などだけでなく、その人を取り巻く環境も大きくその人の生き方に影響するものだ、というメッセージを受け取った気がしました。

 私が勤務している緩和ケア病棟は、沖縄ほどの「独特なもの」はないのかもしれませんが、「地方」に存在する緩和ケア病棟というところでは立地条件は共通したものがあるかもしれません。
  
 このことを自分の病院の緩和ケア医に話すと、「都会では、かなり生きている価値がない」ということを、高齢のがん患者さんから聴いたことがある、と教えてくれました。でも、うちの病院では、この辺りなりに敬われて、「生きている価値がない」と言う高齢のがん患者さんは少ないんじゃないかな…。

 私はかつて、都会の急性期の病院で勤務しておりましたが、前述した点で今の緩和ケア病棟との比較をしたことがありませんでした。


 学会から帰ってきて、あらためて気づかされました。


 自分の所属する緩和ケア病棟周辺地域にも、この地方なりの「よさ」があるんだ、と確信しました。
 
 人生を通しての、ごく日常の中で人を敬うという環境に触れて生きていけるということはとても素敵なことだと思います。
 けれど、いつも、どこでも、そうはいかないのが現状だと思います。

 「敬う」という言葉を語るのは簡単なことです。日々のケアの中で看護師も高齢のがん患者さんを敬うことが、その方の「生きる価値」を支えるためにも大切なのだな、と思いました。日々の患者さんとのやりとりの中で、「生きる価値」を弱めてしまうような影をますます色濃くしてしまうような態度を、自分はとっていないだろうか…。



 今回の学会では観光する時間など、全くなく、学会の終了まで滞在できませんでした。
 今回の学会の時間以外での楽しみは、「沖縄料理を食べること」でした。


 私はますます、体脂肪との「結い」を深めています。
 (使いかた、なっとらん?)